JUDI関西・96年都市環境デザインセミナー
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質疑応答

ごね得について

佐々木
 私どももいろいろな事業があった時に、 ごね得ということがあるんです。

それで、 ごね得の結果、 移れたとかいう意識を少しでも持たれたら、 困ると。

戸建てゾーンに移られた方々にその意識があったのかなかったのか非常に興味があります。

もしあった場合どういう評価をしたらいいのかというあたりから、 いかがですか。

   

岩崎
 タイミングだと思います。

そういうことにしましょうという提案を我々の方からしたのですが、 おっしゃられたようにもし提案するタイミングが2カ月ずれていたら、 他の人からごね得だと言われたでしょう。

   

 みんながごね得だと思いだす前に、 タイミングをはかって言ってあげないと、 今のようなお話は出てくるだろうと思います。

   

 プレハブを建ててしまった人の場合、 違法行為をしていたのに地主さんと結局和解して共同化の中に入ってこられたのですが、 結果的にごね得だということになっているんでしょうね。

しかし、 みなさんはそういうふうに思わないように自己規制しているんでしょう。

   

 話がある程度まで進んで、 地元の組織が前向きに共同意識を持てばそれほどごね得というふうに見ずに、 しっかり管理してると信じていいと思いますけれども。

   

江川
 その件についてですが、 つくづく思うのは、 これは一種の交渉です。

ごねる、 ごねないを含めてお話しすることは一種の交渉ですよね。

ごねた人の落としどころというか、 おさまりどころをこちらは用意してあげなければいけない。

これが大きなことです。

   

 ごねた人を孤立させないようなことを全体として考えるという姿勢が、 何となく相手を気恥ずかしくさせて、 うまく落としどころに戻ってきてもらえる。

それでその人は戻ってきた時にある種すごく幸せな経験を最終的に持つんですよ。

だから、 まともな話をすることも当然大切なことですが、 ごねた人は駄目だとか良いとかより、 人間と人間とのつき合いとして、 ごねた人をどう気持ちよく受け入れてあげられるか、 それを最初から考えることがごねる人をこちらの方向に向かせることになるのかもわからないですね。

   

佐々木
 住民のまち協の方々と話をするときに、 いつも後藤さんと話が違うんですね。

後藤さんはいつも性悪説で、 いずれエゴが出るから覚悟しなければいけないという話です。

   

 さまざまな特殊解があるとは思うんだけれども、 今の江川さんの話ではそういう人たちも共同化の中に統括していけるようにならないと………

   

江川
 だからね、 事業という側面だけで共同化する人と共同化しない人がグループを作ったら駄目なわけです。

町としてどちらも一種の共同化なんです。

共同化というか協調というか共同化です。

まさにおっしゃるとおり、 そういう仕組みを作っていって、 まとまった人だけの話にしないことが重要です。

ごね得ということは絶対にあってはいけないと私は思いますから。

   

上野
 だけど基本的にはやはり個人がどれだけコストを払って地域の利益を生むのかというバランスの問題ですよね。

結局自分だけでは、 ある利益を追求できないというふうにみんなが悟ったときに初めてうまくいくんです。

   

江川
 個人個人の問題からスタートする体系と全体からスタートする体系が手をつなぎあうことが共同化なのではないでしょうか。

言うのは簡単ですけれども……

   

岩崎
 構成員の方々のお互いの気持ちに対して多様性をどこまで許容できるかとか、 いろいろな人がいるということについて相当幅を持って判断していくことじゃないかと思います。

それをこうでなければならないとみんなが思ってくると、 次から次に皆さんごねたということになるわけです。

   

ごね通した人に対して

江川
 変な話ですけれども、 一人がごねたとしますよね、 すると周りの結束が固まる。

そういう効果もあるから、 あの人のおかげでみんながまとまったということもあるんです。

   

 石関さんの話で1軒だけありましたね。

それに対して駐車場の作り方で配慮しているわけですね。

本当は許されるべきではないと思うんですが。

何か方法はないものでしょうか。

   

