文化としての釣り、生業としての釣り |
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この絵の様子を見ると分かるように、これは遊びの釣りですよね。漁業としての釣りではない。これらの絵のように、女性や老人など様々な人がハゼを釣っています。それを船の上で天ぷらにして食べたのかどうかは分かりませんが、こういう遊びとしての釣りがとても賑わっていたようです。今でも武庫川や淀川の河口からちょっと上がった所ではハゼがよく釣れますね。ハゼは江戸のころの大坂ではいっぱい釣れたんだと思います。
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先ほど鯉掴み漁を図解でお見せしましたが、「摂津名所図絵」にも大和田の鯉掴みがあって風物詩としてけっこう有名だったことが分かります。巨大な鯉を抱えて捕っていますが、大きいから釣るわけにもいかなくて人が捕まえている様子が面白かったのでしょう。
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こういう名所図絵には、尼崎や西宮沖のいろんな釣りや漁の様子が出てきます。
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これも西宮の入江で白魚を獲っている様子です。西宮の方が大坂の方よりも美味しそうな魚が獲れているなと思ってしまいます。
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これも「摂津名所図絵」に載った有名な風物詩のようで、兵庫の生け簀です。獲れた魚を生け簀に入れて売っていた様子が描かれています。西宮から兵庫など西の方は、大坂湾岸よりも上等な魚が捕れたのだろうと思います。 実はこのあたりの漁師と大坂の漁師は、しょっちゅう喧嘩をしていたのです。堺あるいは尼崎・西宮の漁師の記録があるので、その辺の関係も調べたら分かるのですが、まだそこまで私のスタディが進んでいません。
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ところで、漁師ではない一般の人がどう釣りを楽しんでいたのかの資料がなかなか見つからなかったのですが、こういう絵本があります。これは、『宝暦期上方子供絵本十種』の中に出てくる図です。「加茂川の水きやらくさき汗ぬぐい」というのは、京都の加茂川は染め物の染料の臭いがして臭い、それに比べ大坂の子どもたちは同じ川ならハゼが釣れる川がいいとからかっているのでしょう。京都と大坂を比較した絵本の一枚ですね。絵では子供と一緒に釣具屋さんの様子が描かれていますが、生活の中での釣りの絵が大坂では非常に少ないです。 右上は、「浪花百景」の中の一枚で投網をしている漁師さんの絵です。船の中に客がいるようですから、捕った魚を船で食べさせている可能性がありますね。 右下も「浪花百景」からの一枚ですが、絵に見える釣り竿を抱えた男性は漁師ではないでしょう。遊びで釣りをしている人を描いた画かなと思いました。
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左の「木津川口 千本松」はハゼ釣りをしているおじいちゃんの絵です。これも漁師を描いたのではなく、遊びの釣りを描いたもののようですね。右上の「あみ島風景」は、橋の上で釣り竿を担いだ人が通っていて、この人も遊びらしいなと思いました。 左下は、暦の絵に釣りのイラストが描かれたものです。「市岡 岡釣りの図」とあって、岡から釣り糸を垂らしている様子です。
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左は「住吉沖 鯨之図」です。明和3年、天明7年に住吉沖に鯨が現れたことがあったようで、住吉神社はそれを記念した「鯨踊り」というのがあって、2011年に57年ぶりに復活したようです。 右は、文政年間に書かれた釣りの本に掲載された釣り針屋さんの広告です。京都の店ですね。複雑な針がいろいろ売られていたのだから、遊びとしての釣りをやっていた人はいっぱいいたに違いないのですが、釣りの様子を描いた文献や絵がないというのが不思議です。
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何羨録(かせんろく) 庄内藩の釣り |
「何羨録」という文書があります。これは津軽采女という、吉良上野介の娘婿で陸奥黒石藩の領主だった人が書いたものです。この人が釣りキチガイで、釣りに関するすごい本を書いています。釣り好きの人たちには有名な本で、絵入りで書かれたとても面白い本です。
「庄内藩の釣り」も有名でした。享保3年(1718)には庄内藩主自ら温海地域で釣りを行うようになって、磯釣りは庄内藩の武士階級全てに普及しました。庄内藩の軍学師範であった秋保親友は『野合日記』に次のような言葉を記しています。
「名竿は名刀より得難し、子孫はこれを粗末に取り扱うべからず」。
「竿に上中下の三品あり、その品に名竿あり、美竿あり、曲竿あり」。
これらの言葉からわかるように、庄内産の竿にはとても高い物があるようです。庄内藩では藩士の磯釣りが武道のように「釣道」として奨励し、磯釣りを「勝負」として競ったほどだそうです。庄内藩のように釣りを奨励した藩は他にはありません。一方、江戸では釣りが盛んで、随筆に書かれたり図会に描かれたりしました。文化として深化したといえます。ところが同じようなものを大阪で探したんですが見つかりませんでした。
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北斎が描いた「隅田川両岸一覧」です。何を捕っているのかよく分かりませんが、女性達が釣りに興じているのが江戸の釣りの普及の度合いを示しています。
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同じく、浮世絵に描かれた釣りの絵です。右の絵では、旅館のテラスから釣り糸を垂らしていて、こちらも女性が主役で描かれています。浮世絵で釣りを描いた文献リストも作られているほど、江戸ではたくさんの釣りの記録があります。しかし、大阪では先ほどお見せした絵がせいぜいで、文字で記録されたものはほとんどありませんでした。
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福町ではもうそこに漁村があったことを感じさせるものはありませんが、古い集落があってそこに写真のような神社があります。そのなかに奉納されていた古い石柱には「魚親会」という名前が見られ、やはり魚に関係のある人々が訪れる神社なのだと感じました。
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現地に行って気がついたのですが、水産加工の古い工場もけっこう町中に点在しています。
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集落の街角には、こういううなぎ屋さんもあります。普通にうなぎ屋さんをイメージしたのでは出てこない店構えで、やはりこういう店が昔から地元で親しまれてきたのかなと思ったりしました。
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昔はここに漁船が溜まっていたのですよね。今も少しは漁船もあるのではが、大多数はレジャーボートなどの舟溜まりになっています。
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ここに「大阪市漁業協同組合」の建物があります。ここが長く漁協の拠点になっていたようですね。
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「克政」というのは、漁協の中のふぐ料理屋さんです。一度テレビで紹介されたことがあるとも聞きました。中に入って調べてみるとけっこうなお値段でした。一度食べに行こうと思っていますが、まだ行けていません。
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このあたりには古い商家もたくさんあったようで、まだこういう古い店構えのお家も残っています。
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現在の漁協は、大阪北港ヨットハーバーに隣接しています。
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今の漁協はホームページも立ち上げていて、もう一度大阪の漁業を復興させるべく、若い人たちが頑張って活動しているようです。 彼らは長く淀川などで「環境浄化活動」を続けているようで、その取り組みも紹介されていました。
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通信販売サイトも持っています。ここでは、大阪湾で採れた「べっこうしじみ」が売られています。大阪湾ではしじみがこうして売られるぐらいに採れるようになったということで、私も一度取り寄せようかなと思っているところです。でもまだ、取り扱っている商品はこれだけでした。
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「漁法紹介」では、今の組合員がやっている漁の紹介をしています。ヤマトシジミ(べっこうしじみ)、シラス、イカナゴ、スズキ、ボラ、アジ他がこの組合で取り扱っている魚です。組合員は60数名いるということです。けっこう遠くまで出かけて、大がかりな漁をしているようですね。先ほど示したような昔の漁法も、いくつかここで紹介されていました。
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