JUDI関西・96年都市環境デザインセミナー
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地区再生と共同化

都市・計画・設計研究所 岩崎俊延

調査地区の概要

 都市・計画・設計研究所の岩崎です。

よろしくお願いします。

   

 都市・計画・設計研究所というのは舌をかむ名前なので、 ウルという愛称で呼んでもらえるようにということで、 資料の中ではアルファベットでUR (ウル)ということで登場します。

   

 お話しする地区は新長田駅の北東に位置しています(図1「大道周辺地区の位置」(46K gif))。

中央幹線である大道通りを挟む区域です。

地区の形を見て、 なんでこんな形の地区が設定されているのかということを疑問に思われるかと思うのですが、 それが私どもがこの地区に関わってきた理由でもあります。

   

 図2「調査地区の位置」(73K gif)を見ていただきますと薄い点々で都市高速道路2号線が示されています。

この都市高速道路2号線は西代公園の真ん中から中央環線の下をぬけて新湊川の左岸へ通ることになっています。

   

 実は震災前からこの高速2号を造るということに関連して周辺沿道地区の整備を考えようということがありました。

そのために住宅市街地総合整備事業を使って、 まちづくりとして対応していこうじゃないかという検討をしておりました。

その調査地区がこの形です。

   

3月26日の説明会

 その整備計画を立てようとしていたところ、 地震が起こったわけです。

どういう格好で進めていこうかを市と協議したのですが、 とにかく地元に行って話をしださないことには前へいかないんじゃないかということになりました。

そこで、 約一年前になりますが3月26日にとにかく地元に対して重点復興地域ということについて、 もしくは住宅市街地総合整備事業について説明をさせてくださいということを呼びかけ、 大集会を開きました。

   

 100人をはるかにこえるたくさんの人が集まってくださいました。

3月26日の時点は、 都市計画事業が17日に決定されたとか、 いろいろなことで、 きな臭いことになっていた時です。

なぜこの黒く塗りつぶした形の南西側くいこんでるところを入れたのかというと、 新長田駅周辺の区画整理事業からはずれた一般の住宅市街地総合整備事業の区域ということになっている地区だからです。

   

 そういうことについての説明したのですが、 一般の方にとって、 これではなんのことか分らないわけです。

一回全部の方々に説明をして、 後はいつでも相談に来てくださいと言っているだけでは駄目だ、 たぶん何にも動かないだろうと考え、 説明会の中で市とその場で相談し、 明日からブロック別の説明会をやろうということをその場で決めました。

自治会の代表の方ともその場で相談したわけです。

そして次の日から22街区のうち居住者が少ないところはまとめ、 12日間連続で昼から晩まで街区ごとの説明会を行ないました。

   

 その説明会の中で、 みんなで力を合わせて復興を一緒に考えましょう、 気がついたら、 どなたかが家が建たずに泣いていたということにならないように、 とにかくみんなで話し合いを始めましょうという呼びかけをさせていただきました。

一周したところで、 第二回目には具体の話をやりだそうと考えたのですが、 動き出したうちの一つの街区が今日これから説明する地区です。

   

共同化が進んだ箇所は少ない

 図3「震災から1年目の記録(地図)」(64K gif)を見てください。

ハッチを入れたり、 丸をつけたりしてるところが震災から一年目の時点で共同化の話し合いは続けよう、 あるいは、 具体の事業を考えようとなっているところです。

比率として多くはありませんし、 これからさらに少なくなっていくと思います。

   

 北のほうに印がついている地区がないのですが、 実は、 2回目の説明会をし始めたところで、 地元の自治会のボスといった感じの方から「いらないことをするな」という抵抗があったためです。

その方々は震災前にまちづくりの勉強会を少しやられていたこともあって、 突然よそから知らないコンサルタントがやってきて、 まちづくりのなんのと、 何を言うんだ、 とにかく待て、 ということでストップをかけられました。

   

 相当長い間ストップをかけられていたために、 その後では当初と同じ話をしようとしても、 もう手遅れになってしまったという所がたくさん出てしまいました。

   

 このように結果的には22街区全部について同じ対応ができてはいないのですが、 とにかく話が決まるところからやっていこうということで動き出しました。

実は昨日正式に決定して頂いたんですが、 住宅・都市整備公団関西支社で事業として進めましょうということで確実に軌道に乗った地区の紹介を今日はさせていただきます。

   

