梅田北ヤード2期のグリーンパーク構想
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都市の庭の考え方

 

■参加の経緯

佐々木

 先ほどの篠アさんがお話しされた10年間の闘いのプロセスをお聞きして、本当に驚きました。実は我われがモデル製作に取りかかった時は、そういう詳しい過去のプロセスを聞いていませんでした。とにかく関西経済同友会北ヤード委員会のグリーンパークコンセプトに賛同してモデル図の提案に参加したのです。その8年前、今のお話にありました2002年の北ヤードコンペにも、私はあるグループの一員として参加していました。結果は佳作を戴きました。しかし、2002年のコンペでの提案内容と、8年後の今回、2010年に提案した同じ北ヤードに対する提案内容を比較しますと、私自身の考え方が大きく変わっているのに今、気づきました。

 どこが変ったかといいますと、都市オープンスペースの維持管理、すなわちサステイナビリティ(持続可能性)に初期は注目していませんでしたが、今回は、特にそれに軸心を置いて計画提案しているのです。

 何故かと言うと、今回の提案前後には北ヤードにサッカースタジアムを持ってくる動きがあったり、高層ビル群構想が出てきたり、という状況に対し、これは危険だと思ったからです。それら営業収益が明確な建築施設案に対して、対案のグリーンパークの発想が、従来の公園のように緑の維持管理を財政困難な行政に依存している案では、全く説得力が無い。そのような過去の理想だけの緑に対する発想をもう一度考え直さなくてはいけないと思っていたのです。ちょうどそんな頃にこのお話をいただいたので、これは面白いと参加することに決めました。

 そこで、私のゼミの院生たちに、とにかくグリーンパークコンセプトは面白いからやろうと誘ったのです。 さていざ、この提案を手がけてみると、この北ヤード委員会の計画与条件がまた贅沢なんですよ。お金が儲けられて大阪の経済を活性化させること、敷地の3分の2は緑、建物は低層が絶対条件。必要延べ床面積の広さを見て何という困難な条件だと思いました。おまけに隣には、すでにナレッジ・キャピタルの建設がどんどん進行しているわけです。とどめに、そのモデル提案をする我々には計画作業に対するお金がでません、という条件が付くんです(笑)。無償で引き受けるからには、こちらも本当にボランティアとしての覚悟を決めて取りかからねばなりませんでした。


■人気を集める海外の公園の特徴

 私はランドスケープアーキテクトですから、都市公園とかオープンスペースなど、緑の空間作りをこれまで手がけてきました。そういう積み重ねの中で、海外と日本のオープンスペースではどこが違うのかを考えてみました。

 例えばニューヨークにはブライアントパークという有名な芝生中心の公園があります。この公園はニューヨーク市発足時期にセントラルパークを作るべきだとその建設を提案し、市民運動を起こしたブライアント(William Cullen Bryant)という詩人の名前をあえて付けた公園です。この公園の特徴は全く芝生だけの公園で特別な施設はない。

 スチール製の緑のテーブルもベンチも利用者の好みで自由に移動できます。ただそれだけです。それが沢山の人々を引きつける魅力になっています。

 この公園には、企業からの寄付が多数寄せられています。維持管理のための寄付です。

 また先ほど篠アさんから紹介されたハイラインという立体公園は、ニューヨーク マンハッタン島の中央西側にハイライン(High Line)と呼ばれる鉄道高架跡が1980年代に廃線となり、2003年に国際アイディアコンペが開催され700以上もの提案が寄せられ、

 最終的に2004年にフィールド・オペレーションズ案が選ばれたものです。

 この公園は、今やセントラルパーク以上の観光メッカになり、夜間も多くの人で賑わっています。先日もJUDIメンバーの長町さんらがここを訪れて、夜の公園の様子をフェイスブックで紹介していましたが、本当に多くの人々が集まっています。設計者は、ペンシルベニア大学教授でランドスケープアーキテクトのジェームス・コナーです。発表時はその優れたデザインが評判になったのですが、よく調べてみるとブライアントパークと同じように寄付行為とサポーター組織によって、しっかり維持管理も支えられているということが分かってきました。

 そこで今回、私たちが提案したのは、「都市の庭」というテーマです。


■都市の庭とは

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図1 都市の庭
 
 第1期のプロジェクトでは市民に開かれたオープンスペースがありません。オープンスペースは2期に依存した空間構成です。これに対し、市民が自由に利用でき、交流の場所となり思い思いの使い方ができるオープンスペースとして「都市の庭」を提案したわけです。


■従来の都市公園の限界を考える

 今回の2期開発は、大阪駅前が3度目の失敗をしてはいけない場所です。

 大阪駅前での1回目の失敗というのは、1981年に完成した大阪駅前再開発事業による4つの大阪駅前ビルです。第1から第4ビルまで地上12階、地下6階と、容積率いっぱいの商業施設を詰め込みました。それが現在どうなっているかというと、シャッター通りのありさまです。どの階に行ってもどんどんテナントが撤退している。もちろん当時は一等地だけに、容積をいっぱい取って大阪の華やかな未来ビジョンを描いた再開発ビルだったんですが、実際の使い勝手は本当に悪い。それにオープンスペースも緑も何もなくて、ビル群の中に入るとコンクリートの箱に囲われた感じになります。それが大阪駅前の第1回目の失敗だと思います。

