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」それが総会、 役員会を通じて叫ばれ続けたことである。
自己資金で再建した方が、 早いし楽である。
しかし、 彼らはもとの仲間で集まって住むことを望み、 自己資金方式ではなく、 弱者の論理である定期借地権方式を選んだ。
これは長い目で見れば、 復興を50年後に持ち越す先送りの理論かもしれない。
私もこのボランティアに関わる前はそう考えていた。
一般によく言われるマンションのイメージを持っていたからである。
一言で言えば、 帰属意識のなさである。
ふつう「マンション」という住まい方を選択する人は、 「楽」に住んでいると思う。
インスタントにまちを、 マンションのプランを、 数値化された様々なデータを選択する。
彼らはどこに住んいるのかよくわからない。
強いて言えば、 「データ」に住んでいると言えるのではなかろうか。
それはまさに「楽」な住まい方である。
しかし、 様々な住まい方があるのはそれはそれでよいことだと思うし、 否定する気はない。
住み続ける住まい方もあり、 住み続けない住まい方もあるだろう。
ただ、 それなりに住み分けることと、 それぞれのスタイルを支援する地域が必要である。
今回、 第8コーポの人々が選択したのは、 住み続ける住まい方であり、 そのための仕組みであった。
定期借地権というシステムはまだ十分に固まっていないシステムで、 曖昧なものである。
だからこそ、 利用者側で十分に解釈し、 それに意味付けしていく作業が必要であった。
自己資金方式という「数字のふるい」にかけられた、 現代的な集まり方(高校、 大学、 公共住宅、 会社等はみんなそうだ)ではなく、 弱者を救う村的な住まい方である。
それだけ「芦屋のゲニウス・ロキ」は特有の帰属意識を喚起する。
この帰属意識はコーポラティブな形態によって、 よりいっそう大きくなることだろう。
形態と意識の幸福な共存状態である。
伝統的に、 日本の住戸は都市空間との連続性を巧みに作り上げてきた。
例えば、 「縁側」という空間がそうである。
それ以外にも、 まちと住戸とをなめらかにつなぐ、 「幅木」のような空間があちこちにあった。
第8コーポは、 この「マンション」という居住単位の創造によって、 意識的な「幅木」を生みだし、 「縁側」的な人の交流を生み出そうとしている。