石関
 不動産屋がすでに手を打ってたんですよ。

それに対してこちらから少々高くついても買い戻そうということで買いに入ったんですが、 その不動産屋がかなり強い個性を持った不動産屋でして、 どうにも降りてくれなかったんです。

   

 おかしいと言っている間にいろいろな条件をつけて第三者に売ってしまっているんですね。

ただし登記証は書き換えてないというおかしなことをして、 しかもそれに抵当権を設定していました。

   

 これは駄目だ。

見切り発車しよう。

ただし、 被害者は第三者で不動産屋さんにはならないだろう。

だから最小限の配慮だけはしてあげようというので先ほどのような駐車場平面でおいておく。

それから入り口関係で少し工夫をするということであったのです。

   

小林
 その問題の1軒に隣接する3軒を一緒に共同化する意義というのはどうなのだろう。

やり始めたころからやっていたからということでしょうが、 あの三軒をやめてしまえば六軒長屋はそのまま残るわけですよね。

それを長屋で建替えるというのをまた別にしようといったそういう話にはならなかったんですか。

   

 あそこをいれても平面駐車場が6台できただけではないかと見えるんですけれども、 そのへんの状況はどうなんですか。

   

石関
 やはり共同化を目指して進んだという経緯の中から、 部分共同化のメリットを引き出したということです。

   

小林
 あそこに2階建を建てるという案はなかったんですか。

   

石関
 あの容積を全体の集合住宅へ使っています。

あそこは敷地としては充分機能しているのです。

   

江川
 それはある意味でいうと、 あの部分を組みこんだがゆえに、 よりたくさん建てられということになっているということだから、 本当にそれでいいのかなと………

   

小林
 それはそれとして国道沿いに高層住宅が建って奥が駐車場になっている。

裏の通りまで街並みとしてはつながらない形で駐車場となる空き地ができます。

また戸建ての間に駐車場があるのも何か変な感じですよね。

   

石関
 その場合6戸がひとまとまりとして別の作られ方をしていかなければいけないんでしょうね。

   

小林
 総合設計制度は使ったのでしょうか。

   

石関
 使っていません。

299%で事業性が確認できましたから。

   

震災後の特殊な状況だったのか

小林
 江川さんが一人一人の集積で全体ができると言われたこと、 全体の枠の中に個々の建築が一緒に入っているような状況、 まさにそうだと思います。

同じことを長田区の鷹取地区の区画整理事業のコンサルタントをしている建築家の森崎くんがもっとどぎつく言ってます。

   

 彼は全体ではなく個々の人たちの利益の追求が全体に累積される状況をセットしてあげれば良い、 それが建築家の都市計画だと。

   

江川
 それを誘導するような建築を作っているかぎりはそうだと思いますが、 建築家は必ずしもそのようなものは作っていません。

   

 それともう一つ、 個々の利益とおっしゃったわけですが、 そのときの利益の考え方だと僕は思います。

ただ単に資産とか、 そういうものだけが本当に町の人にとっての利益なのかということ、 ある程度違う価値を見いだしてくれるのであれば、 僕はそのほうが絶対おもしろい町ができると思います。

   

 ただし、 いくら共同化をしても、 個人個人が頑張ったとしてもできないアーバンなスケールなものも必ずあるわけです。

   

 それはそのアーバンな計画が建築を規制するのではなく、 むしろ建築の持っている潜在的なポテンシャルを引き出すような、 個々にバラバラに建った建築が集積として非常にいい町になるようなこと。

それこそまさに計画であると思うのです。

   

 マスタープランではなくて、 たとえばある種の敷地条件の読み取りみたいなものを作っていくとか、 そういう場所だったらその場所らしい建物が建つであろうとか。

そういうジャンルが必要なことも確かです。

   

小林
 僕は、 森崎にアホかと言っているんですよ。

そんなことも考えんと建築つくってきたのか、 と言いたいわけです。

   

 マンションにしても色々関わってきたのですが、 結局作ったマンションの標準プランなんて誰も喜んでいない。

そのようなものを作ってきた一端を担ってきたことをどう反省するのか。

   

江川
 変わっていくんでしょうね。

   

