大阪の埋め立ての進展とその環境
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3 浅海域の地形断面の変遷プロセス

 

■1)ボーリングコアからの試料の採取(図4参照)

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図4:地形断面の位置とボーリングデータの採集位置
 
 近世前期の九条島上の地形断面を推定するため、大阪市立自然史博物館に保管されているボーリングコアのうち、九条島の海側に展開された干拓地域を含みかつ地盤沈下が沈静化したとされる1980年以降に採集された地点のものを選定した。その結果、(1)下福島中学校、(2)九条北小学校、(3)波除小学校、(4)磯路小学校、(5)田中小学校、(6)築港小学校、(8)南港北中学校において、堆積層の年代推定のための木片や貝殻片等の有機物試料を採取した。


■2)放射性炭素年代測定による堆積層の時代推定

 試料の採取の結果、上記のボーリングコアからは放射性炭素年代測定に必要な量の試料を確保できなかったため、さらに3施設(梅花小学校、平尾小学校、池島南住宅)において測定可能な量の試料を採取した。その結果、試料1(梅花小学校:深度6.15〜6.45m:木片)は679±32calAD、試料2(平尾小学校:深度7.15〜7.45m:貝殻片)は1339±78calAD、試料3(池島南住宅:深度5.15〜5.50m:木片)は288±80calADという、各試料が位置する堆積層の暦年較正年代が得られた。


■3)近世前期の浅海域の地形断面の推定と近代および現代の地形断面の把握(図5参照)

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図5:近世前期・近代・現代の地形断面の変遷
 
(i)近世前期の浅海域の地形断面の推定
 近世前期の浅海域の地形断面は、絵図の中でも特に浅海域に関する情報が多く含まれている1675年の絵図と照らし合わせて作成した。地形断面を描く位置は、(1)下福島中学校と(6)築港小学校を結ぶ直線(A)とし、この線上に(1)〜(6)および(8)のボーリング柱状図を布置した。また、海域の柱状図((7)大阪港大阪区第2区、(9)大阪港沖)に関しては、大阪市立自然史博物館内に該当するものがなかったため、「関西圏地盤情報データベース」から引用し、A上に布置した。さらに、放射性炭素年代測定のための試料を得た3施設の柱状図もA上の同時代に干拓された地点に布置した。

(ii)近代の地形断面の把握
 大阪港を造成するにあたって1894年頃に作成された大阪築港計画図に記載されている海底のコンターラインから地盤高を読み取り、近世前期からの堆積層を描写した。また、この頃の堤防の形態は旧状と大差ないという記述があることから、1675年の絵図と同じ堤を描いた。堤の位置は、浅海域の平面的な変遷プロセスの調査で用いた1886年の地形図における海岸線とAの交点とした。

(iii)現代の地形断面の把握
 (1)〜(9)の柱状図の各最上部を線でつなぐとともに、(6)より沖側の地盤高は堤防工事断面図や海図等の港湾資料から再現した。

(iv)各年代の地形断面
 以上の結果をもとに、図5に示す各時代の地形断面を作成した。近世前期においては、1675年の絵図の記載から、九条島沖に造られた新田の海際に高さ約3mの堤が築かれていた様子を描写した。近代については、沖側への堆積の進行に応じて新田開発が進み、浅海域に干潟が拡がる様子を示している。現代の地形断面については、沿岸部の護岸が直壁で水深は10.8mとなっており、近世にみられた浅海域の葭原が消失したといえる。

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