JUDI関西・96年都市環境デザインセミナー
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本山センチュリーマンション

概要

 本山の例は本山センチュリーマンションという名前で、 JR本山の駅から、 すぐ近くにあります。

敷地面積は2000m2ぐらいの町場のマンションとしては大きいといった程度の規模のものです。

   

 従前は7階建で、 一階の半分がちょっと半地下の駐車場、 残り半分が住宅の囲み型タイプですが、 中庭には全然光が入らないというような、 ほとんどオープンスペースがない、 べちゃっとした形になっています。

独立した街区ではないのですけども、 敷地を囲んで三方が道路に面していて、 片方は隣地なのですが、 四角い囲み型の住宅になっています。

昭和47年に竣工していますから、 基準法が整備されている頃ということもあって、 たぶん駆けこみでつくられたマンションだと思います。

   

 驚くことにというか、 それが当たり前なのかよく分りませんけども、 北向きの部屋もたくさんありました。

つまり皆が南を向いていないということ。

それが良い悪いはよく分らないけども、 需要があったことは確かなのです。

北向きの35m2のマンションが、 つい一年前に2000万円で売買されていたと言います。

   

 建物は鉄骨で、 いわゆるスタッコ調の吹き付けです。

我々から見るとたいしたマンションじゃないと思うのですが、 住民に言わせれば、 相当資産価値としてはあったマンションなのだそうです。

先ほども言いましたように、 そのマンションが、 200%のところに463%建っているという話を持ちこまれた時、 正直なところ悩みました。

   

解体決議まで

 本山のマンションは全壊でした。

破壊状況は1階のピロティ部分が全部壊れて、 住居部分が1mぐらいの空間を残して全部壊れて、 柱が2階に突き抜けたというような形の壊れかたです。

知らない人が安否を気遣ってきたら、 ちゃんと建ってると一見見える形です。

1階だけがなくなって完全にストンと落ちてしまったと、 一瞬そんな感じになるようなものでした。

   

 これを公費解体するために、 四カ月ぐらいの歳月を彼らは使ったわけです。

驚くべきことに、 全て自分たちでやったのです。

   

 マンションの理事長は、 特別なことがないかぎりは、 周り持ちでやってますから、 女の方だったわけです。

その女の方が地震の直後に、 これは私の手におえないということを考えられました。

   

 日頃住んでいる中で目をつけていた何人かのしっかりした人たちの一人と、 呆然と立ち尽くしている中で、 偶然隣同士になって、 「再建は任せるからやってほしい」と、 その時に依頼されたのです。

   

 彼らは再建のための集会をつくって、 まず一番最初に、 再建のためにどういう体制でやるかという人的整備をやったわけです。

それで45から50ぐらいの元気な人が3人、 理事長、 副理事長という形で組みまして、 それをサポートする形で、 ご高齢の方とか、 女性の方とかを混ぜた体制を組まれました。

そしてとりあえず、 解体の作業を自分たちでやって、 解体の作業が一段落つきそうな目処が立ったころに、 ではどうやって建替えるのが良いのかという話になったそうです。

   

 そういうことはまったく知らない人たちですが、 いろいろ彼らなりに調べて、 とりあえず設計事務所にヒアリングしてみようということになったらしいのです。

   

係わりの始まり

 それぞれの方がコンタクトが取れる設計事務所、 あるいは支援したい人たちもいただろうし、 それからゼネコンなんかは「全部ワンパックでやらしてくれ」みたいなのが来ていたようです。

だからどれを選んだらいいのかが分らない。

最終的に120世帯の人たちに理解してもらえる、 あるいは自信持って、 これがいい、 あるいは納得できる、 公平感を持ってできるものは何なのか、 ということをヒアリングするところから始まったのです。

   

 私自身は直接の関係はありませんでした。

岩崎さんや石関さんのように、 すでにその地区で仕事をしていたとか、 公的なところから紹介されたというようなことでもありません。

たまたまその理事長と小、 中、 高、 大学と一緒だった私の友人の建築家が相談に呼ばれて、 僕と一緒に行ってくれということになり、 アドバイスするだけだから、 彼らがどういう方法をとったら一番いいのかを彼らなりに考えてもらおうということで、 一緒に行ったわけです。

しかし、 行って話をしたら、 結局それがヒアリングだったというわけでした。

   

 彼らが考えていたことは、 大体いくらで再建の計画を立ててくれるのかという、 その費用の高い安いで、 いわゆる入札みたいな形で、 決めるのがたぶん公平なのではないかということでした。

あるいは、 そうでもしないと120世帯に説明つかないのではないか。

とにかく一番安いから決める。

実態としてはそうではなかったにしても、 そういうところからスタートしないといけないのではないかということを、 思い悩んでいたようです。

   