小林
 だから、 違うんだよ。

住まいとかそういうものは95%ぐらいは経済原理で動く。

それはもうしょうがない。

そんなことを言っていたら、 我々の仕事がないということになる。

   

 けれどもこういった事例を聞いていると、 結局箱などどうでも良いことで、 そこでどういう生活をするかという話が優先すると。

とりあえず制度はおいといてとか、 登記はどうなるか分らないけれどとか、 経済的な問題をおいてとか、 後で解決したらすむのではと、 まさにそういうことですよね。

   

 そういう仕組みとか経済的な面は生活を保護するためにあるわけで、 後でいいのでは、 ということでいけるわけですよ。

   

 ただしこれは1年間であるからいけたということも言える。

本当にこれからこういう話がいけるのかというと数十年の経験からすると、 もうすぐ忘れるだろうなと。

   

岩崎
 すでに忘れてますよ。

   

小林
 そうなるとたとえば、 先ほどのマンションの中でどこの場所をとるかという話の時に、 まさに区画整理の換地と一緒になる。

今度は、 全部お金に換算してやるしかなくなってくるわけです。

そういう隣人的なお互いの話がなくなってきて、 結局平米単価にかえてしまったら終わりですからね。

   

 それでは先ほど話にでていたおばあちゃんは助からないわけです。

みんなで考えてあげた話がね。

それを公正とか公平とか世間は言わないんですよ。

……たぶんそういうことだと思うんですよ、 共同化が平常時にはなかなかできないという話は。

   

 だとしたら、 どうするか。

そこですよね。

   

江川
 共同化のこの例が特殊解だと言っているのは、 共同化といういろいろな事例の中で一つ一つが特殊解だということもさることながら、 全体として共同化で救うという事すら特殊解、 まれな例だということです。

   

岩崎
 僕が特殊解と言ったのは大道の例は先ほど言いましたように、 市の担当係がずっとついていて、 うちのチームもついていて、 地元の人は被災にあったところだから仕事にもまともに行ってなくてかなり自由に休める。

このような状態が一般にあるはずがないということで特殊解であるということです。

   

 先ほど言いました地元の自治会に邪魔されたところですが、 改心しはったんですよ。

自分たちもやりたいと。

でもやりだしたら、 たった1年もたたないのに同じ論理では動かないんです。

みなさんものすごく計算高くなっています。

横に例があるから同じようにやりましょうというのが、 そうはいかないのです。

   

 もう自分の生活設計を個人個人がある程度スタートした後では、 震災直後の地平では話しができないです。

   

街区単位での共同化に展望があるか

千葉
 岩崎さんおやりになっていることは本当に手がかかるんです。

4000m2も5000m2もの規模で共同化をするということは、 無鉄砲というか。

とにかくまとめる単位が大きくなればなるほど、 条件が2乗3乗のスケールになってしまいます。

その中で本当によくやっておられると思います。

   

 街区として共同化をすることはすばらしいことだと思うし、 そういうふうに本当はして欲しいところがたくさんあるわけです。

こういうことが他のところでできるかどうか、 ご意見お願いします。

   

岩崎
 小さな単位に分けてということについては、 四つか五つの小さいマンションの模型も作って、 それも賛否を問いました。

   

 たしかに最初はあまり高くて大きいのはいやだと、 全然思っている町と違うと言うので、 小さいほうがいいという話もあったのですが、 そうすると元の人はみんな入れません。

とにかくものすごい密度で住んでいますから小さい単位でいくつも建てたら元の人が入れないんですよ。

   

 結局、 議論する中でやっぱりこれは、 ある程度大きくまとまらなければいけないということをみなさんは選択しました。

我々もそのほうが良いと途中から誘導はしましたけれども、 これは去年だからできたことだと思います。

   

 今他のいろんな街区でも同じようなことをやろうと思っているのですが、 すでに家が建っていたり、 なかなか言うことを聞いてくれないので、 元に戻って小さく割ってやろうということをやりかけています。

   

