都市の自由空間
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はじめに

 

■都市の自由空間の出版

鳴海

 このほど、三十年近く前に出した本を新しく書き直し『都市の自由空間』として上梓いたしました。前書きにも書いたのですが、前の本は、私自身いま読んでも古さを感じない内容です。これはどういうことを意味しているかを考えると、なかなか悩ましいことです。書かれている内容が、時代に左右されない、基本的なことという見方もできますが、30年経ってもアーバンデザインの世界はあまり進歩していないと言うこともできます。

 普通の都市計画の教科書にある空間の記述の仕方とは大分違っていますので、学生さんに読んでもらうのが良いのではないかというコメントを多くの大学の先生方からいただきました。


■一貫した街路や広場への関心

 私は一貫して街路や広場に関心がありました。私は、高校を卒業して、青森県の当時人口が12、13万人という小さな町から京都にきました。京都で暮らし、時に大阪に行ってみて、人の多さにまず目を見張り、「大都市にはたくさんの人が生きているんだ」ということを実感した次第です。大都市では、当時、路上やパブリックスペースでお金を稼いでいる人がいっぱいいました。そうしたことは田舎の町ではなかなか見られないことでした。

 日本では最近までそうでしたし、外国の都市でも、パブリックスペースでお金を稼ぐ人たちをたくさん見ることができます。パブリックスペースが人を養うことができるのです。そのようなことから、街路や広場がもっとも都市的な空間ではないかと私には思えました。


■社会的文化的現象としてとらえる

 都市空間は、社会の仕組みや私たちの生活が反映したものであり、その意味できわめて文化的な現象なのです。「自由空間」もそういうふうにとらえ、社会的であり文化的なものだと考えました。

 ですから、魅力的な自由空間を作り出すためには、単に空間を設計するだけでは実現できないのです。社会的文化的な現象として組み立てるという認識がないと、なかなか実現できません。

 私たちプランナーの大先輩でこのことをよく認識していたのは、ケビン・リンチで、彼は「人類学的都市デザインをする」と言っていました。彼の本を1960年代に読んで、私も人類学的アーバンデザインを目指したいと思った次第です。そんなことも、その後の研究に多少反映しているように思います。

     
     〈自由空間に至る研究の経緯〉
    1968 卒業論文「ちびっこ広場」
    1968 共同で行った卒業設計「河原町みちにわ計画」
    1970 修士論文「移動商業施設」
    1979 博士論文「都市の自由空間」
 
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