 2回目の失敗というのは、実はあまり言いたくないけど北ヤードの1期開発だろうと私は考えています。また、1回目と同じ失敗を繰り返しているんじゃないだろうか。なるほどここには緑があるのですが、この緑というのが御堂筋をちょっと広げたような歩道の緑と屋上庭園に過ぎない。つまり地上でつながる緑のオープンスペースがないのです。本来なら地上で繋がって一般市民がどんどん利用できる緑の広場があるべきです。2期開発にそれを期待するような開発ではいけないと思うのです。

 いったい緑とは、人々にとってどういう存在なのか。どうも我われは緑のオープンスペースというのは「傷ついた都市を癒すだけの存在」だと思っているんじゃないでしょうか。そういう思いでいる限り、緑は永遠にお化粧にしか過ぎないでしょう。当初は、格好良いビジュアルな絵は描けても、緑、つまり木というのは生きていますから維持管理しないと3〜5年後には、人がとても入れない密林になります。特に芝生空間は手入れをしないと公園ではなく、雑草の荒野になります。

 つまり、「維持管理」を確立しない限りは空間としての活用はできないわけです。また一般の都市公園のように運営や管理を公共機関に委ねる現状のままだと、魅力のない死んだような場所になってしまう。緑だけはあるけど、ゴミとバンダリズム(公共物破壊)対策に追われる空間になってしまいます。だから、緑の効果だけを主張するだけではない提案をしなくちゃいけないと考えました。

 鳴海先生が我われの提案発表会(2011年1月18日)の時、「タワーインザパークという発想の限界」ということをおっしゃいました。広大な緑の中にポツンと高層建築を建てる近代モダニズムの発想の限界のことです。ルイス・マンフォードが、緑を面積やボリュームだけで考えることを錯覚だと批判したように、タワーインザパークの問題点は、その緑は誰のものでもない、誰も親しんでいないという結果になりがちです。誰が管理するのか、それを支えるものが明確でない限り、そうした緑や公園の発想では、維持できないのではないか。緑を公として考えるのではなく、市民の暮らしや文化とどのようにかかわるかを考えるべきであると述べられました。私たちも同じ問題点を解くことから考えたのが、この「都市の庭」という提案です。では、内容を説明させていただきます。


■「都市の庭」の考え方

 私たちが提案したのは、民有公共の「都市の庭」ということです。グリーンパークとしての都市の庭は、所有は民有であっても、利用は公共という考え方です。それをあえて、「庭」という言葉で表現しました。

 「都市の庭」は現代の「大名庭園」であるともいえます。これ自身が大阪・梅田の前庭(まえにわ)になるような「都市の庭」にしようということです。が、これは理解していただくためには説明が必要でしょう。

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図2 ソニーセンター
 
 世界のプロジェクトでも、同じ発想を持ったもの、つまり民有公共の都市空間事例は多くあります。例えば、ベルリンのソニーセンター(2000年)がそうです。これは中央のプラザを囲む建物全部をソニーなどの民間企業が持っていますが、真ん中のプラザ(ピーター・ウォーカー設計)は完全に公共に開放されています。維持管理も全て民間が責任を持っています。

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図3 ベルリン/ダイムラー社・クライスラー社本社1997年
 
 ベルリンのダイムラー・クライスラー本社前の広場ですが、前にある広大な水面と公園は全部ダイムラーが管理しています。もちろん、全て公共空間として市民に開放されているのです。

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図4 ディーア社本社配置図
 
 実は民有公共の根拠というのは、もっと以前の1963年のアメリカから始まっているのです。これはアメリカ・イリノイ州のディーア社本社の配置図です。この会社はトラクターとか農機具を作っている会社で、当時はアメリカでもほとんど知られていない存在でした。この会社が広大な敷地を買いまして、建物以外のオープンスペースを全部一般に開放したのです。そしてオープンスペースにはヘンリー・ムーアの彫刻などを置いて、彫刻の庭にしたのです。

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図5 ディーア社アートの庭
 
 庭の中で訪れた人は、自由に動き回れます。ディーア社がなぜこういうことをやったかと言うと、コーポレート・アイデンティティ、つまりCIとしての表現形態だったんですね。企業がもつ特徴や理念をこの庭で表現して、会社の社会に対する存在意義を示したというわけです。つまり、我われの会社は国民に対して公共的な責任を持っている会社なんだ、ということを形で表したい、それがこの空間に現れているのです。当時アメリカでは工場の郊外移転が盛んでしたが、その時自社のCIを多くの会社が表現しました。それがこういう形で生まれてきたのです。

 ところが、この発想は驚くべきことに、実はアメリカだけでなく日本の江戸時代にもあったんです。


■「都市の庭」は現代の「大名庭園」である

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図6 後楽園
 
 写真は、岡山にある大名庭園で有名な後楽園です。一般的な大名庭園では、将軍がお越しの時にはこのような庭に招待しました。つまり賓客接待の場所として庭園を造ったと言われています。一般には大名の個人的な趣味で誕生したとも思われているのですが、後楽園はそうじゃなかったんです。後楽園の持ち主だった大名、池田斉成などは池泉回遊式の庭園で、日を定めて藩内の人々を対象に園内の公開を行い、ここでイベントを催したと言われています。要するに、藩主はそういう形で美しい庭園を社会的な存在として位置づけていたのです。またそれが自分自身のステータスと考えていたとも言われています。

 こういう歴史が日本にもあったと考えるならば、我われは同じことを2期でもできるんじゃないかと思いました。それが「現代の大名庭園」と述べた理由です。

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