 小さく割って100m区画の中へ、 いくつかの単位でやっていくとしますね。

それでマンションが建ったとしたら、 これは本当に良いのかと途中から疑問になってくるんです。

モザイク模様で5階があって2階があって3階があって、 それも充分にスペースがないからせめて道を通しましょうと、 区画道路を少しとりましょうという話をしだしたんですが、 今度はその負担の公平という話が出てきてうまくいっていないのです。

   

 他のところでは、 4000m2をまとめて建てることは避けようと思っています。

共同化をしようとしたときに、 4000m2がまとまらないとできない状態ではなく、 もう少し小さい単位で共存ができるように、 もう1ランク下の基盤をいれる作業のほうをしておいて、 とりあえず個別再建ができるということをしておく方がいいのではと思いまして、 今六甲のほうで動かしだしています。

そちらのほうが可能性は高いと思います。

   

共同化の規模について

江川
 今、 岩崎さんの話で公平という話が出たんですけれども、 結局そこに行き着くのだと思います。

共同でいろいろな人が物事をする時に、 何がいったい公平なのかということですね。

たとえば税金だったら、 稼いでいる人はたくさん払って稼いでない人は少なくてすむ。

これは公平ですよね。

公平と一応認められていますよね。

ところが、 補助金となってくるとそうではないのですね。

公平というのはパーセンテージの公平でしかないわけです。

   

 ようするに個人の財産を守る法律と、 たとえば都市計画みたいな全体の法律とが、 違う価値基準で公平というものを考えているところがある。

もしかすると共同を考える重要なキーワードとして公平という言葉をどう考えるかということを、 そこからみんなの理論をスタートすることが必要なのではないかと思います。

   

 もう一つは実際に被災マンションの再建をしていて思うのは、 コミュニティーをまとめるのに50軒と100軒では全然違うということですね。

   

 延藤安弘さんは48が限界と言っていました。

向こう三軒数えるだけで6がまずある。

12戸になったら何か共通のものができる、 24戸というのは12戸が2つ集まったからもう少し何か違うことができる、 48戸というのは24戸と24戸が共同でもう少し何か違う都市空間ができると。

しかし、 それ以上になると結局一つに戻らざるを得ないということをおっしゃっていました。

実感としてすごくそう思います。

   

小林
 だから管理組合の問題と絡むわけです。

   

 何事もそうですけれども日本国で決めるからややこしいんですよ。

僕らに決めさしてくれればもっと簡単になんでもしてあげるのに。

だから、 小規模でないとということではないのです。

結局そこに合う範囲で物事を決めないと駄目だということです。

   

生活再建と都市計画の矛盾

難波
 尼崎なんかだったら、 結構倒れたところが駐車場になっています。

駐車場にマンションが再建されたらどうなるのかなと。

従前の形になると都市としてはまずいと思うんですけれども、 どうですか。

   

小林
 建築基準法を守っていたら人口は半分になるでしょう。

   

 なぜ、 そう言えないのか。

帰ってくるな!って。

   

岩崎
 よう言いません。

   

 たしかに、 無茶なことをしているから密度が多すぎる。

彼らをもう一度全部入れようなどと思うから。

だけどそこでちゃんとするというと、 半分ぐらいは戻れないことになる。

どちらを選ぶかですよ。

   

小浦
 大きな問題です。

私も一緒にマンションをやっていた時にそれを一番考えました。

生活を戻すということの意味と、 それを実現しようとすると、 これまでの都市計画は何だったのか。

それを都市計画としてどう評価するかという折り合いが私自身まだついていません。

   

 だからまだ小林さんの質問には答えられない状態なんですが。

   

江川
 小林さんが建築家を批判するのと同じように、 僕は小浦さんをいじめますんで……。

都市計画とはいったい何かと、 この際どうでも良いかと。

本当にどう思うんですか。

   

小林
 マンションでもそうで、 何人か減ったら折り合いがつくんだから。

   

江川
 定借であれば50年経てば必ずもう一度建て直すことになるから考え直せる。

それを引き継ぐか引き継がないかは別として。

しかし今の区分所有では既存不適格になったときに解決する手だてが永遠にないということにならないかと思います。

   

佐々木
 今江川さんがおっしゃった都市計画とは何かという話はすごく大事な話です。

   