共同化が進んだ地区の概要

 この地区の被災状態は図4「被災状況図」(58K gif)のとおりです。

長田全体がかなり大きな火災にあっていますが、 この大道周辺地区の中で今回共同化の話が固まったところは、 一軒を除いて全焼してしまった地区です。

   

 この地区は住居地域で建ぺい率60%、 容積率200%、 ただし幹線道路の沿道だけ300%になっています。

新用途でも第1種住居で建ぺい率、 容積率は変わっていません。

区画道路につきましては、 さきほどの被災の状況の図でも分りますように100mグリットの道路が耕地整理で造られているのですが、 その街区内については基本的に全部私道です。

幅員3mほどの道が2項道路に指定されていますが、 区画道路は100mグリットだけという状態です。

   

 土地利用の面では、 中央幹線に沿っては少し店舗があったのですが、 大部分が住宅です。

しかし、 後で分ってくるのですが、 住宅だと聞いていたところ、 工場ではなく作業場ですというようなところが、 実は、 なんのことはない工場だというのが多々でてきました。

これは後で共同化をしたときにどうするんだ、 ということで大きな課題になりなした。

   

共同化=共同ビル建設ではない

 この地区にも地主さん、 借家人さんといったいろんな条件の方がおられました。

それも零細からある程度の規模まであったのですが、 いろんな人がとにかく一緒にやれる方法を考えましょうということで呼びかけました。

しかし、 一緒にビルを建てることだけが共同ではないということで、 共同のビルを建てないときにもそのビルを建てることに協力していろいろ考えましょう、 総体が共同ということで話し合いましょうと呼び掛けました。

共同化=共同ビル建設ではないというご理解を頂くために、 当初相当のエネルギーを費やしたのです。

   

 そのうえで3月28日から街区別の説明をしていったのですが、 この地区ではかなり前向きに議論して頂けたので、 月1、 2回のピッチで7回ほど勉強会を行ないました。

その中で基本的には一緒に話していこうということが合意されまして、 地元のほうから組織を作っていこうかということになり、 共同化を目指すまちづくり準備会を結成しようということになりました。

約1haのエリアで、 ひとつの共同ビルを建てるというわけではないということを念頭に、 街区全体でまちづくり協議会の準備会を作りました。

   

 一街区100mグリットですから概ね1haあるわけですが、 その半分ぐらいのエリアで共同ビルを建てようと考えました。

そして、 ほかのところには協力をしてくださいということで話を進めてゆきました。

   

 図5「共同化による復興準備会の活動の流れ」(36K gif)にこの準備会の活動の流れを示しています。

この図にあるように準備会を発足して最初にみんなで考えたのが、 どういう単位で共同化を図るのかというマスタープログラムです。

そのうえで建物を共同化する分については計画の素案を作り、 住宅・都市整備公団と協議をしてゆきましょうという話になりました。

   

住・都公団の協力が決め手に

 ここでなぜ突然住宅・都市整備公団なのかということです。

   

 もともと震災前から住宅市街地総合整備事業でまちづくりの対応をしていこうという計画があったわけですが、 その中で高速道路2号線に関わる権利者の方の受皿住宅を造るために住・都公団さんの協力を得ようということが一つの話としてありました。

   

 一方、 非常にたくさんの権利者がおられ、 容積は200%では等価交換で余剰床が出てきてという話はありえないということと、 かなり借家人さんが多い中で床を分譲で取得していただくということも非常にむずかしい。

むしろ公的な住宅の家賃ベースでないと入居してもらえないだろうということから、 市か、 もしくは住・都公団にやっていだけないかということになりました。

   

 しかし、 少なくとも市では後でにっちもさっちも行かなくなくなる恐れがある。

むしろ、 公団さんの力を借りるほうがいいだろうということを、 あらかじめ、 市と協議しながら考えていました。

公団さんにもあらかじめ、 こう言ったことが進行していけば、 ご協力下さいというお願いをしておりました。

そういうことがありましたので、 公団側の協力をたぶん得られますよということで、 先ほどの図5のフローを書きました。

   

 実は、 この時点で、 公団さんと話はしてますと言いながら、 かなり先走りで地元に説明をしていたのです。

この説明をした次の会ぐらいだったと思いますが、 公団さんとしてはかなり異例も異例なんですが、 地元に対して、 みなさんが話をまとめるということでしたら、 協力しましょうという形で説明に出てきていただきました。

そのことが住民の我々コンサルに対する信頼にもつながり、 何とかなるのではないかということで皆さんが少し希望を持たれたわけです。

   

