大阪の埋め立ての進展とその環境
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8 綿作の展開

 

 綿作の展開は単に農家経済を潤したばかりではなく、江戸時代の経済界に大きな影響を与えました。その最も大きなものは、帆船を発達させたことです。綿布の発達する以前の船の帆は菰や筵で、イネ科の植物が材料であったため、雨にあうと重心が上がり、転覆の危険がありました。そのため、櫓を漕ぐ水夫を多数乗せなければならず、航海の所要日数も長かったそうです。綿作の普及とともに17世紀後半から18世紀にかけて、ほとんどの船が綿帆を採用するようになり、これによって水夫の数を減らすことができ、横風や逆風でも航海でき、所要日数を短縮させ、遠距離航海が可能となり、商品流通を促進させました。北陸と大坂とを結ぶ西回り海運が成立できたのも、このような背景があります。

 また、漁業面での影響も大きく、干鰯の需要の増大が、畿内漁民による漁法の改善を促し、綿糸が地曳き網や船曳き網に利用され、多量の鰯を捕れるようになり、その生産物である干鰯は綿の肥料として農村に流通し、綿生産をさらに増大させました。それだけでなく、干鰯需要の増大は、紀州の漁民を中心に関東の漁場への季節的出漁と、出漁地で生産した干鰯の上方への積み出しも促すことにもなりました。

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鰮網(※「日本山海名産名物図絵」より)
 
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永代浜干鰯市(※「摂津名所絵図」より)
 
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