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都市環境デザイン会議としては硬めの話しになるかとは思いますが、 後の先生方の討論でフォローしていただければと思います。
継時的といいますと時間に重点を置くことになりますので、 私達は継起的、 つまり空間も含めて、 事の起こりの時間的展開に重点を置いて研究しています。
しかし表現するとなると時間のある区切りの中で展開するシークエンスを考えざるを得ません。
現在をtiとするならば、 過去ti-1と未来ti+1という時間の幅で見ています。
また私達は通勤を含めて日々あわただしく時間を過ごしていて、 その時間の在り方によっていろいろなシークエンスを感じるわけですが、 同じ時間でも私は費やす時間よりも楽しむ方の時間を扱っています。
等持院には二つの池があります。
一つの池は非常に立体的で、 もう一つは平面的です。
そういう場合、 立体的な西池は空間変化が激しいのですが、 建築に囲まれていてどうしても視覚的に閉鎖的になりがちですが、 それはそれで楽しいのです。
また清水には二年坂と産寧坂という二つの坂があります。
その二つを越え、 一度、 平坦気味なスロープを経たところで清水の急な大きい階段に至るのですが、 その後も舞台までの間に何回も曲折し、最後に舞台の大眺望が得られるという、 私は京都で一番ダイナミックなシークエンスを見せているのは、 この清水の舞台に至る過程ではないかと思っています。
時間について言えば現実には現在という瞬間は捉えにくいものです。
したがってここでは、 過去の時刻(ti-1)と現在の時刻(ti)との関係(ti/ti-1)を中心として捉え、 その時間での空間をそれぞれSi-1、 Siとして捉え、Si/Si-1を見ます。
次に、記憶を現在から見てすぐ前の記憶であるRi-1として扱います。
また視覚は先を見ますのでUi+1という様に未来も扱います(図1)。
シークエンスを考えるにあたっては区間が重要です。
例えば区間SiとSi+1と区切って、 その区間ごとの変化を捉えていくわけですが、 この区間をどうとるかについては、 いろいろと論があります。
庭園を研究されている進士氏は、 人間がゆったりと歩くときには5mおきくらいに変化がありそうだ、 とおっしゃっています。
私達の研究室でもベースとしては5mで考えているのですが、 狭い道ですともっと小さい単位で刻々と変化します。
脇に道があったり建物があったり変化するものが多いと、 もっと変化の間隔が狭まるのです。
一方広い道は変化が少なく、 間隔も広がると考えられます。
それはシークエンスが区間ごとの変化性から成立するにもかかわらず、 少々首を左右に動かしてもあまり景観が変化しないからです。
イギリスの風景式庭園もパノラマ的なのですが、 それに加えて奥行き性が加わります。
例えば、 現在も見られる仁和寺の寝殿造りの南庭は奥行きの見通し性が弱く、 主にパノラマ性で支えられているのですが、 風景式庭園では大見通し性とパノラマ性が同時に存在しています(図2)。
一方書院造りの北の庭では、 部屋を分割してその中から庭を見ます。
視対象が同じようなものであっても見る場所が分割されていますと、 視野が限定されて額縁的空間となり、 結果として異なる部分が見えます。
中国の頤和園(いわえん)はあまりに巨大すぎて遠景ばかりであり、 少々動いてもなかなかシークエンスが変わりません。
そこで手前に島を置いて中景をつくったりもしています(写真1)。
ル・ノートルはシャトー・ヴォー・ル・ヴィコントでオリジナルをつくったわけですが(写真2)、 それをヴェルサイユで壮大に展開していったのです。
スケールが大きくなっても、 コンセプトは同じです。
ヴェルサイユではパノラマ性をある程度得てから、 その先に限定された視野性を持つ軸線的空間を展開していったわけで、 その点では頤和園とは根本的に異なった、 非常に人工的な構成であると言えます(図2)。
しかしこれではやはり満足できなかったようで、 横のほうに自然的小庭園としてプチ・トリアノンを計画しています。
やはり人間には日常生活にあったスケールで、 自然もある空間が必要であることが、 このトリアノンによく表れていると思います。
有名な捨子養育院に非常に美しいファサードをしたアーケード(ポルティコ)があったのですが、 そのポルティコと同じ構成で対面側も計画されています(写真3、 4)。
後にル・ノートルが基本理念とする軸線性は左右対称であり、 また平行であったのですが、 このような軸線性はつまりはこの養育院が起点となっていると言われています。