 ここで公団さんが登場したということが、 大きな前進のためのエポックになりました。

そして、 このフローを考えてみようじゃないかということで、 どんどん話が進み出したというわけです。

   

個別建築ゾーンで共同化に協力していただく

 図6「個別建築ゾーンと共同建築ゾーン」(28K gif)にどういうことをやったかを書いてあります。

   

 西北側に個別建築ゾーンという所があります。

これはみんなで話し合って、 ここを個別建築ゾーンにしましょうと決めたような形に見えますが、 実はこの人たちは相当後まで我々とは敵対する関係でした。

協議会の呼びかけはしたのですが、 「勝手にしといてくれ」「いっさい口出しせんといてくれ」ということで、 入って頂けなかったのです。

   

 ただ、 皆さん方で話し合われて「とにかく建てられるようにしよう、 そのために真ん中の道だけはこうするという約束で建てましょう」ということで音頭をとられる方がおられて、 話ができているのならいいかということで、 置いておいたのです。

   

 しかし実はその音頭をとられた方だけがきちっと建てられて、 他の方はうまく建たないということが、 後で分ってきました。

他の人たちは騙されたということで、 今から共同化に入れないかということを数軒おきにバラバラと言い出されたのです。

それを含めると全体共同化の話が遅れてしまうので、 とりあえずは待ってください、 後で考えましょうということでペンティングにした形で今も進んでいます。

   

 もう一つ南側にある共同化を検討するゾーンというところは、 たぶん市でこういう受皿を後で造ることになるだろうということで、 検討は別途に進めております。

   

 右側の個別建築ゾーンがあるのに、 共同建築ゾーンの北側になぜ個別建築ゾーンをまた置くのだという話ですが、 北角の家が燃え残ったことと、 その北側の道路に面した二軒が「とにかく待ちきれないから先に一戸建を建てます」ということになってしまい、 その他にも図7「既存建物と一戸建て希望者(ハッチ部分)」(55K gif)の真ん中あたりに斜めにハッチをいれてますが、 #マークの48、 7・7、 7・8、 7・9の3Aの方4軒が「いや、 私たちも絶対一戸建」と言い出されました。

   

 先ほどの石関さんのお話の時には、 そういったところを区域除外するという話があったのですが、 ここを区域除外にするとまるで物が建たないため「共同化の話を詰めるまで少なくとも建てるのは待ってください」というお願いを市と我々と一緒になってこの四人に方にいたしまして、 しばらく待ってくださるということになりました。

   

 そして、 待っていただいてる間にマスタープランを作ったのですが、 北側へとにかく移動してくれませんか、 ここの位置で建てるのだけは我慢してください、 そして、 北側のところへ個別建築ゾーンを設定しますので、 そこで建てるという形で協力してくださいということで基本の合意を得ました。

   

 こうしてようやく、 共同建築ができるある程度整形の敷地をセットすることができたということです。

   

 このように、 ここでの共同化には共同ビルへの直接の参加以外にも、 敷地を確保するため一戸建の権利者の方の共同化への協力を得たということが、 ポイントです。

   

事業手法

 この共同化については用地費に対して補助を貰い、 低家賃の賃貸住宅を作っていこうという事業計画を考えました。

当初は賃貸住宅と分譲住宅の部分と、 それから店舗の部分と、 とにかくミックスでやりましょうという話でスタートしました。

   

 基本的には住・都公団に全体を事業としてやっていただこうと考えたわけです。

図8「土地に関する権利の整理方法」(11K gif)に示したようにいったん用地を買収したうえで、 建物を建てて、 賃貸の部分について公団で賃貸経営をする。

分譲については枠を設けてやりましょうという形を想定してスタートしました。

   

 真ん中の戸建ゾーンの人に北側へ寄ってもらうことについては、 図9「真ん中の戸建ゾーンの人に北側へ寄ってもらうにあたっては等価交換と考えた」(6K gif)のように等価交換による敷地の整理と考えています。

実は等価交換なんかになるわけがないわけです。

街区の真ん中の条件の悪いところから、 公道に面した宅地に移るのに、 同じ面積なのです。

なおかつ、 間口は確保してあげましょうという形でやっているわけですから、 等価なはずがないわけですが、 等価であるというふうにみんなで思いこみましょうということにしました。

   

