JUDI関西・96年都市環境デザインセミナー/被災マンションの建て替えにおける<共同>の意味
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ともにつくり、 ともに住まう

芦屋第8コーポラスの建替プロセスを通して

大阪大学大学院 中沢篤志

学生ボランティアとしての4ヶ月

 阪神・淡路大震災以後、 私はいくつかの震災復興活動に対して、 学生ボランティアとして関わってきた。

なかでも一番印象的だったのは、 被災マンションの建替事業におけるマンション住人の合意形成に関わらせていただいたことだ。

   

 このマンションは芦屋市にある55戸の小さなマンションで、 被災度判定では「半壊」だった。

たまたま、 私の研究室の鳴海先生からこのマンションの設計を担当されていた江川先生を紹介され、 学生ボランティアとして関わっていくことになった。

昨年の11月から約4ヶ月にわたって管理組合総会の議事録をつくったり、 役員会に出席したり、 コンサルタントで資料づくり等を

   

してきたが、 2月17日にやっとのことで建替決議にたどり着くことができた。

「皆で再びこのマンションに住もう」

 今回の合意形成プロセスで私が最も心を動かされたのは、 このマンションの皆さんが、 「皆で再びこのマンションに住もう」と決めて、 住み続けたい人はひとり残らず住み続けていけるようにしたことだ。

普通、 マンションや文化住宅の建て替えとなると、 お年寄りをはじめとしたいわゆる「社会的弱者」の方々は、 そこから追い出されてしまうことが多いのが実状だ。

また、 区分所有者間の合意形成がままならず、 計画が頓挫することも多い。

   

 事実、 第8コーポラスにおいても、 部屋を賃貸している人、 年金暮らしの人、 自己資金の再建にこだわる人、 株で失敗して多くの借金を抱えている人、 遺産相続がうまくいかない人や登記簿に不備があった人など、 実に多様な人たちの間の合意形成が課題となった。

遠方に在住している区分所有者に対し、 十数人でバスをチャーターして「お願い」に行ったことすらあった。

   

 しかし、 このマンションの皆さんは、 何とか皆が帰ってこれるよう、 定期借地権方式・優良建築物等整備事業・震災復興型総合設計制度・公費解体など様々な工夫と努力を続け、 ついに誰ひとりとして追い出されることもなく建替決議に漕ぎ着けた。

年金暮らしのおばあちゃんをはじめとして、 皆がもう一度あのマンションで一緒に暮らせるのだ。

   

 もちろんそれはコンサルタントをはじめとして設計事務所やゼネコン、 兵庫県住宅供給公社そして芦屋市や兵庫県の熱意あふれる支援があってのことだ。

しかしそれにも増して、 マンションの皆さんが個人で問題を解決するのではなく、 皆で相談し一緒になって建て替えを実現しようと主体的に取り組んだことは、 素晴らしいの一言に尽きるものだった。

私の大学院での専攻は地区計画であり、 マンション建替問題は専門ではないのだが、 その私がどんどんのめり込んでいったのは他でもない、 マンションの皆さんの「皆で再びこのマンションに住もう」という熱意に動かされたからだった。

   

ともにつくり、 ともに住まう

 私は、 普段から豊中駅前のまちづくりに関わっているのだが、 一般にまちづくりの現場では「皆で合意するのは難しい」との声がよく聞かれる。

しかし、 今回の第8コーポラスの建替プロセスから、 合意形成が難しいのは事実だとしても、 決して不可能なことではない、 ということを学ぶことができた。

   

 「ともにつくり、 ともに住まう」こともまた、 まちづくりをしてゆく上でよく耳にするキーワードだが、 そのわりに今まで絵空事のようにしか感じていなかった。

事実、 第8コーポラスの前理事長は、 「建替プロセスの難しさやどろどろした部分、 をこれからマンション再建・建替に関わる人たちに伝えたい」と話していた。

氏は、 「自分たちの建替プロセスは、 “ともに住まう”だの、 “ともにつくる”だのといった理想論とは遠くかけ離れたものだった。

」と言いたかったのだろう。

建替決議後の打ち上げ会の席上での氏のこの発言に対し、 私は即座に答えることはできなかった。

氏は厳密には第8コーポラスの区分所有者ではなかったが、 そのプロセスを他の区分所有者以上に引っ張ってきた。

その経験を踏まえての、 「理想論も結構だが、 学生ボランティアには、 厳しい現実をしっかり見据えて欲しい。

」という氏の願いが先の発言の中に感じられたからである。

   

 しかし、 私としては、 マンション建替プロセスもまた人と人の関係づくりのプロセスである以上、 どろどろしているのは当然であり、 むしろそれを乗り越え、 「ともにつくり、 ともに住まおうとする人たち」が実際に“いる”ことを重視したい。

第8コーポラスの皆さんにとって、 マンションが建て替わる以上に、 皆が協力して建替に臨んだことによって生まれた「コミュニティ」とでも呼ぶべきものこそが財産であろう。

そして、 第8コーポラスが建替決議を成しえたことが、 震災直後の、 あのどうしようもない状況からの、 芦屋のまちの大きな一歩である。

それが今回得た最大の収穫だった。

私は、 今回の被災マンション建替事業を機に、 「ともにつくり、 ともに住まう」ことをもっと信じてもいいのではないか、 と思えるようになった。

   

 第8コーポラスは非常に運が良かった。

「人」に恵まれた。

それは事実である。

しかし私は、 今回の事例を「少数事例」として特別視するのは、 極力避けたい。

むしろ、 「ともにつくり、 ともに住まおうとする人たち」と、 そういった人たちを支援していこうとする人たちが実際に“いる”ことを今まで以上に大事にしたい。

そして、 これらの人たちに対してさらに積極的に関わっていきたいと思う。

   

おわりに

 今回の建替プロセスにおいては、 管理組合の役員の皆さんをはじめ、 コンサルタント、 設計事務所、 ゼネコンの方々と一緒に仕事をさせてもらえたことが、 私にとって本当に良い経験となった。

ただ、 「被災マンションの建替」に「学生ボランティア」として関わっている、 という微妙な状況を考えると、 役員以外の住人の皆さんとはなかなか話ができなかったことだけが、 唯一の心残りである。

   

 第8コーポラスの建替プロセスもそうだが、 まちづくりの現場をみていると、 一人の才能、 あるいは一種類の主体(住民・行政・企業など)の努力のみによってまちがつくられていく訳ではないことがわかる。

様々な立場の人たちが上手に手を組んでまちづくりをする(=ともにつくる)ことの方が自然なことなのだ、 と実感できる。

私は様々な立場の人たちと一緒に仕事ができた今回の経験を、 今後まちづくりの現場で大いに役立てていきたい。

   

 これからの第8コーポラスには、 いかに「ともに住まう」かが問われることになろう。

しかし、 私はマンションの皆さんがきっと素晴らしい「共住」の形を見せてくれるに違いない、 と確信している。

なぜなら、 第8コーポラスには、 「ともにつくる」プロセスを通じて培った素晴らしい「人のつながり=コミュニティ」があるからだ。

   

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