 それで他の皆さんはどういうふうにお答えになったのですかと聞きましたら、 「自分たちは設計事務所だから設計しかできない。

事業計画は知らないから、 ゼネコンと組んでやる」。

ゼネコンはゼネコンで「全部ワンパックでやる。

そのほうが安くできる」とか、 訳の分らないことをいうわけです。

   

 どうも今回の震災を見ていると、 「設計・施工」に起因している要素がかなり多いのではないかと思いました。

やはり設計と施工は離したほうがいいのではないかと、 同じ場合でも何かきちんとしたチェック機関がないといけないのではないかと、 直感的にそういうふうに思っていました。

だからお金が高い安いよりも、 事業を進めていくスタンスこそが問題で、 いかに皆が納得できるスタンスをとるかということを考えるところからスタートしたほうがいいのではないかと思う、 ということを言いました。

   

事業として成立させられるか

 我々は設計事務所だから、 それ以外のことは知らないというのは簡単ですが、 それでは再建になりませんから、 これは事業計画というか、 そういうことをやっている人と共同でないとできない。

そういう仕組みを提案してあげることが、 まずできる最大のアドバイスかなと思いました。

   

 ところが、 200%のところに460%建っているわけですから、 とても余剰床なんて発生しないわけです。

そういうマンションをデベロッパーがお手伝いしますなんて言うわけがない。

ゼネコンはゼネコンで本来の仕事は施工することですから、 マンションの再建事業のいろいろな側面を、 仕事として手伝ってくれるのだろうか。

   

 そういう意味で、 日本の場合には今のところ、 集合住宅をやっていて、 なおかつ住民とともに手を携えてやるという体制、 組織がないわけです。

   

 あるとすれば組合施工の再開発が少し近いのかもしれませんが、 これはどちらかというと資産とか財産とか、 そういうものが今までは勝っていたきらいがあります。

今回は生活の再建というもう一つ違うフレーズだと思うのですが、 そこでは従来の経験がストレートには生かせない。

だけれども、 事業の仕組みとしては生かせるのではないかということで、 再開発に経験の深いコンサルに一緒にやってほしいと頼んでみました。

   

 とりあえずアドバイスでスタートするとは言っても、 絵を描いたり、 シミュレーションしてみないと大まかなことだって分らない。

いったいどうしたら良いのか。

敵はお金払うと言ってるけれども、 いくら貰えばいいのか分らないというところから、 スタートしたわけです。

しかも僕がお願いしたところは割と大きな組織の会社の方で、 会社の中でのいろいろな立場があるだろうと思って、 会社としてやってほしいとお願いしたのですけども、 たまたま相談した方が、 JUDIのメンバーだったのですが、 何とか後で考えようということになりました。

   

協力ということ

 実はこの後で考えようというのが、 重要なことで、 今までは制度とかがある程度決まっている仕組みの中で、 どれを採用したらいいかというようなことを、 専門家としてやっていくということが多かったわけです。

   

 ところが、 少なくとも今までは余剰床の発生しないマンションの建替え例はなかったわけです。

いずれ、 時間とともに出てくるはずだったのですが、 地震の時点ではなかったわけです。

だから皆経験がないことなのです。

皆経験がないことをやる。

つまり考えながらやるということは、 ある意味でいうと、 共同化とか、 共同で事をする場合に非常に重要なキーワードなのではないかと思うのです。

   

 我々は専門家として協力するわけですけれども、 生活を新たにつくっていく場合の協力でも、 再建する場合の協力でも同じですが、 協力するほうも、 特殊解についての経験はまったくないわけです。

経験したことのないことを一緒に考えながらやっていくというスタンスを絶対に忘れてはいけないと思い始めています。

   

 ある本に海外協力の話が出ていまたした。

海外協力では、 たとえば日本は先進国だから日本の技術を伝えるのだ、 などという形で行くわけですが、 そこで抜け落ちてる部分があります。

基本的には、 彼らが生活をどうつくっていくかということに、 協力するわけなのです。

そうしますと、 日本では空は寒色だと思っているけれどもアフリカに行ったら空が暖色だと思っている、 というような感覚の違いがめちゃくちゃ多いということが重要なことであって、 専門家が協力するといっても相手の文化、 相手の感情に沿ってやらないと本当の協力にならないということがその本に書いてありました。

   

 ああ、 こういうことなんだな、 協力でものをやるというのは、 たぶんそういうことなんだろうなということを何となく一方で考えたのです。

   

 それはたとえば住民のいろんな総会を見てましても、 皆でやるのだからというのが分っている人も、 そうとは思えない人もいます。

分っている人でも「皆でやるのだから我を出すまい」という人と、 だけれども言わなければいけないことをちゃんと発言される人がおられます。

   

