まちづくりの「まち医者」
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これから、まち医者になるには?

 

■この仕事はどのくらい広がっているのか。業界の実体について

司会

 今日は、これからのまちづくりを目ざす若い方々も多く参加されています。そういう方から何かご意見、ご質問はありますでしょうか。

篠原(大学生)

 まち医者という仕事についてうかがいます。僕には、水都大阪のディレクターチームにおられるような方々、つまりスター性のある人たちがやれる仕事というふうに見えます。実際、そういう職ってどのくらい広まっているものなんでしょうか。普通の都市計画コンサルタントの人たちが、エリア全体を見るまち医者の仕事にどのくらい乗り出そうとしているのでしょうか。業界の実体というものを教えて頂けたらと思います。

 いいご質問だと思います。今までのテーマ別、公共事業をベースとしたコンサルタントの仕事ではもう限界が来ているというのは、みな認識していると思います。しかし、方針転換して全く違う視点からまちづくりができるかはまた別の問題のようです。

 まち医者というのは地域に入ることが多くなるんです。地域に入ると言うのは、地味でかつ人件費がかかることなんです。昔、事務所にいた時も、デスクワークの調査でお金を稼いでいました。地域の現場に行くのは経費がかかるので、そこでバランスをとっていたような感じがありました。

 大きな事務所になればなるほど事務所全体の運営費や管理費がかかるので、経費がかさむ地域に入り込むスタイルがとりにくいのが現状です。大手シンクタンクだと一人当たり3〜5千万円は調査で稼ぎなさいという話になるのですが、私たちは小さな事務所なので安いコストで現場に関われます。また、専門テーマ縦割りでなくトータルで課題解決を提案できるのも強みです。いい提案をしてプロポーザルで採用されたら、それなりの金額の仕事が取れます。入札はせずに仕事が取れます。それらを積み重ねて、飯が食える状況にしています。まだ多くはないですが、小さいまちづくり事務所やデザイン事務所などでこのような取り組みをしている所もありますし、必要に応じて大規模事務所ともチームを組み、そういう人たちが頑張って良い仕事をしていると思います。

篠原

 そうやって取り組まれているのは分かりました。でも普通の都市計画の仕事だったら、いろんな資格があってその資格があれば一人前として扱われると聞いたことがあります。でもまち医者のような仕事だったら、どうやってお客の信頼を取って仕事に結びつくのかが分かりません。

 今は、すべて人の紹介で仕事が来ています。人の紹介か、プロポーザルで応募したかのどちらかです。だから、受けた仕事できちっと成果を出していくのが、一番の営業だと思っています。営業部隊を何十人も抱えている事務所は存在しますが、そういう所と同じ営業をかけてもかないませんから、いかに良い仕事をしてクライアントに喜んでいただいて、他の人にも紹介してもらうか、です。そのような仕事は、提案内容を評価していただいた適正な費用になります。我われがやっているのはそれだけです。

 もちろん、一番最初に良い人につくことができれば、そこをきっかけに道が開けると思います。僕の場合も、一番最初に出会ったボスやボスの仕事仲間の方々の指導を受けられたのはとてもありがたいと思っています。


■ハードの可能性について

岸田(大学生)

 僕は建築学科で建築を学んでいる学生です。良い建築という言われる物でも、実際は失敗だったと思えるものが世の中にいっぱいあると思いますが、泉さんから見てハードを作る側に対してもどかしいと感じることやご意見はございますか。最初におっしゃった阪神淡路大震災の経験で「日本のハードの脆さが分かった」と言われたことが気になりました。

 これは誰でも経験していることだと思いますが、誰がどう使うのかを想定されないまま出来てしまったハードはよくありますよね。僕はハードについては可能性がたくさんあると思いますし、空間を作ることは重要な要素ですから、もどかしさだけでなく可能性も信じています。

 ハードがどのようなプロセスでデザインされているか、使う人に新しい可能性を誘発するものになり得るかという技術は今後も必要とされてくるでしょう。そしてそういうハードをデザインできる人は、コミュティやソフトの大切さも分かっている人だと思いますね。


■お宝探しについて

岸(近畿大学)

 プログラム最初の現状把握「お宝探し」のことについてうかがいます。地域の人がお宝と思っていたもの、例えば商店街とか公園が現状では良くないということがあると思います。いくら工夫しても良くなる見込みがないとき、お宝である商店街や公園を更地にしてしまって、ゼロから新しいお宝を作り上げるということはあり得るでしょうか。それとも、まちづくりの軸がぶれてしまうからそういうことは成功しないものでしょうか。

 つまり、その地域にお宝がなかった場合、全部クリアランスしてしまうのもひとつの方法ではないかということですね。

 はい。自分たちが自分たちはお宝だと思っていたけれど、改良してみてもあまり地域の人がお宝だと思ってくれない場所。そういう場所ならば思い切って更地にして、自分たちで新しいお宝を作ってみようという考え方は、もともとのまちづくりの発想からはずれてしまうことなのかなあとも思うのですが。

 結局は、お宝とは何かという定義の問題になるのでしょうね。私たちがやっている「お宝探し」というのは、地域の個性を探そうということなんです。それがどこに帰属しているかというと、たいてい人に帰属しているものなんです。単なる空間やモノではなくて、人々がその場所に対してどういうストーリーを持っているか思い入れがあるかがお宝なんです。

 それがまったくないのなら、地域の人と話して最初から作っていくのもひとつの方法だとは思います。しかし、たいてい人が暮らしてきたところには何かがあるんですよ。そして、地域の人は何とも思ってないことでも、外から見ると興味深い資源だということもよくあります。ですから、お宝を見つける時は外部の視点やその地域の人が持っていない価値観の目を入れておけば、結構出てくるものなんですよ。

 それをどういうふうにブラッシュアップすればいいのかは、トライアンドエラーをしていかないといけないのですが。それをやってもどうしようもない時に、今おっしゃったゼロから始めるという方法もありかと思います。

司会

 ただ、普通はトライアンドエラーをやってダメだったら諦めて、その場所は荒廃するに任せるしかないですよね。そういうところに外部の人やお金がやってきて、立派な施設や街を作って人が集まるなんてことにはなりません。

 そうですね。今までは外部からの開発圧力を受け入れて成り立ってきたまちがたくさんあると思うんです。今はその地域の生活者が自らまちを運営し外部に発信していかないと、誰も助けてくれないという状況なんですよね。自らやっていく、何度もチャレンジしていく時代だと思いますし、そういう時に「まち医者」の専門性が求められると思います。

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