プランナーとプレイヤーの両立は可能か?
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学生の頃のまちづくりへの関わり

 

■自己紹介

若狭

 紹介頂きました若狭と綱本のうち、僕が若狭です。ただいま角野先生から「二人はいつもコンビで動いている」と紹介して頂いたばかりですが、見てください、紺のジャケットにチノパンという組合せが期せずしてお揃いになりました。まるで漫才師みたいな格好で登場することになってしまいました(笑)。

綱本

 打ち合わせしたわけじゃないんですけどね。

若狭

 出る時に「うわっ一緒や」と気づいてちょっと恥ずかしいんですけど、そういう関係ではないんで、そこだけちょっと言っておきたいと思います(場内失笑)。


■今日のテーマについて

若狭

 では、早速私から今日のテーマについてお話しさせて頂きます。

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 「プランナーとプレイヤーの両立は可能か?」というテーマが、今回角野先生からいただいたお題です。私たちは大学卒業後、10年ぐらいずっとこの「プランナーとプレイヤー」の両方をやってきました。この10年私たちが何をやってきたのか、どんなふうに仕事をしてきて、ちゃんと食えているのか、そういうことを紹介して、その後ディスカッションが出来たらと思います。お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

 まず「プランナーとプレイヤー」という言葉なんですが、私たちなりにこの言葉の定義をさせていただきます。

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 「プレイヤー」というのは、言葉通り「Player」遊んでいる人とも言えますが、活動している人、活動の担い手という意味です。例えば、NPO活動や街のサークル活動などがこれに当てはまると考えてください。街を綺麗に清掃する人たちも街のプレイヤーかもしれないし、街遊びで飲み歩いている人もプレイヤーかもしれないし、そのお店をやっている人もプレイヤーかもしれません。そういうことが、「プレイヤー」の認識です。

 かたや「プランナー」というのは、何でしょう。先ほどご紹介頂きましたように、我われは「地域環境計画研究所」でコンサルタントの仕事をしており、時にはプランナーとして計画づくりのお手伝いをしたり、またコーディネーターと呼ばれていろんな現場に入ったりしています。そういう仕事は「プランナー」の領域だと捉えています。

 この二つの領域でひとつ思っていることは、プレイヤーとして活動している時は「我われは自分たちがやりたいこと」をやっているのであり、それがプレイヤーの領域であるということです。反対に、「これこれをやって欲しい」と人から求められてやっている部分は、プランナーの仕事としての領域かなと考えています。

 ただこの二つの領域は、自分たちの中ではきっぱり分かれているわけではありません。「ここからはプランナーの仕事です」となかなか言えないのが、この10年間なんです。二つの領域の円が重なる部分を行ったり来たりしながら、この10年間を過ごしてきました。だから今日は、そのもやもやした感じも含めてみなさんと共有し、こういうやり方があるのではないかという意見も交換できたらと思っています。

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 さて、プレイヤーとしての我われの顔は、先ほど紹介頂いた「尼崎南部再生研究室」の運営です。兵庫県尼崎市の南をフィールドに活動しているNPOです。今日みなさんにお配りした緑色の冊子『南部再生』は、我われが出している雑誌です。雑誌発行もNPO活動のひとつです。

 一方、プランナーとしての活動は「地域環境計画研究所」という事務所で、プランナー、コンサルタント、コーディネーターの仕事をしています。こちらの事務所は尼崎の「南武庫之荘」というところにあります。

 ですから、我われは尼崎を基盤に仕事も遊びもさせて頂いているというわけです。

 では、そもそもなぜ我われが大学卒業後、大企業に就職せず、こんな世界に飛び込んでこういうことをやっているか。実は大学時代の体験が原体験としてありまして、そこのところを少しお話しさせて頂きますね。


■きっかけは大学のワークショップ体験

綱本

 話し手が変わりまして、綱本からお話しさせて頂きます。

 今、若狭から「学生の頃に」という言葉が出ましたが、実は僕も若狭も大学の同じゼミの同期生です。ただ学年が少し違いまして、当時僕は大学院生、若狭は学部生でした。

 関西学院大学の総合政策学部(僕らは略して「総政」と呼んでいました)が1995年に設立されました。関学というと西宮のイメージが強いのですが、総合政策学部は兵庫県の三田にあったんですね。そこに着任した僕らの恩師である片寄俊秀先生の「ほんまちラボ」に参加したことが、大きな転機となりました。今日のセミナーにも来て頂いて、僕らとしてはやりづらいなというところですが(笑)。

若狭

 先生、今日はカメラで僕らのこと撮ってますから。すごいことですよ、恩師にカメラで撮影してもらうなんて。

綱本

 もともと片寄俊秀先生は長崎総合科学大学でご活躍されていたのですが、総合政策学部が新設されるということで関学に転勤されてこられたんです。

 片寄先生はどちらかと言うと、こういうセミナーのような講義スタイルが大嫌いな先生なんです。人前で喋ることが大嫌いなんですね。むしろ、もっと街の中、現場に身体を置いておきたいというタイプの先生でした。

 そして、総合政策学部の中に野外実習施設として「ほんまちラボ」を設置したのです(1997年)。三田市の旧市街の中には、二、三百年の歴史を誇る商店街がありました。その頃、商店街の中に空き店舗が増えていたのですね。その中にちょうどゼミ室として使えそうな場所があると先生が目を付けまして、商店街の中に「ほんまちラボ」を設置して、そこで都市政策の授業をやろうということになったのです。一口に「総合政策」と申しましても非常に幅が広く、「都市政策」「環境政策」「国際政策」という幅広いジャンルばかりを扱っているのですが、「ほんまちラボ」では主に都市政策のゼミ室として使うことになったのです。

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 その「ほんまちラボ」では、僕たちは本当に面白い体験をさせていただきました。三田市としても初めて地元に大学が出来たことで、いろんなカタチでちやほやしてくれるんですよ。学生が商店街にヒアリングに行ったらそれが新聞記事になったりしましたし、夏のイベントに屋台を出したら、それも新聞で取り上げてくれました。写真でお見せしているのは商店街の街路灯ですが、これは老朽化していたのを学生たちが新しくデザインして付け替えたのですね。今で言うワークショップみたいなものですね。これも地元の神戸新聞が積極的に記事に書いてくれて、僕らも楽しいだけでなく回りが誉めてくれるもんだから、すっかりその気になりました。「面白いな、こういうことをうまいこと転がして仕事にならないかなあ」とぼんやり考え始めたのがこの頃なんです。

若狭

 学生時代に新聞にバカバカ出るもんですから、その気になりますよね。僕らよりもうちょっと賢い奴らは、その新聞記事を持って大企業の面接に行って受かったりするんですよ。我われはモタモタしていましたから、なんとなく街に引きずられたという部分はありますよねえ。

綱本

 つまり、逃げ遅れたんです(笑)。

 ちなみに「ほんまちラボ」の取り組みは、学芸出版社から『まちづくり道場へようこそ』というタイトルで本にもなり絶賛発売中ですので、よろしかったら一度読んでみてください。

 さて、そういう体験を通して、大学卒業後もどんどん街に関わる仕事を続けていきたいなと思うようになりました。これが「ほんまちラボ」で得た実感でした。

 卒業後に入った会社が「地域環境計画研究所」でした。そこに入って待ち受けていたのが、大学時代とは全然違う話だったんです。

 その話は、また若狭からお話し致します。

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