 一方、 「自分はこうだから絶対こうしてくれないと困る」「他人のことなんか知ったことか。

それに答えてくれるのがあなたたち専門家でしょう。

そうじゃなかったら、 再建ではないじゃないですか」と、 こういうようなことを話している方もいるわけです。

   

 そういう人とどのようにつき合っていったらいのか、 共同して事を運ぶにはどうやったらいいのか、 なかなか悩むわけです。

   

 我々は従来は単純にPublic性や、 公共性の高い、 あるいはまちとか社会とかを口でしゃべりながら、 全体をとにかく自分たちは考えてるのだということを、 自分に言い聞かせながらやってきたわけですが、 全体でこれが正しいのだからということでは、 こういう場面では絶対通用しないのです。

   

容積率460%は過大ではないか

 容積率200%のところに463%の建物を再建するのが、 世の中にとって良いことかどうかが分りません。

我々は常に本当に都市計画にとって良いのかとか、 いろいろ一方で考えています。

でも、 やはりJUDIのメンバーである後藤さんが「そんなこと言っても、 救ってあげるのが一番だ」とおっしゃって、 ちょっと心が動かされて、 やっぱりそうかな、 それはそうなのかなと思いまして、 やはりこれもやりながら考えて解決してこうと自分たちに言い聞かせてスタートしたわけです。

   

 実際にはありとあらゆる知恵をしぼっても425%ぐらいにしか戻らなかったのですけれども、 その時によく考えていただきたいのは、 我々は「都市環境デザイン会議」と言っていますから、 基本的には環境デザインを考えないといけないので、 形の議論もしないといけないし、 デザインの議論もしないといけない。

これから新たに建っていく建物は200%しか建たないまちに建つわけです。

しかも日本の場合は200%使いきっていない建物がほとんどですから、 そういうまちのなかにもともと7階建のベタッとしたマンションが建っている姿は、 それだけでも相当なものです。

   

 そのうえ今度は、 公開空地をとれば震災復興のため特例も認めてあげますという政策で建替えるわけです。

そのための公開空地は、 46%の公開空地なんです。

つまり土地の半分が公開空地にならないと建たないわけです。

震災復興の総合設計というのは相当な割り増しになっています。

従前の一般的な総合設計であれば、 46%の公開空地でも260%ぐらいしか建たないのです。

仮に従前の総合設計で90%の公開空地をとったとしても、 350%の容積率しか取れないのです。

それが一気に緩和されたことによって46%の公開空地で425%にふえているのですが、 よく考えてみたら半分空地ができたというだけですから、 その空地を除いたら800%の建物が建っているのと同じことだということです。

それはスゴイことですよね。

まちに建っている建築は建ぺい率が80%とかでしょうから、 このマンションは敷地の8倍建ってしまうようなものなのです。

   

 その建物を造るわけですから、 これはもう徹底的に分割して建てるしかないなと、 まちのスケールに合わせるために、 とにかく小さく分けようとということです。

   

分棟するということ

 もう一つは、 今回の総合設計は、 従前は現在の日影規制に違反していて既存不適格だったとしても、 従前よりも良くなるのであれば、 認めようではないかという姿勢がありますから、 従前の建物が落としていた影より越えてはいけないが、 その中だったらいいということです。

べちゃと建ってた7階建の建物の再建のために46%の公開空地をとったら、 前の高さ以上に高くなります。

実際には倍ぐらいになるわけです。

影が従前を越えないなんてマジックみたいに最初は思ったのですが、 やってみたらできるのです。

塔状の建物というのは影が動きますから、 意外に大丈夫なのです。

   

 町並みからも、 日影基準をクリアすることからも、 地震ということからみても、 塔状の建物を分棟して建てようということを考えたのです。

   

 従来は建物は分割するより、 大きくまとまっているほうが地震に強いと言われていました。

なぜかというと、 揺られたときに建物には引き抜きが起きるわけですけれども、 柱の数が多いほうが引き抜きに耐えられるという発想だったらしいのです。

私が直感的に思ったのは、 10本の柱で10トンを支えているのと、 100本の柱で100トンを支えているのとを比べると、 持ち上がって傾いて力が集中する時に、 単位あたりにかかる重量は大きい建物のほうが巨大だから、 一番弱いところに力が集中したのではないかということです。

   

 構造の者にそういう話をしますと、 それは構造学的に説明できないと言います。

しかし私は直感的に思いましたし、 町並みということも考えて、 わざと形を変えて、 隙間をあけて、 ずらして、 みたいな形で、 とにかく小さく分割して塔状に建てるしかない。