 移る側から言えば建てるのを待っているのだから当然ではないかという気持ちもあったのだと思います。

共同ビルを建てようという側からすると、 とにかくここに居座られたんじゃ物が建たない、 共同化に協力して貰えるんだから等価だということにしておこうということになりました。

   

 ところが実体上は非常にむずかしい問題が残っているのです。

いったいどういう事業で動かすのだ、 区画整理でもないのに換地もできないだろうということです。

この下の底地の地主同士で交換するのかというと、 それがまたできない。

では、 公団が用地買収してから公団の中で敷地をやりとりするのかというと、 それもうまくいかない。

公団さんのほうではそれができない。

それでは市が買っとくかというと、 いや、 何の目的で買うのかという理由がつかないといけない。

   

 聞かれましたら地元の人は怒るでしょうけど、 これはどうもしばらくの間、 ずるずると引き延ばすしかないと。

それで、 本格的な買収のめどがつくまではずるずる行っておこうと。

ただ、 あんまり何もせずにずるずる行っていると、 この人たちが怒り出すので、 手続きは別にして、 ここの位置が最終的にあなたの土地になります、 という測量をやって杭だけ打ってあげました。

それで、 確認申請に先に走ってくださいと、 市のほうはそのことが分ったうえで、 確認おろしますということで待ってもらいながら、 とにかく設計だけは始めたらということになっています。

半分は嘘、 半分は本当なんですけども、 そういう形で合意をしてもらいました。

   

地主さんとの関係

 図7「既存建物と一戸建て希望者(ハッチ部分)」(55K gif)に戻っていただきますと、 左端の一団の土地は一人の地主さんが持っておられます。

しかしその土地の真ん中の私道を挟んで西側はばらばらに個々の人が借地権を持って家を建ててられています。

向かい側は地主さんが上物を建てられて家主になられています。

ですから、 この中にAACとABBとABCの状態があるわけです。

   

 それから、 その横はさっき言いました戸建希望の方のところですが、 その下のところも地主さんは一人とはいえ、 これがまたABC混在型、 右の御船通り四丁目と書いてあるところも地主さん一人なんですが、 借家人が10人。

その下はAAAで、 長田のまちはみんなこうなのですが、 典型的に複雑な権利状態です。

   

 実はここまで地主無視でやったきたのです。

無視というか、 地主さんのところに直接折衝に行っていません。

まちづくり協議会に入ってくださいという呼びかけは当然ながらしていますけれども、 出てこられないので、 むしろ、 こうしてまちづくりしていきましょうということを居住者中心の協議会で進めていきました。

   

 そして、 とにかく話を固めていこうと、 みんなで協力してこうということを上物に住む人で合意して、 そのうえで地主さんご協力頂けませんかという形にしていこうということにしました。

   

 つい最近、 地主さんと上物に住む人との間で借地権の処理について話がほぼできました。

途中までは「勝手なことを言うな」ということが当然あったのですが、 居住者のほうがきっちりと話合いをして全員の合意ができて、 という状況を見る中で、 地主さんが考え方を変えてくださり、 協力しようという形になってくださいました。

   

 ただ、 その中で途中で足踏みをしたことがあります。

   

 震災直後に、 地主さんの合意を得ずにプレハブを建てた方がおられました。

その人と地主さんとの間で係争が起こり、 そのため地主さんがその処理がつくまでは話ができないということになってしまったのです。

結局係争は途中で打ち切って共同のビルの中にそのもめた人が入るということで、 とりあえず行くことになったのですが、 みなさんは今、 嫌がっておられます。

あの人と一緒になるのは嫌だということです。

そりゃまあまあ置いときましょう、 あとの話ということを言っているのですが、 たぶんこれから先にそれがまた大きな問題になるかと思います。

   

市と公団のバックアップ

 もう一つ問題があります。

図7の7・4〜7・5の宅地をぐるりとまわして8の街路沿へ持ってこようということになっているのですが、 8の土地の地主さんはお一人ですが上に借地権が乗っているのです。

しかも、 借地権が横向きに短冊型になっている土地を縦に割り直そうというわけですから、 これは普通はできません。

   

 これがなんとか話になっているのは、 市が始めから全面的にバックアップに入っくださっていて、 行政のほうで何らかの処理はしといてあげようということができているからです。

行政がかんおらず、 我々と地元の人だけだったら、 まず、 できない話です。

   

 借地権からまず整理をしないといけないわけで、 なおかつ分筆して、 線を入れ直してという形をして、 しかも等価といってもその交換に税金がかかる、 という心配をしなければいけないわけです。

