交通といえば、今の日本では自動車交通です。歩行者の通行といっても道を歩いてどこかに行くことです。しかし、菊池慎三さんという土木の交通学者が1928年に次のことを指摘していました。
「人間や物資の交通も単に縦の交通に止まるものではない。横の交通すなわち沿道建築物への交通も極めて重要なる意義を有するのである」(菊地慎三著『都市計画と道路行政』崇文堂出版部 1928)。
流れるだけの交通だけでなく、横の交通も大事だとすでに戦前に指摘していたという点で、この人は偉い人だったと思います。道路の役割をちゃんと理解していたわけです。
また、イギリスの都市計画コンサルタントであるデービッド・ラドリンという人は、街路をとても重要視していろんな提案をしました。
「街路は、全く異なる2つの要素を同時にもたらした。それは地域を通り抜ける通過ルートの要素と地域コミュニティの場としての要素である。これらは戦後のプランニングにおいては相容れない要素と見なされてきた。しかし、これが互いに融合し合うのが、街路の高度なマジックなのである」(出典:David Rudlin & Nicholas Falk, "Building the 21st Century Home : The Sustainable Urban Neighbourhood", Architectural Press, 1999)。
つまり、道路は通過とコミュニケーション行為の両方とも受け入れてくれる不思議な空間であると言っていて、その2つが達成されて初めて歩いて楽しい空間が実現できるというわけです。
ヨーロッパにはこうした歩行者モールがたくさんあります。
ちなみに私はある町の歩行者モールの整備に関わったとき、街路灯に電源と水道の栓を仕込んで欲しいと提案し、お店が並ぶ光景を期待したのですが、その後、一度も使われたことがないようです。
写真は、1969年に北海道の旭川市で行われた買物公園の実験です。当時の市長さんがこういうことに関心のある人で、国道を将来は歩行者空間にしたいというまちづくりビジョンを持っていて、実験してみようということになったのです。こういう光景が日本でも見られるのはなかなかいいですよね。
その3年後の1972年には買物公園が恒久化されることになって、基本設計は私の恩師である上田篤先生がされました。私は大学院だったので、この設計にも関わりましたが、写真のような様子で公園となりました。ただ、実際に出来てみると、ちょっと子どもの遊具がいっぱい入りすぎたのは問題だと思ったのですが、そこまでは関与できませんでした。 歩いて楽しい道路
■道路の二つの役割
次の話題は「都市は歩いて楽しくなければいけない」ということです。
■歩行者優先空間
ドイツ・ミュンヘンのノイハウザー通り
ミュンヘンの市役所前広場
1970年にニューヨークで歩行者天国が行われ、それが日本にも影響を与えた。アメリカやヨーロッパではそれ以前から歩行者空間作りが積極的に行われていた。写真は、ヨーロッパ一美しいモールと言われるドイツ・ミュンヘンのノイハウザー通りです。それ以前はヨーロッパ一渋滞のすごい所と言われていたそうですが、ミュンヘンオリンピックのために地下鉄を整備して、その上をこうした歩行者モールにしたのです。
スペイン・バルセロナのランプラス通り
このランプラス通りは、そうした歩行者モール出現の流れにあったわけではなく、もともと散歩道として役割を果たしていた通りでした。ここでいいなあと思うのは、花屋さんやアイスクリームを売っていたりするお店がたくさん並んでいることです。
■買物公園の実験 旭川市(1969年8月)
買物公園の実験 旭川市(1969年8月)
ニューヨークの影響を受けて、東京などで「歩行者天国」が行われ、ブーム化した。それ以前に旭川でユニークな試みが行われた。
ある小学生の詩(実験当時)
買物公園の恒久化(1972年6月)
小学生の詩の中に「ひとばんのうちに 平和通りが こうえんになった」という表現がありますが、これは本当に一晩で何もかも設置しないといけなかったのです。道路を管理している警察がなかなか許可を出さなくて、いよいよ実施が明日に迫ったとき、当時の商工会議所の高齢の会長が「いまだに我が国には士農工商が残っているらしい。……私はどのようにでも責任はとるが、若い芽をつむようなことだけはしないでほしい」と演説をしたというのです。やっと夜中に許可が出て、いっせいに植木を置いて公園の体裁を整えたという事情があります。だから、子どもたちは本当に驚いたんですね。
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なお、京都でも四条通の交通を止めて「四条ひろば」とする実験が、1970年11月3日に実施されました。最近も交通を規制する実験が行われていますが、40年近く前にも行われたのです。。
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