ここからは、屋根のかかった歩廊を少し見ていきたいと思います。
右はフランスのパリ・コンコルド広場周辺のアーケードです。 屋根のあるミチ空間
■ポルティコ
ポルティコ・ボローニャ大学構内
コンコルド広場周囲のアーケード・パリ
左はイタリアのボローニャ大学構内にあるポルティコです。ボローニャにはこういう屋根のかかったポルティコと呼ばれる歩廊が延べ30キロもあると聞いたことがあります。
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写真のような小さいパサージュは商店街ではありません。日本で言う路地として成立していたパサージュもたくさんあります。こういうところでは、家具とかパリブランドの小物などを作る職人さんの仕事場がたくさん入っているのです。
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パリのパサージュの影響を受けて誕生したのが、イタリア・ミラノのガレリアです。モスクワにもグム百貨店というすごいのもあったそうですが、それもパサージュの影響ということです。
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ルドルフスキーの有名な著書『人間のための街路』の中で、大阪の日除けがあげられていました。この本によると「日本人ほど街路のデコレーションが好きな国民もいないだろう。毎日のようにどこかで必ず祭りがあり、街路の変装が要求され、あるいは少なくとも祭日気分を出すことが要求されている」とあります。 説明はちょっと間違っているとも思いますが、ルドルフスキーは日本の街路を構成する装置の多様さに気がついたというか、関心を持ったということが分かりました。
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ところで、そういうパサージュのある商業ギャラリーはアメリカにも伝播して、写真のようなアーケード空間が各地に誕生しました。
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弘前市(青森県)に出現したアーケード、1965、出典:『町誌−中土手町物語』弘前市中土手町町会・弘前市中土手町商店街振興組合、1970) |
この頃、昭和40年頃に作られたアーケードは日本中にたくさんあります。そして今、アーケードが老朽化して取り替えないといけない時期になっているのですが、各地域の商店街は歯抜け状態になってしまって、新しくアーケードを作る費用が足りない、作ったとしてもメンテナンス費用が出せないという状況です。
アーケードを撤去した街並み(弘前市) |
アーケード以前は、弘前にも「小見世」と呼ばれた古い木造の伝統的アーケードはあったのです。ところが、「木造は火事の時危ない」「暗い」ということを東京からやってきた商業コンサルタントが強く主張したらしいんです。そしてアメリカにあるようなアーケードを日本の都市にも作らなければならないと言ったそうで、弘前の商店街の人たちは古いものを全部とってモダンなアーケードにしたという次第です。
どちらが良かったのかは分かりませんが、当時の商店街の人たちも相当考えて作っていたということが分かります。もちろん、黒石のように古いものを残した町もあります。