 共同化する場合に一般行政に対して最初に反対する住民は多いですよね。

ところがある意味で行政は何をしてくれるのかという感覚で見ている方もたくさんおられるのです。

行政や住・都公団が出たきたら安心だということは、 すごく分るんですよ。

   

 しかし、 いずれにしても公共空間が公共のことだけ指しているのなら、 道路など1mも出さないですよ。

公共の「共」は私ということで、 「公」は行政という意味です。

公共空間はその接点領域にあるという意識を持たないと都市計画はできない。

   

 都市計画は行政に任せるのではなく住民も一部おこなうという共同意識がなければできないのでは、 と思っています。

   

 とくに事業の基本計画はどうなのかと考えると、 どうしてもそういう意識を持ってもらわないと、 住民と行政の折り合いがつかないという感じがしているんです。

   

岩崎
 地元に行って区画整理事業によるまちづくりのお手伝いをしていたら、 地元の人が区画整理事業と都市計画と再開発という言葉を全部混同していました。

区画整理事業の区域について言われていることを都市計画であると思っておられる。

地元の人が思っている都市計画とはこれなのかなといつも思うんです。

   

 いま都市計画とは何かとおっしゃっている時の都市計画とは何のことをおっしゃっているのでしょうか。

区画整理事業のことなのか、 道路を造ることなのか、 どのことを指して都市計画なのでしょうか。

都市を扱うスケールからいうと公権力という頭がつくのですか。

   

小林
 公権力によるということです。

昨日、 後藤さんが都市計画という言葉はいっさい使わないと言っていた。

まちづくりと言うようにするといって、 私たちは逃げている。

   

岩崎
 都市計画といったら先ほどのアーバンスケールのことがどこかにあって、 でもどこかでは違うスケールで考えないと仕方がないところが出てくるのではないでしょうか。

   

 そういう話についてはどこまでが都市計画なのかという話です。

   

佐々木
 そうなんですよ。

公になればなるほど、 また都市になればなるほど財産意識は薄くなってきますね。

   

 薄くなるから、 都市計画、 まちづくりなど都市のスケールを扱うのと再建と常に対立関係があると思いますね。

   

何をくみ取るか

小浦
 都市計画については三回目でその話はしていきたいと思っていますので。

   

 結局、 各々の共同化は特殊解ではありますが、 その中にまちづくりにおける共通項みたいなものがあると思うんです。

   

 今お話して頂いたのはそれぞれの経験の特殊解だとは思うのですが、 それぞれの地域の事情なり、 人々の事情、 それぞれの可能性、 それはそれぞれ別々のものであり、 それによって共同する、 あるいは一緒になって一つのものを作っていくという経験は各々特殊解になっていったというのが今の現状だと思うんですが、 そういった経験の中から得られる何か、 たとえばそれをどうまとめていくかという経験なり、 あるいはなぜ一緒に考えなくてはならないということに気がついたのかということなり、 そういうところには何かたとえば、 公平の考え方とか、 共同化に参加しない共同とか手がかりがあるような気がするんですけれども。

   

 今、 共同化するという前提でいろいろな議論が出たと思います。

しかし、 個別でも良かったかもしれない。

マンションは別ですが、 もともとそういう形態をどう再建するかということですけれども。

それぞれの町の状況で、 どういう経過で一緒に作る気になったかということを一度聞いてみたかったんですけれど、 どうでしょうか。

   

石関
 私は江川さんにお尋ねしたいんですが、 共同化の中で個別設計を進めてらっしゃるんですね。

   

 しかし私がタッチしている範囲では、 逆に権利者が個別化によってコストアップをしてしまうのは困る。

生活再建という立場からいうと極力個別化を排斥してほしい。

コストダウンをしていただくほうが私たちの生活再建にとってはずっと大切なんだ、 ということを建築家に対して猛烈に主張しているんですね。

そのへんについて江川さんの今日の話は非常に興味のある話なんですが、 どう克服しているのか一つ教えていただきたいのですが。

   

江川
 はっきり言って建物は共同で作るわけですから一軒一軒プランが変わっても全然コストは上がりません。

   