またこの養育院の対面側を設計した建築家について建築史の中では、 継承的調和という意味で自分を抑えた優秀な建築であるという評価と、 今言ったような左右対称の軸線という概念の基本的な理念を出したという二つの評価を得ています。
そしてやっと建物が再び見えます。
建物を壮大に見せるために基壇をつくっています。
やがて広場が現われますが、 この床は、 茨城県のつくばセンターで磯崎さんがそのまままねています。
この広場を挟む両側の建物も左右対称ですが、平行ではありません。
いずれにしても、 広場に至る過程で、軸線性や対称性や壮大性という考え方の礎をルネッサンスの時代に導入しているのですが、それでいて歩くとともに変わるシークエンスを考慮に入れているのはさすがにミケランジェロです(写真5、 写真6、 写真7)。
それ以降ヨーロッパ中で都市の中に軸線が応用されるようになったのです。
シャンゼリゼよりももっと壮大なスケールで、 市街地はもちろん山の方まで軸線的に計画されています(写真8)。
一人の大公によって、 街にも山にも全部軸線を通しています。
一体これは何なんだろうという気になってしまいます。
今は観光地になっているのですが、 なんて恐ろしいことなんだろうと思います。
自然の中もずっと軸が通っており、 これはシークエンスにとって最大の敵です。
つまりどこまでいっても変化がないのです。
つまり軸線部分と自然的部分の二つに分けるような方法が取られています。
イギリスの貴族にとってフランスの軸線性は自己の大きさを表わすために必要で、 館に行くまでのアプローチはその様にできているのですが、 しかし館は湖に面しパノラマ性のある自然的景観となっています(図3、 写真9)。
それを多様に展開しているのがキャッチワースです。
カスケードの軸線の設計者は、 有名なクリスタルパレスを設計したジョセフ・パクストンですが、 山の上からこの壮大な軸線性を展開しながら、 それと直交する軸線性も複数造られています(図4)。
最初の設計者の案では、 周辺に対して軸線が強すぎて、 周りの風景が負けてしまっていました。
そこでケイパビリティ・ブラウンが設計し直し、 館との間に巨大な池を置きました。
実際にはダムを用いて池をつくっています。
これはブラウンの名作と言ってもいい程、 実に美しい風景を作り出しています(写真10)。
丘を越えるところには彫刻がぽんと置かれ、 その先の風景の遠くに再びアイポイントがあります(写真11)。
ここでも軸線性を布石していますが、極めて象徴的になってきています(図5)。
一方でこの「変わらないパノラマ的風景」に貴族が物足りなくなって、 ヴェルサイユにおけるプチ・トリアノンと似た概念で、 アーバンスモールスペース群を回遊する空間がつくられています。
古代ギリシャや古代ローマに回帰しているような部分も見られますが、 近中景のヒューマンなスペースのシークエンスがあります(写真12)。
非常に驚いた事なのですが、 ここでは軸線はあってもアイストップが形式的に置かれている程度で、主人公ではありません。
エネルギーの全ては、 日本の回遊式庭園のようなシークエンシャルなものに注がれています。
またギリシャ神話のような神話性を持った物語をそこで展開しています。
桂離宮が源氏物語を展開していると言われているのと同じ様な事がなされています。
ちょっとヨーロッパ的ではありますが、 日本の回遊式庭園を意識している点が見られます。
カエデなんかも置かれています。
動くと共に実に心地好く風景が変わります。
建築物としてはそこに神殿があったり、 パンテオンがあったり、 柱があったりするのですが、 それは建築としてではなく、 池を中心とした回遊式庭園の風景として、 背景として、 存在しています(写真13)。
この貴族は自分で資料を集めて設計したようですが、 そういう意味では現代の私達が参考にする景観観、 建築観が既にここに多く込められています。
しかしそれはまた大陸へと戻っていきます。
その典型としてはフランスにおけるプレミノンヴィルが挙げられます。
プレミノンヴィルはパリの郊外にあるのですが、 ジラルタン卿という当時の貴族がつくったものです。
彼はルッソーにものすごく憬れていまして、 「自然に帰れ」と言い過ぎたばかりに誰からも相手にされなくなったルッソーをこの療養地に招いて、 ルッソーの理念に沿った形で設計しました。
しかし空間としては先程のストウヘッドほど素晴しい出来ではありません。
