地方都市での「議論と合意」の景観まちづくり
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紛争以前の伊賀市のまちづくり

 

■伊賀市の町並み

 最初の事例は、伊賀市で起きた上野天神祭巡行路の高層マンションと訴訟の話です。

 伊賀は、ご存知の通り忍者の里として有名で、それがひとつの観光資源にもなっています。その伊賀を代表するお祭りが、毎年秋に行われる上野天神祭です。これは大規模に行われるお祭りで、それを見るために毎年多くの人が伊賀を訪れます。そのお祭りが通る巡行路という伊賀にとっては大変重要な町並みのところに、高層マンションが建設されるという問題が起きてしまいました。これは裁判にまで至った事例です。

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近世の城下町の地図(出典:上野市将来都市設備構想策定調査報告書) 上野城下町の都市空間の近現代化-市街地の拡大
 
 左の写真は昔の絵図を今の地図上に当てはめた地図ですが、お城の南側に「本町通り」「二の町通り」「三の町通り」という通りがあります。この三本の通りが町人町の中でも格の高い道で、祭が巡行するルートとして決められています。ですから、伊賀の人びとにとっても、この三本の通りはいつまでも大切に残しておきたいという思いがありました。

 高層マンションはその三の町通り沿いに計画されました。三の町通りの近くには寺町通りというお寺がたくさん集結しているエリアがあり、かつての歴史的な面影を十分残している所で、マンション建設の影響は大きいことが容易に想像できました。

 右の写真に見るように伊賀上野の城下町も他の城下町と同様に、近代化する中で土地利用がどんどん変わっていき、町並みも変わっていきました。もともと町人地だった所は商業系+住居系の指定、武家地だった所は住宅地として受け継がれていたりする事例もありますが、伊賀の場合は武家地が解体されて商業地となっている事例も多いです。寺社地は住居系の土地利用が指定されて、面影がよく残っています。

 町人地は昔の面影が比較的よく残っているのですが、残念ながら武家地は解体され、昔の面影を群として感じるエリアはあまり残っていない状況です。そういった状況であるからこそ、お祭りが通る町人地の雰囲気は多くの人にとって子どもの頃から見ている大切な生活景を形成していると見ていいのではないか思います。


■紛争以前のまちづくり

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景観形成に関するまちづくり施策・事業 城下町景観コンテスト だんじりの映える景観大賞
 
 マンション紛争が起きる以前から、伊賀市は景観形成に関するまちづくり事業に取り組んできていました。

 ここに挙げたのはその代表的なものですが、平成に入ってから本格的に景観づくりに取り組んでいるようです(なお、左の写真には上野市という名称が入っていますが、現在は合併して伊賀市になっています)。

 旧上野市時代にも地域住宅計画(HOPE計画)や市民と一緒になって景観大賞を設けるなど、景観資源を活用した様々な地域づくりに取り組んできました。

 平成13年度には「上野市ふるさと景観条例」を制定したのですが、残念ながら景観の重点地区として指定されていないエリアで、マンション建設の問題が起きてしまったという事情です。また、後ほど説明しますが、この景観条例は景観法ができる前の条例ですから、建築の届け出に関しても強制力がありません。マンション業者もその辺の事情をよく知っており、強制力がない景観条例を逆手にとって誠意のない対応をしました。

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上野市ウオーキング・トレイル事業
 
 ウオーキング・トレイル事業は平成8年度から始まったものですが、ちょうどこの頃から私も上野市のまちづくりに本格的に関わるようになりました。この事業までは、まちづくりは一部の市民だけでやられていたのですが、公開ワークショップが全国的に盛んに行われるようになってきて、まちづくりをみんなでやっていこうという雰囲気が出てきた時期だったと思います。上野でも公開ワークショップでまちづくりの整備事業のあり方を決めていこうということになり、平成8年に初めて公共事業の計画策定に当たってのワークショップを開いて市民の方に集まってもらいました。

 今、伊賀市に行って頂くと、ウオーキング・トレイル事業で整備された空間が実現されています。先ほどお話した本町通り、二の町通り、三の町通りのエリアもこの事業の重点的なエリアとして位置づけられています。伊賀上野城の回りをぐるっと回れるような形でルート整備をいたしました。

 マンション紛争が裁判まで行った後、景観計画のエリアを決めるときにこのウオーキング・トレイル事業のルートも決め手の一つとなって相当広範囲にわたって高さ規制を入れた景観計画に対する住民のみなさんの合意をとることができました。そういうことにもつながっていった事業ではなかったかと思います。

