仕事はどう変わる、どう変わる |
今からお話することは、都市計画やまちづくりの仕事仲間と話をしても一緒の思いだと共感されることも多く、いろんな人に当てはまるんじゃないかと思います。
例えばいろんなプランを作る仕事があります。都市計画マスタープラン、住宅マスタープラン、緑のマスタープラン、ある地区の再整備プラン、市の公共投資のプランなど、いろんなプランを行政が作るのを手伝います。しかし、そういったプランを作ってもお蔵入りする、またはプランを作ってもそれが活かされている実感がないというのが、仕事をしている中で多くありました。担当者とコンサルが作業をするのですが、そのプランは本当に関係する人に届いていないとか、行政組織内の意思決定があいまいで進まないということがあります。
また、地元に入っても、単年度主義では1年でサヨナラということになります。そうすると、外の人が1年間地元をかき回し、結果的に地域の迷惑になってしまうということもありました。地域問題はいろいろあるのですが、課題設定や解決方法が固定化してしまっていて、どうしようもないということが多くあります。
こうしたやり方では問題解決につながらないことが分かっていても、それが仕様書に書かれていればそれをやるのが仕事ということです。本来はアイディアや実行能力が求められるのに、入札で安かろう悪かろうで決めたプロジェクトではうまくいかないし、その仕様書も大したものになっていない。貴重なお金と時間を使っているのに世の中がよくならない。「誰かが作った仕事を受託している」という受け身の仕事の体験をしているうちに、そういう姿勢の働き方では未来はないと常々考えるようになりました。
拡大投資しても回収が可能な前提で、マスタープランに基づき資金投下して進んできた時代とは異なり、世間にマッチする事業をつくり小さく循環させて一段一段進めていくというやり方が求められている時代ではないでしょうか。
また、外部の開発圧力があるところに都市計画の規制誘導を使ってコントロールするというやり方が昔は有効でしたが、そもそも開発圧力がないのでこの方法が機能しにくい。外部に頼るのではなく、地域の生活者自らが地域を運営し、魅力を継続的に発信し続けなければいけない時代になっています。ですから、まちづくりの主体も今までとは違ってきていますし、その方法論も変わってきたことを知らないといけません。また、その地域の主体は何者なのか、どんなまちを目指しているのか、どんな行動をしているのかを対外的に示し、それを信頼し共感する主体が地域に住んだり投資するという、顔の見える担い手や人格を持ったまちとしてのコミュニケーションも大切になっていると思います。
地域外の人、外から来たおせっかいな人、地域のファンなどが入ってきて、地域で何ができるかをオーナーやスポンサーと一緒に考えるようになっています。その地域に資産はなくても、利用者やアイディアを持つ人が空間に関わる例が多く出てきていると私は感じています。
多様なセクターがいると、それぞれの価値観は異なるので、みなで一つの方向を決めることが難しいんですよね。別々のものを寄せ集めてもなかなか一つにはならないので、それより上位概念というか新しい価値観で各者が納得する提案が求められていると思います。
新たな価値観で合意形成したりエリアマネジメントの能力が求められているのですが、この辺が我々の業界に足りないもので、これからますます求められるようになってくると思います。
こうした能力を発揮するためには、日頃からの地域の信頼を得ておくことが肝要ですよね。また、地域の課題設定が間違っていたら、全然違うところに着地してしまうので、最初の課題設定はとても大切ですし、そのためには地域のメカニズムを理解することが不可欠だと思います。
また個別のテーマで深く掘り下げるのではなく、地域を俯瞰して見るという視点が必要なんじゃないかとも思っています。全国どこでもこのレベルに達するようにしようという「絶対値」よりも、昔からずっと続いている周囲との関係性、人と人との関係性の方がずっと重要になってくるんじゃないでしょうか。
ですから、プランのみでなく、プランに至るプラットフォームやプロセスのデザインが重要になってきます。つまり、主体をどう置くか、テーマをどう置くかみたいなことが大切になってくるのです。
そして実際に事業に落とし込んで、市場にさらして、投資の循環を見る、それを拡げたり恒常的に行うための制度設計や公共性をどこに見出すかなど、現場と公共をつなぐ全体のマネジメントが重要だと考えています。
従来はこういうことを考えなくてもある程度事業が回っていたのだと思いますが、逆に言うとこういうところが今後我々の仕事になっていくんじゃないでしょうか。
この地域力とは、その地域が抱える人口ではなく、その地域に動ける人がどのくらいいるのかがポイントになります。人口が多くても動かない人が多ければ、地域は何も変わりません。日頃から問題意識を持ち何か起こった時すぐ動ける人がいて、そのモチベーションや能力の総体が、その地域の地域力なのです。モチベーションや能力を備えているかがカギになりますので、それらをどう高めていくか(あるいは高い状態のまま保っていくか)が地域力を高めていくことになります。これはゴールがない話なんですよね。
地域力とは「何かモノができたら終わり」ということではなく、地域がある限り続くものです。そうして健全に続く「状態」を作ることが大切なのです。
先ほど例に上げた工場と住宅のトラブルも、工場が海外に出るから住宅が建ってもしょうがない、いや防音改修をすればいい、そもそも住工分離して工業団地に移転したらいい、など言われがちなんですが、単純に相互のコミュニケーション不足だったりします。
昔はもっと煙や音がひどかったんですが、トラブルは少なかったそうです。なぜかというと隣同士との関係性が密だったからですね。今はそうした関係性がないまま隣り合わせに住んでいますから、ちょっとしたことでもトラブルになってしまう。
また、投資がなされるべきエリアに投資できないということが本当の課題ですから、防音対策をしてもまったく問題解決にはならない。土地利用の法制度が時代に合わず不適切なことが問題なのですから、こうした要因に切り込まないと何も解決しないのです。これも、工業地帯の免疫力低下ということじゃないかと思います。地域の力を維持できるベーシックな状況ができてないのです。
あるいは、多くの地方で問題となっている伝統行事の継続が不可能ということ。これも世話係の住民が高齢化してしまったから、新旧住民の意識の差があるからという問題が言われます。これもコミュニケーション不足や新たな担い手の受入の意識不足、そこに生活できる産業があるかなどが本当の要因というのはよくある話です。
しかし、弱った免疫力を強化する方法はそうした専門治療、外科的方法のみでは補えないのです。そこの生活の質をどう高めていくか、コミュニティを日頃からつくっていく、新しい産業を育成する、地域ルールをきちっと作っていく、空間の質を高める、移住や観光などの交流を盛んにする、エリアをマネジメントするなど様々です。その地域にあるものは従来の専門分野から見たら悪い臓器に見えるものでも、それを個性と捉えて活かすことが免疫力を高めることになります。地域を捉える発想が違うのですね。そういう時代に僕らは立たされているのかなと最近よく感じます。
専門分野の最先端技術の専門性を発揮し悪いところを入替えるのが外科医だとすると、地域の筋力を付けるとか健康を保つことの専門性を発揮するのがまち医者のようなもので、そういうことが求められているのではと思います。