9階建と12階建と12階建の塔状をともかく分棟するように建てて、 なおかつ、 その延長線上で言うと、 特殊解の120軒のために、 120軒の家を用意するのは、 建築家としては当たり前のことだと、 それを何とかやらないといけないと考えました。

   

戸別設計

 それは、 ひとつは元々住んでおられた生活スタイルがあるということです。

お金とか抵当権とか、 ヒアリングの結果を見てみますと、 同じ平米数でも特殊解しかないのです。

標準解はないのです。

標準解がもしあるとすれば、 賃貸にまわしてる人だけでして、 そこで生活している人にとっては標準解がないということが段々わかってきたのです。

   

 幸いなことに、 今回の震災復興のマンションは金融公庫を使って再建されます。

たとえば2月のある時期に、 再建決議がとれて、 基本設計が大体OKになるわけです。

皆早く復興したいから、 早く詳細設計に入れと言われるわけですが、 金融公庫の制度というものがありまして、 事業承認や、 設計審査がありますから、 4、 5カ月待たなければならないのです。

   

 これはある面で良いことだと思うのです。

決まったらすぐ建てようというのが一方では少し問題で、 決まったら次のステージが当然いります。

皆が合意したのは基本的な、 全体のことです。

個別のことはそれからまたやらなければいけないわけです。

   

 金融公庫の関係で着工は8月。

6月ぐらいまでに詳細設計をやれば良い。

これだったら、 全部やってしまおうみたいな話もあって、 やりだしたのです。

   

 プランが違うと言っても、 私の家はこう凄く豪華にしたいとかそういったことではなく、 部屋の使い方とか空間の利用の仕方とか家族構成に応じた空間の利用の仕方というのはどうなのかといった話を行なっています。

   

 お話ししたいのは、 共同にとってもこれが重要だということです。

たとえば全体総会では、 パンチングメタルみたいな冷たい材料は死んでもいやだと言い張ってた人がいるといったように、 120人も特殊解がいるわけだから、 全体の中で話せる話はある一部なのです。

   

 たとえば80歳の高齢の方と非常に若い人、 独りで住んでいる方、 いろんな方がいますよね。

その人たちが住むマンションを、 延藤さんがやっていらっしゃるようなコーポラティブみたいに、 それぞれの立場で考えたらいいじゃないかというわけには仲々いかないのです。

彼らは全人生の中で、 そのマンションというものに重きをおいている部分があります。

それはたんに生活だけじゃないところもあります。

都市のマンションはそういうわけにはいかないのです。

住むというだけではないトータルな資産、 安全あるいは高齢化に備えるなどいろんな意味があるから、 一概にそれを否定するわけにはいかない。

自分が住むのだけれども、 自分だけの専用住宅ではなくて、 いずれ人の手に渡っていくような住まい方というのは都市の住宅として当然あってしかるべきです。

   

 そういうもののデザインの仕方というものはいろいろあるわけですが、 再建マンションでは延藤安弘型のコーポラティブではなかなかいけない。

とりあえず住宅の中は何でもいいんだけれども、 外はある種共通した、 皆さんが納得する考え方で、 まとめていかなければいけない。

先ほども言いましたように、 分棟にして、 形も変え、 色も変えというのも一応提案しているのですが、 そういうことが全体集会では仲々分かってもらえません。

相手の文化とか感情に沿って話をしようと思うと、 とてもそういうことはできないわけです。

そういう機会として一人一人の人と話をすることは非常に重要だと思うのです。

   

 その時に、 全体でこういうマンションを造りたいという我々が考えたことを1人ずつに話してもあまり意味がありません。

朝から晩まで何日も何日も話を聞く。

1時間、 2時間話す人もいれば、 20分ぐらいで帰る人もいらっしゃるけれど、 「あなたのところのプランはどうしましょう」「何人いるの」「どうやって生活するの」「将来どうするの」みたいに彼らが価値を持っている生活を媒介にしながら、 設計にかかわるコンタクトの行為こそが、 共同化を進めるもう一つの非常に需要なファクターであり、 みんなが一つに寄り合うきっかけではないかと思うのです。

   

 つまり自分自身の問題から出発して全体にまた戻ってくるということが、 一つのキーワードになるのではないかというふうに思いました。

皆が納得して再建するということは大変なことだというのが一方であります。

すべて共同で彼らもやるし、 我々もやるというやり方を考えることが結果的にある種の新しい集合住宅を造っていくことにつながる。

そのためには、 金融公庫の時間を有効利用しようなどと、 いろいろな作戦を使ったわけです。

   

 しかし金融公庫がそんなに時間をかけなくても事業ができるということになったとしても、 次のステージにいたるための時間が重要なんだということの例証として、 記録していって、 伝えていかなければいけないのではないかというようなことを思っているわけです。

   

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