マンション建設は、伊賀上野城を望むことができる主要道路沿いの景観のいいところを狙われてしまいました。市民のみなさんとしても、いつまでも大切にしたい生活景だったところです。
主な経緯を話しますと、このマンション建設予定地は相生町で長く経営されていた料理旅館が閉鎖し、跡継ぎの人もいなかったことから、土地が売却されてしまったのです。こういう話は地方都市ならどこでも起こりうる話だと思います。料理旅館の時代は和風の建物で、景観に関しては何も問題がありませんでした。しかし、土地を買ったのが県外のマンション業者の方で、2004年に突然「地上14階建て、高さ43m」の高層マンションの建設計画が発表されたのです。
この予定地の回りはほぼ2階建ての町家や住宅で構成されているエリアですから、そんな所に高さ43mの高層マンションが入ってくるというのは、住民にとっても寝耳に水といった驚きでした。
2004年に景観法ができて、2005年から全面施行となり、2006年以降からは全国的に景観に合った計画をしなければいけなくなりましたので、マンション業者は景観法が全面施行される狭間の時期を狙ったのでしょう。この時点で先ほど紹介した景観条例があり、それに基づいて高さ10m以上の建物は市に届ける規定になっていましたが、あくまでこれは「お願い条例」にすぎません。無視しても市長は勧告は出せますが、その建設行為を止める権限がないのです。ですから、マンション業者は事前の届け出をせず、先に建築確認を取って、それが降りてから市に届け出をしてきたという経緯です。こうした経緯を踏むマンション建設が紛争を引き起こしているのは各地で多々あり、それが景観法を生み出すひとつの背景だったと思います。
伊賀市としては、届け出を受理した後、景観審議会を催して審議致しました。当然審議会でも43mの高層マンションは認められないということで、計画の再考を求めるための指導文書を業者に送付しました。また、住民との説明会で話し合いをするようにとも促しました。その説明会でも、高さを含めて計画の再考を求める意見が出されましたが、マンション業者としては高さは一切変更なし、色彩については配慮するという回答でした。高さを下げると売り上げに影響することから、業者は一切譲らず、住民との議論も平行線のまま終わった形になりました。 上野天神祭巡行路の高層マンション建設と訴訟
■主な経緯
では、ここから景観紛争の話に入っていきます。
|
写真がマンションが建つ前の料理旅館だった頃の建物です。廃業後、第三者を経由してこの土地に縁のない県外のマンション業者が土地を購入したのです。
| ||
|
写真はその正面に建つ町家で、このあたりは所々に、このようないい雰囲気の町家が残っている地域です。
| ||
|
この土地は売りに出されてからしばらく買い手がつかなかったのか、あるいはマンション業者が購入後もしばらく計画を発表しなかったのか、しばらく空き地になっていました。
|
マンション完成後 | 前を通るお祭り |
43mを20mに下げることができたのは、住民運動の大きな成果だとは思いますが、しかしこうしてお祭りの写真を見ると、やはりこの地域ではボリュームが大きすぎると感じます。日本の伝統的なお祭りは木造建築の大きさに合わせてだんじりの大きさなども設計されていますから、伝統的な町並みの中を歩いてこそデザインのバランスや素晴らしさが感じられるものだと思います。こういう高層建築の足下を伝統的なお祭りが練り歩くというのは、デザイン的にもスケール的にも合っていないということが右の写真から見て取れるのではないかと思います。市民の方々も、失ったものの大きさにお祭りの時に気づくようです。
また、気になるのがお祭りの様子をマンションのベランダから見下ろす人びとです。だんじりが通るときは住人がベランダに出て見下ろすのですが、そもそもお祭りの行列は上から見下ろすものではないのです。これは、他の土地の歴史的なお祭りもそうだと思うのですが、神様に奉納するものですから、下から見上げるということは許されても上から見下ろすことは許されてなかった文化だと思いますので、お祭りを上から見るのが当たり前という感覚が出てくるのは、文化の継承においても問題だと思うのです。