質疑応答
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私は生まれは大阪ですが、物心がついてから京都の伏見で育ちました。この付近に住んでもう30年になります。ですから、この八軒家浜のプロジェクトも個人的に関心を持っています。
まずは高原先生にひとつご質問なのですが、なぜ「川の駅」の施設のところに船着き場ができなかったのでしょうか。「川の駅」と書いているのに、看板に偽りありと思えてしまいます。京阪さんの子会社である水上バスの営業政策上の都合で、こうなってしまったのですか。
高原:
この問題は建築家である僕よりは、最初の計画をされた方々に聞くのがいいようにも思います。実際コンペの時にはこの条件であることは決まっていて、「なんで船着き場に雁木を作らないの?」という話も出ました。僕らが聞いたのは、船の構造的な問題で雁木の所には付けられないということです。
ただ、中野さんから雁木の所に小型船を係留できるという話を聞いて、ちょっと希望も出てきているのですが。
中野弘巳:
広島の雁木組という雁木を使って小型船を係留していこうというNPOの方々に話を聞いたことがあるのですが、その方々のノウハウを伺いながら計画を進めているところです。潮の状態とか、雁木の先がどうなっているのかを考えて、船からどういうふうに安全に下りてもらうかという問題がありますが、船を係船する準備はしたいというところです。
津野:
雁木には小型船は係留できても、遊覧船は係留できないということですか。
中野弘巳:
オープン時から比べても遊覧船の発着回数が伸びていると伺っていますし、雁木が使えるようになったとしても、遊覧船には使われないだろうと私としては感じています
吹田でまち歩きの観光ガイドをしています。「川の駅」と名付けられていますが、これはよくある「道の駅」のようなものですか。お話しをうかがっていると、船着き場の意味しかないように思ったのですが。フランス料理の高級レストランがあるだけで、気軽に利用できる食堂も売店もないなら、私はみんなが集まれる「駅」というイメージが沸かなかなかったんです。どういう目的でこれが作られたのかが分かりにくいです。
中野恒明(芝浦工大):
以前はアプル総合計画事務所という建築事務所を主宰しておりましたが、現在芝浦工大にも兼職しております中野と申します。ちょっとここで「川の駅」について説明させてもらっていいでしょうか。
「川の駅」のコンセプトは、NPO地域交流センターの田中栄治さんが中心になって考えたものです。「川」の前に、14〜15年ほど前に「道の駅」を考えたのもそこです。それがいつの間にか国土交通省の「道の駅」になり、それがハード中心の整備だったもので形骸化してしまいました。
それで、田中さんが4、5年前から「まちの駅」という運動を始められました。そこはソフト中心の活動をされており、そこに常に人がいて街の情報ステーションとして情報交換の拠点であるという内容です。
それで、川の駅も「まちの駅」の川バージョンとしてスタートしました。川の情報を積極的に市民に提供しようということで始まりました。それは船着き場としての機能だけでなく、周辺でジョギングが出来たり魚釣りができたりするなど川の活動するためのひとつの拠点としていくための施設です。常に人がいて、そこに行けば川の情報がもらえる、あるいはお茶も飲めてくつろげるという情報ステーションにしていこうという所から「川の駅」はスタートしています。
一昨年は、私が実行委員長となって、荒川水系、利根川水系の30箇所で「川の駅」の社会実験をいたしました。その中では、いくつか船着き場も「川の駅」というマークを使っています。
今回のはちけんやの整備は、そうした関東の動きとは関係のない所で動いていたプロジェクトなのですが、私たちが推進している「川の駅」とコンセプトが通じているということで、「シンボルマークを使わせてもらいたい」という要請があって「川の駅 はちけんや」が誕生したといういきさつがあります。
私も個人的には船着き場というイメージを全面的に出したかったのですが、今の日本の状況では船を日常生活の中で利用できる方はごく一部に限られているので、船着き場だけでなくかなり幅広い活動拠点であるというイメージを打ち出しましょうという経緯がございます。
前田(学芸出版社):