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整備前の寺町の様子(1998) 整備後の様子
 
 左の写真は1998年の寺町の様子です。他の地方都市も同様だと思いますが、当時の上野市の寺町もだいぶくたびれているというのが私の第一印象でした。とてもいい歴史資源で、みんなが子どもの頃から見ている町の原風景の一つだと思いますが、この頃は寺町が主役になるような景観整備がされていませんので、電柱も遠慮なく立ってますし道路の舗装もつぎはぎだらけという状況で、これだと寺町を訪れた人もまた来ようという気にはならないでしょう。こういう場所もウオーキング・トレイル事業で整備するのに絶好の場所ですので、市民のみなさんとお話しして、寺町を重点地区として整備していこうということになりました。

 お寺の住職さんとも何回もお話しをして、電柱はお寺の敷地の中に引き込むことで合意し、今では狭い道がだいぶ広くなって遮るものがない青い空を取り戻すことができました。道路は、脱色アスファルトの舗装を施し、当時INAXが出していた土を固めてタタキの原理で作ったブロックを両側に敷きました。お金をかけることはできませんでしたが、最低限のお金でも寺町らしい雰囲気の景観を取り戻して整備できたということです。

 ちなみに、この写真には写っていませんが、実はくだんのマンションはこのエリアからも見ることができて、やはり大きな問題だと思います。

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上野城西大手門広場デザインワークショップ 上野城西大手門広場・整備後
 
 その後、次の重点地区として選んだのが、城下町の中心にある崇廣堂という昔の藩校の前の赤門通りと呼ばれている道路で、この事業では、上野城西大手門広場と命名したところです。崇廣堂は国の史跡に指定されている重要な文化財なのですが、残念ながら国の史跡でありながら正面のアプローチ道路には不法駐車はいっぱいだし、たび重なる工事のせいで道路面が波打ってかなりゆがんでおり、市民からも歩きにくいというクレームが出るようなありさまでした。おまけに、近鉄の踏みきりが歩道の真ん中にあるせいで、踏みきりを横断する際にはいったん歩道から車道に降りないといけない構造になっていました。

 このように不具合がいろいろとあり、とても史跡を気持ちよく歩いて散策していただける環境にはありませんでしたので、ちゃんと整備していこうということになりました。

 いろいろ話し合った結果、車道は必要最低限の広さにしていこうということになり、車道を3m狭めて残りの3mを歩道に持っていき、片側の歩道を2.5mから5.5mに拡大しました。拡幅された歩道をまっすぐ行くと、正面に崇廣堂の門が見えるようにしました。また、歩道には桜を植樹しました。崇廣堂の後ろには、春の桜で有名な伊賀上野城がありますから、そうした伊賀の雰囲気に合うような景観づくりを心がけました。

 その他にも、いろいろなサイン整備をしていきました。


■紛争前からあった景観条例

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文化財の指定・登録 伊賀市ふるさと景観条例
 
 三重県の歴史的な町の中でも今日紹介する伊賀市と松阪市は突出して文化財の多い地域です。その理由としては、戦災に遭っていないことが大きな理由としてあげられます。伊勢市や津市も歴史的な町なのですが、戦災時にかなり消失してしまい、歴史的な雰囲気を感じる生活景は残念ながらわずかな所にして残っていません。

 その点、伊賀市と松阪市は町の骨格がとても良く残っております。町の姿が徐々に変わってきているとは言え、あちこちに歴史的な建物が残っており、今から頑張れば生活景を活かしたまちづくりができる地域だと考えています。また、伊賀の方は教育にも力を入れていたようで、明治の頃の学校建築も文化財に指定されています。これも伊賀の方々が、地元から知識人を出したいという熱意の表れで、こうした学校にもお金を出していい学校を作っていこうとした姿勢が文化財として残ったのではないかと思います。

 今、伊賀市では景観計画ができていますが、この景観計画は景観法ができる前の景観条例を受け継ぐ形で、マンション紛争等を予防するための高さ規制を取り入れた景観計画としてつくり直したものです。

 街道沿いに赤い色で塗られている大和街道沿線地区、寺町地区、伊賀街道沿線地区の三つの地区は景観計画ができる前から条例にもとづく重点地区として町並み保存に積極的に取り組んできたエリアです。ただ、やはりこれらは全体から見るとほんの一部で、景観の取り組みから漏れている地区はたくさんあります。その対象とならなかったエリアからマンション問題が起きてしまったのです。

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