館の前には軸線を通して、 その反対側で今は道になっているところの先を回遊式の庭園にしています(写真14)。
庭園の中の島にはルッソーの墓がつくられ、 「自然に帰れ」というルッソーの考えに徹底的に傾倒していた様子が伺えます。
本当に自然的な川の流れがあり、 それが時に館の前の池になったり、自然の前の小湖になったりしながら、 そこを散策するという庭園です。
館は荒廃していますが、自然的庭園は回遊に充分耐える風景を残しています(写真15-1)。
バウハウスのあるデッソウの郊外にはベアリッツという別荘地があります。
古代ギリシャやローマといった感じの建築があるのですが、 庭園は完全に自然化しています。
ここには軸線もなにも見られず、 大地が主人公です(写真15-2)。
中国の蘇州の庭園は私達もよく知っているところですが、 日本の回遊式庭園とは異なり、 一つの池と主たる建物が中心にあり、他の建物も築山も全部がそれに向かっています。
そして、 他の小庭園を分断しながら建物と築山が囲いこみをしている計画と見ることが出来ます。
非常に断面的な縦の空間が形成され、そのことによって変化が多くなっています(写真16)。
しかしここでは急激なシークエンスの変化はあるのですが、 まろやかな変化はありません。
桂離宮のようなまろやかなシークエンスの変化を日本の街に取り込めないものかと私は考えていますが、 こういった蘇州のような急激な変化の方が近代の街には取り込みやすいかもしれません。
開放された廊下で仕切ることもありますが、 ほとんどは分断性の強いものを置いて空間を区切っていくという方法が取られています。
分断性という点からするともっと極論的なのはアルハンブラの宮殿で、 それぞれの中庭庭園は建築によって完全に分断されています。
空間を分断することでシークエンスは面白くなるわけですが、 現代都市においてこういうものができたとしても、 この分断されている間のつなぎをどうするかが問題になってきます。
その意味では、取り入れやすいからといってあまり分断的過ぎるものよりも、 導入が困難でも工夫してまろやかなシークエンスの取り込みも重要と思えます。
蔓殊院の様に縁側を移動してダイナミックに見ながら、 庭園空間を多様に見ていく庭園もあり、 二条城の二の丸のように、 方向の異なる二つの建築から見てもそれなりに造られた複眼的な庭園もあります。
また孤蓬庵のような視覚を半分区切って、 3~4の別々の庭園空間として見せる見せ方もあります。
見え方は見る側によって変化しますが、 動的シークエンスの最も重要なところです。
やがて建物から見ているのに飽き足らなくなって、 外へ出てそこから庭園と共に建築を見るようになります。
その場合建築物が大きすぎるのは自然的庭園との調和から見て具合が悪いので、 建築を複数に分けていく事が行われています。
桂離宮であれ、 修学院離宮であれ、 建築は相対的に小さくて、 デリケートで、 なおかつ一辺を一つの大きい面として見せないで、 雁行型の配置をして小さく見せる工夫がなされています。
建築を風景の一つとして取り込むということは、 ヨーロッパの風景式庭園では当たり前のことですが、 しかし、 それは城館から見た時の風景でした。
その中でストウヘッドのみは城館を封じ込め、他の建築を背景化しています。
日本では主殿を封じ込めず庭園に風景の一部として参加させていますが、 その見せ方が背景的でありストウヘッドとどこか軌を一にしていると私は思います。
歴史をたどると寝殿造りのような広い庭園の敷地取得が困難となり、 狭い敷地での工夫が現れます。
池が除去されたり、白砂の平庭がなくなったり、 凝縮したり、 狭い敷地の中でそれなりに庭園としてのたたずまいが生きる工夫がなされます。
また、 建築の内部機能の分化に伴って、北庭、東庭、西庭とそれぞれの室空間に対応し、分化した庭園空間が出現しました。
分散していく中で庭の種類を変えていくという、 狭い敷地ならではの工夫だったと思います。
桂春院は南の庭と東の庭と、 そして東の奥の庭というふうに、 空間を分節していきます。
主殿の南の庭は多少あっさりしていて、 東の庭はやや小さい変化に富んだ庭ですが、 主殿側に面しています。
そして一番奥にはデリケートな茶室の小庭園があります。
建築の空間の方位と、 主建築以外にもう一つ別な建築をつくりながら、 それら建築群と複数の庭園空間を組み合わせることによって、 多様な空間に展開させていく手法をとっているわけです(写真17)。
方位別に空間を多様にしながら、 そして見る側も多様にしています。
