NPO等での取り組み |
最初は大阪の大正にある京セラドームの近くで台船を浮かべて(もちろん合法的にです!)そこをカフェに変身させるという試みをやってみたのが2003年のことでした。この活動母体は、都市大阪創生研究会です。
(参照:ミニ社会実験:リバーカフェ)。
その後、NPOもうひとつの旅クラブが主体となり、中之島のバラ園に舟屋と船着場がある水陸の拠点を作って、大阪とゆかりのあるいろんな地域の人に来ていただき1ヶ月運営しました(2005年)。
あるいは、ご来光カフェという面白い試みもしてみました(2006年〜)。これは大阪水上バスの淀屋橋港をお借りして、年に8日間だけ早朝にご来光を体感するというカフェです。この8日間に東を見ると、生駒山の稜線から太陽がまっすぐ上るのが見られるんです。朝の5時半オープンで朝の7時半にはもう閉めてしまうというカフェですが、好評のため2006年からずっと続いています。
北浜テラス(2008年〜)は、京都の納涼床をイメージさせる川沿いの川床です。本当は河川区域だからこういう利用は許されないのですが、目の前がバラ園で綺麗なところですし、こういうカフェがあれば街も楽しくなるじゃないかというノリで、いわばお節介的にNPO合同メンバーでプランを作りました。事業計画をつくり許認可の手続きも調べて川沿いのビルオーナーに提案に行ったんです。そうしたら、オーナーらも僕らと同じことを考えていたことが分かりました。その後、実際に川沿いのオーナーが投資し、行政の人は国と調整し法の仕組みを変えるなど、官民共同で川床が常設できる仕組みを作りました。
水辺バルは2011年から始まった試みです。まさに北浜テラスのような水辺から舟が出せる水陸一体の拠点を川沿いにたくさん作っていこうということで始めました。2011年は5ヶ所でトライし、今年は10カ所の船着場と拠点を設置しました。そういう拠点を舟ではしごして、船着場周辺の飲食店をめぐりましょうという試みです。
今年(2012年)に始まったのは、中之島ゲートという試みです。中央卸売市場の前の所を水都大阪の新たな拠点にしていこうという大阪府と大阪商工会議所主催のプロジェクトです。中央市場の食や光(長町さんのデザインです)、海や川の船係留場所の特徴を活かし、海とまちをつなぐ拠点にしていこうという実験です。
公共空間を楽しくするには次のような問題をクリアする必要がありました。いずれの試みも社会実験から始まり、このような問題を一つずつ解決し本設に持ってこれるようにしています。いわば、公共空間を楽しくするために制度やルールを変えていったということです。
公共空間を扱う→公共性 民意(一般大衆)の支持、ルールを運営する行政の支持の両方を意識 対行政の問題ではない、民意を得るために行政とどうタッグを組んで世の中を良くするか 最終は民意、公共性 もともとはコミュニティが担ってきたもの、行政はその代行者 多くの人が、こんな使い方いいよね!と思ってもらえるかどうか いいと思ってもらえる状況を伝える(体験してもらう)→制度設計へ 自由と責任 投資の循環を生む仕組み→継続性 |
写真左下は「野田福島」のプロジェクトです。これは都市創生研究会のメンバーで実施したプロジェクトで、エリアを中之島新線が通る周辺のまち野田福島に絞っていろんなテーマで2年間ほど毎月フリーペーパーを出し続けました。
また私は水都大阪絡みでいろんな人と知り合ったということもあり、今は「OSAKA旅めがね」の運営ボードもやっています(2008年〜)。これはNPOではなく、着地型観光事業としてやっています。
まずは、都市創生研究会の中にリバーカフェのチームがいます。研究会のチームは写真に見えるよりもっと多く、数十人います。その人たちでいろんな活動をやっていました。
それから「NPOもうひとつの旅クラブ」に加わり、また新たなメンバーと一緒に活動を始めました。このNPOと別のNPOとで一緒に始めたのが、北浜テラスです。「もうひとつの旅クラブ」と大阪の他の地域で活動していたメンバーらで一緒に立ち上げたのが「OSAKA旅めがね」です。
「旅めがね」では十数のエリアを抱え、毎週末定常的に大阪のいろんな所を案内しています。まちを案内するには、地域のいろんなお店を訪ね食べ歩きもして詳しくなっているわけです。ですから、水辺バルをやるときは旅めがねの案内人の「どのエリアにどんなおいしい店がある」という情報が大活躍しました。日頃のつながりやノウハウが新しいことを始める時にも役立っているという面があります。それが「水都大阪」の時はさらに大きなネットワークになって続いているという感じです。