岡村さんのご質問は、地下1階にできる情報発信基地を、これから中野さんたちが充実させていくというお話しなのでしょうが、どうもその具体的なイメージがわかない、これで誰もが集い交流する駅と言えるのか?ということなのだと思います。その点について、どなたかコメントいただけないでしょうか。
高原:
「川の駅」というネーミングが決まったのは、1ヶ月前のことです。実際のところ、デザインを進めていく中で東京の「川の駅」をイメージしたことはないです。
最後に、事業者も含めた話し合いの席で「ここの名前はどうしよう」という時に、「川の駅」という名前が候補に上がってきたのです。一般の人には「道の駅」というネーミングが定着しているし、「川の駅」ならすんなり分かってもらえるんじゃないかということで決まりました。設計した人間としても、分かりにくい施設は良くないと思っていますし、専門家だけが分かる施設より、名前を聞いて一般の方にも分かってもらえる施設が一番いいのではないかと考えて、「川の駅」の名前に賛成しました。
大阪では「川の駅」はここが最初なので、「川の駅」と聞いたときに一般の方々がすぐイメージできるような活動をしていただければと期待しております。
中野恒明:
「川の駅」のコンセプトから見ると、はちけんやは理想的な存在だと思います。これからは、中野さんを始めとするNPOの方々がここに常駐されて活動することで、市民の方々が気楽に来て楽しめるのではないかと期待しています。
また、雁木も作られましたので、小型の船やボートなどもここに気楽に来られるのではないでしょうか。とにかく、ここに来れば船を着けて休むことができる、つまり本来の「川の駅」の機能がすべて備わっている理想型だと感じております。
私としてはここをどんどん推奨していきたいと思っていますし、みなさんもどんどん使うことで本来の「川の駅」が出来てくると思っています。今後の活躍を期待しています。
NPOの中野さんにうかがいますが、NPOの事業収支はどのように考えておられますか。
中野弘巳:
この施設は情報発信施設として400平米が設けられていて、このうちの250平米が国の管理下に置かれます。残りの川に面した150平米が私たちが収益事業を行ってもいいとされている場所です。ですから、この150平米で収益を上げて、全体の400平米の維持管理をしていきなさい、という条件の下で提案することになっています。「維持管理」とはどこまでを指すのかという問題もあるし、展示を行うにあたってもどこまでを維持管理とするのかという議論はしていかないといけないのですが、今決まっている枠組みとしてはそういう形です。
今のところ、交渉中ですからはっきり決まっていないのですが、前提としては国や公共から助成をもらって何かしていこうというものではないですね。150平米の所で収益を上げて、それで全体をまかなっていくということが前提になっています。
津野:
今の中野さんの話に関連しての質問ですが、中野さんの話の中に「アイデアの提供」という言葉がありましたし、吉野さんの話の中に「八軒家浜の歴史的な位置づけ」ということが出てきました。
熊野古道の出発点ということからもはちけんやは歴史的に重要な場所にあるのですが、そうした歴史的な施設のために京阪やその他の企業、府や市などの公共から寄付金を引き出すことはできないでしょうか。もっと歴史を尊重して、そうした歴史文化を伝える情報発信の場であってほしいとも思うのです。
前田(学芸):
関連してお聞きしたいのですが、フランス料理のお店の借り賃はそのままこの施設の維持・管理費用として使うだけで、NPOには回ってこないのでしょうか。高級レストランが必要かどうかは別として、その収益で儲からないNPOを支えるためにテナントとして呼んできたんじゃないんですか。
吉野:
私も言える立場じゃないので感想として申し上げます。
フランス料理の事業は、建物の建設費を民間から出すので、建物を寄付してもらった後は安い賃料(あるいは使用料)という形で還元して民間事業の収支がトントンになるというスキームと聞いています。
ただ、民間NPOが、この場所で文化・歴史的に関わる公益的な活動をするので、国や府、あるいは民間セクターからどんどん事業費を取ってくるというのは可能だと思います。是非、いろんな所から予算を取ってきて思い存分活用して欲しいと思います。でも、博物館的なことは民間には無理としてもソフトで頑張って欲しいと思います。