一つの庭を多方向から見るという方法をどんどん進めていって、 回遊式庭園的方向、 すなわちその空間全体像を構成する池、築山が分散・結合されてゆくという方向へと流れていっているわけです(写真18)。
先ほどの蔓殊院では書院(主殿)の南側におおらかな、 広くて奥行きのある庭園風景があります。
建物は、 形式のあるきちっとした書院から数寄屋のような崩れた建築様式に変わっていき、 草庵へとつながっていきます。
それに対応する風景も、 硬い風景から柔らかい、 小さい風景の複合へと変わっていき、 それと同時に両端にある庭園の間の庭は両方から見られるために、 曖昧な風景という表現になっています。
我々が普段庭園を見る時、 南側の庭は哲学的にじーっと見るものが多いが、 そういう風景から、 やがて動きながら、 シークエンスの変化を楽しみつつ、 ほどほどに曖昧さもあり、 多様で、 柔軟でという方が楽しめると思います。
蔓殊院はそうやって楽しめる庭園の典型と言えます(図6、 写真19)。
孤蓬庵は、 移動するにつれて庭園空間の見え方が変化するという概念としては同じですが、 庭園空間側の分断性が強くなります。
南側に非常に静的な庭があって、 一方茶室の方の庭には動きがあります。
その途中に忘筌の間という、 座って下だけを見るという空間があります。
南の風景から東側の風景へ、 そしてその隅から下へ降りて茶室へ向かう石段、 再び南の風景と建物から見たシークエンスの強い変化が考えられていることが分かります(図7)。
そういった意味でも池とそれを囲むもののスケールと変化性が重要になってきます。
ただ、 広沢の池はシークエンスの変化という点から見るとやや乏しいのですが、昔の時代が持っていたおおらかで雅びな気分は宿しています。
苑路を考える時に、 設計者はここではあれを見るだろうという短い軸を苑路の曲折ごとに設定するわけでしょうが、 実際の行動を見ていきますとその短軸から少しずつずれています。
私たちの研究では、 実際の行動が計画された短軸からずれるほど(設計者の想定よりも多様な行動が現われたということですから)、 むしろ喜ばしいことであると考えています。
また、 区間ごとに起こる行動の種類を多くするほど、 楽しい風景なのではないかと思うのです(図8)。
回遊式庭園の場合、 池があっけらかんとしていたら困るのですが、 池自体はやや単純でもその縁を歩いたり、 一旦築山の方に入ったり、 突き出たところに行ったりすることで感じる風景に変化が生まれます。
池の中に半閉鎖的なアイポイントのようなものを置いて視点を一旦中に入れる事もあります。
苑路を歩く場合、時に樹木の方を向くと閉鎖的な感じがしたり、 大きく池に開かれたところでは解放的に感じたりします。
そういった演出を回遊式庭園では常にきめ細かくやっています。
広沢の池ではその様な演出要素が全体としては小さいのですが、 その代わりに池の中に島をつくって変化要素を演出しています(写真20)。
このように石や島を置くことで風景が変わってくるわけで、 なおかつその島に入ったり出たりすることで風景が非常に変化に富んだものとして見えてきますが、 最近の庭園によっては島に入れないものもあるのが残念です。
これを見るとひとつの流れとして動的な方向へ向かってきたとともに、 池などの外部空間を重視する方向が見られます。
また空間を異質にして分割しながら結合するとともに、 一方で建築等の要素を分散化するという方向もあると思います。
いずれにしても、 これらA~Fの6つの動向が一つに有機的に一体化してきたのが回遊式庭園へと展開する日本の空間だと思います。
このように展開してきた回遊式庭園について言えば、 例えば前に一つ池があって、 飛雲閣の様な大きな建物がある、 また渉成園みたいに建物がメインとして大きくあって、 その建物の池と比較して前に庭があるという相対的に建物が大きいタイプに対して、 金閣寺のようなタイプがあります。
金閣寺は建築がドーンとあるように感じますが、 平面的には飛雲閣などと比較すると庭園の広さに比べてそれほど大きくありません。
さらに先ほどの大覚寺の広沢の池の様になると、 建物は樹木の奥に隠れ気味です。
金閣寺と大覚寺は、 大きい池に面して一つの主殿があるという同じ様な構成でありながら、 主殿の池への対し方への相違によって、 全く異なった印象を与えます。
またさらに、 勧修寺のように池からひとつ後退したところに建物を置き、 回遊空間側を前面に押し出してくるようになります。
そうして日本の慎ましやかな空間のあり方が表現されるようになっていくのでしょう。