 私が手をかけるコストをどう考えるかですが、 楽しみにしていけば良いわけです。

コストというのはそういうものなんだと思うんですよ。

価値の問題ですから。

   

 ただし一軒一軒の人が好きなことをするのには、 限界があります。

   

石関
 そういうことなんですよ。

たとえば個別化を進めていったら階高を少し高くしなければならないということが発生するのではないかと。

   

江川
 それはないでしょう。

震災復興のマンションの場合はボリュウムを入れるだけで大変な話ですから。

   

 しかし、 個別に設計すれば階高が低くても気持ちのいい空間がいくらでもできる。

民間のデベロッパーが供給しているマンションではありえない話かもしれませんが、 階高が低くてもいい空間は作れるわけです。

   

 3層に寝る人がいるかもしれない。

そうして個人のリビングルームを広くする人、 スペースの作り方を選択する人がいてもいいわけです。

一つはそのことです。

   

 もう一つは個別化することがコストアップにはつながらないと思うし、 そういう仕方があるのではないか。

それを見つけることが一つの視点の発見になるのではないかということです。

   

 住民の方が言われることは分るのです。

しかし逆にコストアップに繋がらずにできるということが示せるのであれば、 彼らも個別化を望まないわけではないだろうと。

   

 話は違いますが、 たとえばこの芦屋の場合は定借という方法を選んだわけですから、 コストでいうと自己再建で造るより、 はるかに安いコストでより豊かな生活を求めるという気になったということです。

そういうふうにいろいろなやり方があるのではないかという気がします。

   

岩崎
 今、 六甲で市浦の佐藤さんと神戸大学の平山先生と三人が核となって六甲地区住宅復興支援コンサルタントチームというチームを作って色々と説明したり対応したりしているのですが、 その中でお金持ちのところは勝手に建っていくわけです。

説明するといっても聞かないで、 自分たちだけでしていきます。

   

 それではどこに行って話をしようとしているのかというと、 共同化しないと住宅の再建ができないというところです。

そういうところでは共同化のお手伝いして、 個別でできるところではやる必要はありません。

共同でしないと生活の、 建物の再建ができないところでは、 なるだけやっていこうと思います。

   

まとめ

小浦
 おそらくこの問題につきましてはいろいろなご意見がまだまだおありかと思います。

私自身今日、 色々お話を聞いて思いましたことは、 一つ一つの共同化の例は各々違いますし、 震災の後ということで生活再建ということが大きな意味をもっています。

しかし、 その中の問題は、 普通の町を見ましてもいつか出てくる問題ではないかと。

密集市街地の環境改善で共同化の話をしたとしても共通することは多くあると思うんです。

   

 それと同時にやはり経験が個別であるいうことの持っている意味ということが大事だと思うんです。

それで、 経験の持っている意味というのは先ほどおっしゃっられました公平という意味がそれぞれ違う、 違うけれども、 どのように集まって住むかという意味の中でもう一度解釈し直すということが、 次の参考になっていく、 あるいは共通の経験として共有できる言葉に直していけるのではないかなという気がしました。

   

 それから時間とか状況とか地域的な違いがあります。

一つ一つは個別的な条件をもっているとしても、 その個々が集まったときの一つの町というものに対して何らかの共有できるもの、 やはり、 もう一段の共同というか共に作るという意味があると。

個々の建築の積み重ねの結果としてのまちのかたちを、 共同の意味から考えていくことは、 私自身に突きつけられている計画とは何かを考えることにつながっていくのではないかと私は感じました。

   

鳴海
 先ほどの都市計画とは何かというのは、 なかなかおもしろそうです。

だからこの都市環境デザイン会議があるのです。

住みやすく魅力的な町を作ることが都市環境デザインでありまして、 都市計画ではないのです。

   

 都市計画は道具として使うものであって道具に振り回された町を作ってしまうわけにはいかない。

みなさんの話を聞いているとどんどん先にしてしまって、 後で説明はつければいいと。

説明するのが都市計画で、 先にしてしまうのが都市計画デザインであると感じました。

   

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