建築の設計をしております。以前、いくつかの劇場の仕事に携わったときに、ただの箱もの事業にならないように、住民参加を含めていろいろ考えたことがあります。今回、建物が完成後にソフトで頑張りたいというお話しが出ていましたが、B1階のソフトの検討がないままでの設計過程での支障や不満はおありだったのかどうか。設計の方にとって、何が出来るか分からないというところでわだかまりはなかったのでしょうか。
次の質問ですが、住民や行政との話し合いの中で、そういうソフトに関する話題は出てこなかったのでしょうか。あるいはソフトの検討を同時に始めることができなかったのでしょうか。
最後に「仕込み」をメインにした提案は、飽きられないようにきめ細かく提供するプログラムを替えていくことが大切と考えますが、NPOがそこで何年活動できるかが気になります。
高原:
設計の時点でのフラストレーションは、いっぱいありました。ただ、自分たちで使っていくスペースになるのだから自分たちで作っていきましょうという状況だったので、白紙の状態からソフトを考えながらのスタートは、それはそれで良かったのだと考えています。
事前のソフトに関する検討はなかったかという点については、これは努力はされていました。住民の方々はいろんな勉強会を重ねて検討しておられたのですが、いかんせん、どれだけお金がかけられるのかわからないなど様々なハードルがあって、イニシアティブをとる人もいなかったことから、はっきりしたことが決まりませんでした。しかし、「ここが大事な場所だ」という思いはみんな共通して持っていたので、決してソフトを軽視していたわけではありません。
実は昨日、この場所で納涼会をやったのですが、なかなか自分たちで使うって難しいなと感じたところです。「おもてなし」スペースにしたいと設計したつもりでも、実際に使ってみると思ったようにはならないということを実感してしまいました。ソフトは難しいと思いますが、それをうまくやって欲しいと願っているところです。
中野弘巳:
大阪府と国とまだ実際の契約を結んでない状態なのですが、私たちが公募した時点では250平米の部分は国が展示も含めて主導権を持って何かやるということでした。私たちも何かアイデアを出していいよと言われていたのですが、150平米の所以外にも口出しするのはなかなかやれなかったというのが実際のところです。
テーマとしては遊び方、楽しみ方をメインにと言っていますが、見て勉強するという形よりも、次のアクションにつながるような活動ができないかと考えています。我われのグループには設計やデザインに関係している人もたくさんいますので、しつらい的にそういうことができないかと議論している状況です。
ソフトのあり方については、先ほど配られたパンフレット「地元案内人とゆくほんまもんの大阪ツアー OSAKA旅めがね」が参考になりそうです。これは、水都大阪2009実行委員会が主催、NPOの大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会、大阪シティクルーズ推進協議会が協力していますので、はちけんやがこれから行おうとしているソフトの一端が理解できるのではないかと思います。
さて、水辺のまちづくりについてはJUDIでも20年前から話題にしていましたが、やっと今頃になって実現できることになりました。なぜこんなにも時間がかかるのかについては、いろんなことが背景にあるので、その辺についても考察してみてはどうかと思います。
実を言うと、お役所に金がなくなってきたのも良いことかなと思ってまして、もしも予算が潤沢だとこういう計画を実現させてくれない可能性もあるんですよね。そういうことも面白い点だと考えました。
今日は時間が限られた中、興味深い話題を提供して頂いた吉野さん、高原さん、中野さんありがとうございました。
■なぜ船着き場と施設が離れているのか
津野英男(E横会、東横堀川再生協議会):
ただ既存の大型の遊覧船は、雁木には着岸しにくいので、既存の船はすぐ上流の八軒家浜船着場を発着するという形になると思います。
■「川の駅」とは何か?
岡村昇二:
■NPOの事業収支について
難波:
■ソフトに合わせた設計は出来なかったのか
伊熊昌治:
■締めくくりコメント
鳴海:
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