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| 人びとが参集する自由空間の成立 |
そうした展開は、それぞれの文化や文明によって違ってくると思いますが、日本の神様などはあちこちにいて、その時々に神様がやってくる場所を「社」としました。社とはもともと「神を迎える建物を建てる場所」を意味し、建物という意味ではないのです。
そうした空間には必ず人が大勢やってきますし、そうすると「取引」が始まります。なぜ取引がそこで行われるかも面白い理由があって、取引には必ず公平さが必要になってきますので、取引を神様の前で行うことによって神様が公平さを保証してくれるという考え方が古くからあったようです。交易は神の見ている場所で行うというのは日本だけでなく、外国でもそういう傾向があったようです。ですから、聖なる自由空間は商業の場所にも変わっていくことになるのです。
そして、宗教的また商業的に人で賑わってくると、そこが社交の場になっていくのも当然考えられることです。日本では「歌垣」の場が重要な社交空間の一つでした。つまり、ボーイフレンド、ガールフレンドを見つける場所にもなっていくのです。将来の連れ合いを見つける場所がないと、人が集まって暮らす仕組みが成り立ちません。レヴィ・ストロースが「円形の集落は結婚相手を見つけるための構造だ」と説明していましたが、結婚する相手を如何にみつけるかは、その人にとって重要であると同時に、社会にとっても大事なことでした。そのための仕組みが必要なのです。集落の規模が小さい場合は、よそから結婚相手を見つけなければいけない、そういう認識がありました。そこで、歌垣という行事が生まれてきたといいます。自由空間は異性を見つけるための場所という役割も出てきたわけです。
ですから、自由空間は単に歩くだけの道ではなく、宗教という聖、商売をする市、異性を求めるための歌垣のための空間でもあったのです。フレーザーの本にあったアマゾンの集落の聖なる空間の構造とも繋がりがあるのかなあ、とも考えました。
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日本の都市にヨーロッパの広場に類似するものはないだろうかといろいろ探して、京都の鴨の河原に思い至りました。 鴨川は、河川改修する前はとても広い川幅でして、水が少ない時期は広い中州がありました。ここで絵のように茶店が出たり芝居小屋が出たりして、いろんな芸能をする人たちが生まれていきました。 鴨川の面白さの一つは「主がいない土地、無主の土地」だったことです。つまり、ここで何かをやって儲けても税金がかからないのです。ですから資本のない人たちが大勢集まって、自分の技と芸だけで生きていく空間が出来上がっていったのです。造園の技能を持った人たちもこういう場所から生まれてきたらしいというのも面白いことだと思います。
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| 浅草寺 昔(出典:『新版江戸名所図会下巻』角川書店、1975) | 浅草寺 現在 |
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| 手押し車アーバニズム |
写真はニューヨークのユニオンスクエアで開かれているグリーンマーケットです。もともとユニオンスクエアは由緒ある公園でしたが、それがとても荒廃してしまったそうです。そこで、MITの建築科を卒業した若い農村出身のコンサルタントが、田舎の仲間と一緒にトラックで農産物を売り始めたのが始まりだったそうです。
やがてその売り方が定着してくると、ユニオンスクエアで市が開かれるようになり、回りの古いビルにしゃれたお店やレストランが開店するようになりました。ビルの上層階にはそうしたライフスタイルを好む人たちが住むようになって、ユニオンスクエアの環境が随分と改善されていったという事例です。「ただトラックの後ろを開けて、そこから直接売る」という所から始まったやり方は「Pushcart urbanism」と呼ばれましたが、これは日本語で言うと「リアカーから始めるまちづくり」といったところでしょうか。
このような「小さい都市再生」はアメリカ各地でたくさん行われているようで、都市のグリーンマーケットは意外に効果をもたらすものだと知ることができました。日本でもフリーマーケットを町の中でうまく使っていけばいいのではないかと思うところです。例えば、福岡に住んでいる私の友人は、フリーマーケットをやりたいと頑張っているのですが、なかなかできないと言っていました。なぜ出来ないのかはもう少し考えていかないといけないのですが。