こうしたことをいっさい後回しにしてしまって、 公団さんが用地買収した中で切り替えをしましたという形に後で処理しましょうということでできているのです。

それができなかったら、 この話ないだろうなと思います。

   

 これは、 市がバックアップで付いてるのと、 最終的に公団さんがその辺も全部あわせ呑んでやりましょうと言ってくださっているので何とかなっていると思います。

   

 そういった意味である種非常に特殊解になっていると思います。

   

分譲棟が取りやめに

 図10「アンケート」(HTML)は途中で皆さんにアンケートをして、 どれがいいですかとお聞きした時のものです。

皆さんは床の量がどうこうよりも、 家賃がどうこうよりも、 やっぱり真ん中のやつがいいなということでした。

秋ぐらいの時点では、 とにかく入れたらという気持ちよりは、 できあがる建物がある程度かっこがいいほうが良いという気持ちももち出されてました。

   

 この真ん中の案は分譲棟と賃貸棟とに別れているのですが、 この話でいこうという形で決まったところで、 公団の方から事業計画の提案をしていただきました。

   

 ところが、 公団からは最初の提案の居住者用の賃貸住宅・分譲住宅という案に対して、 賃貸住宅だけに変えられないかというお話があったわけです。

実際上、 需要を考えると分譲と賃貸にするのはむずかしいため、 シンプルなシステムにしていきたいという提案でした。

そうでないとやれませんという話なのです。

   

 これを受けて、 とにかく自分たちで話し合ってみましょう。

それから、 分譲がよいという希望をもう一度確認しましょうということになったのです。

   

 結果は分譲を希望される方が少なくなってきまして、 余計に分譲を続けられなくなってしまいました。

当初は分譲を希望の方が20人ぐらいおられたのですが、 最後は8人位まで減ってしまいました。

これでは分譲棟を建てるともの凄く高くなってしまいます。

これはだめだなということで分譲を諦めませんかという話し合いをして、 全部賃貸でいこうという形で話を決めました。

   

 当初は、 賃貸も分譲も借家経営も全部ミックスしてやりましょうという話で、 それなら乗りましょうということでスタートしています。

それが、 みんな賃貸になってしまい、 結果的には騙したことになりました。

しかし、 そのほうがいいと。

安い家賃で入れるなら、 それもいいじゃないか。

元通りみんな一緒に戻れるんならいいじゃないかということで、 積極的に合意をしようという話になっています。

   

まとめ

 図11「現時点での完成予想模型」(11K jpg)に真ん中に屋根がかかってる模型がありますが、 これから変更になりますが、 これくらいの建物を建てましょうということになりました。

   

 この経過を振り返りますと、 共同建だけが共同ではないということ、 それから、 ともに働く方の協働としては、 公団と我々コンサルと地元の役割分担もかなりできてきたということです。

   

 地元の借家人さん、 地主さん全部で「みんなで元のまちに住むために一緒に考えよう」という話し合いの努力が育ち、 当初は全部我々がしたのですが、 協議会についても、 地元の方の主体性も育ったというように感じています。

   

 今一番大きな問題は、 最初にちょっと言いました作業所というのが、 実は工場(こうば)だったことです。

大型の電動ミシンなので、 本当に仲良くみんなの中で生活できるか分らない。

それから、 用途の面でも、 本当に上手くいくのかという課題が残っています。

   

 また、 入居権ですね。

どの人たちがどういうふうに入る権利を持ってるのかということ、 本当に戻れるのかということです。

   

 もう一つ元々あった問題なんですが、 そもそもが高速2号線を造るために立ち退きになった人の受皿にしようという話が始めにあるわけです。

そのことが本当は市の一番の課題であったのですが、 それを前面に出すと、 この話が前に行かなかったわけです。

   

 ずっと隠していたいと、 失礼かも知れませんけど置いてきたわけです。

   

 実際上、 誰を一番優先しなくてはいけないかというと、 高速2号線の立ち退きにあう人全員を入れてあげなければいけない、 そうでないと市としたら何のためにやったか分らないようになる。

   

 しかし、 実は誰でも彼でも入れてあげようというような戸数が残らなかった。

そういうことでは、 地区全体の受皿にはなっていません。

容積200%の条件ではそんなに住宅ができないということなんです。

今、 皆さんは信じられないくらい紳士的に、 いいじゃないかという話をしてくださっているんですが、 最後に確定する時点まで、 このままの状態でいけるかどうかということです。

   

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