それからやがて建築を複数に分けていきます。
桂離宮の場合は建築をいくつにも分けています。
御殿でさえ雁行させてややずれていますので、 いつも全ファサードが幅広く見えるとは限らない構成になっています。
修学院になってくるとメインの建物は丘の上にあって、 下を巡っているときには見えません。
それと同時に借景を強化した空間構成になっています(写真22)。
銀閣寺はよく見ると二つの池があります。
後ろの池には東求堂が面していて、 大きい池に面していると銀閣がメインのようですが、 実際は複数の建築と双池がそれぞれ多様に対応するというように構成されています(図10)。
東側は平面的で自然的であり、 二つの性格を味わえる庭園です(図11、 写真23)。
二条城は、 回遊性を持ちながらも池を建物の二方向から見ていくようになっています。
その後回遊式庭園では、 池の数が増えていきます。
それもメインの池があって、 サブの池が置かれる後楽園のようなものから、 大きな池が対等に置かれる栗林公園のようなものもあります。
ただ比較しながら歩いてみて、 大名式の大回遊庭園は大味な印象を受けます。
都市の中に、 濃縮されたコンパクト性として導入するのは、 どうもこの様なものではなく、 京都や蘇州のように都市の狭い空間に濃密に配された空間であろうという気がしています。
桂離宮のシークエンスを追っていきますと(今は大体お定まりの歩くコースがあるのですが)、 何回からの折れ曲がりを経て外腰掛けに至り(写真24)、 過ぎると石畳で直線的に誘導され、 そして松琴亭が一度見えて、 また見えなくなって、 そこを渡ると池に面したやや開放的な空間になり(写真25)、 石橋で行動を限定され、 松琴亭の壁に向かい、 やがて再び大池の開放的空間が現われるなどきめ細かい空間変化を体験します。
そういうほどほどの建築と庭園との組み合わせによるシークエンスを見せています。
修学院になってきますと本当に自然型で、 おおらかなシークエンスで、小刻みの変化のあるシークエンス性は少なくなります。
このように、 日本の庭園空間は、建築と外部空間のせめぎ合いの中で、日本人の行動のリズムと心理に合ったシークエンスの変化のある空間を展開させてきました。
これは日本人の空間づくりの深層に強い影響を与えてきたと思うのですが、明治以降、この展開が途絶えています。
いや、 後退してしまいました。
今、再生を含めて考え直す時期に来ているのではないでしょうか。
一つはフィリップ・シールが元々やっていたことですが、 表記の方法を探るというスタンスです。
表記法をやらないと設計として応用できません。
日本においては環境工学や建築計画の方々が表記法の研究をされています。
一方の研究は、 実際のシークエンス空間がどうあったら人間は楽しめるかというアメニティ研究です。
私達の研究室はアメニティ研究の方をしており、 人間が行動していく際にどういう環境空間に反応していくか、 そこではどのように楽しく反応しているのかを探ろうとしています。
表記法は抜きにして、 その代わりに魚眼レンズとか写真とかで代替します。
何を楽しいとするのかがまた難しいのですが、 私は、 大きい声に反応したとか、 人の動きで感じたとかいったアメニティ空間とは異なるものを抜いて、 視覚をベースとした行動と空間との関係から検討し、 どういう空間を快適と感じているのかを中心に検討しています。
これは現実に見ている立体的姿ではありません。
その人が対象空間の手前に立っていようが、 もっと後ろの方に立っていようが図としては変わらないわけです。
シークエンスの研究者であるフィリップ・シールはそのことに対して非常に思考を巡らせまして、 その人が立っているところが柱からどれくらいの距離にあるのか、 また壁からどのくらいの距離にあるのか、 角度はどうかによる違いを表現しようとしました。
フィリップ・シールの表記法を使って記号的に表現したものが図12です。
メインになる空間構造を真ん中に、 サブを右の方に置いて、 記号化しています。
しかし、 これを描いた人には分かるとしても、 他の人がこれを見て空間像が描けるかについては今後の課題です。
日本にいるフィリップ・シールの教え子の方が、 シールの方法を改良したものが図13です。
この図を見て実際の立体像がイメージできるかどうか疑問ですが、 表記法として考えた時、 ひとつの方法ではあると思います。
また別の表記法をやっておられる方は、 ある地点における対象の空間全部のそれぞれの面積とそこまでの距離および角度で表記しようとしています。
しかし人間はどちらかの方向に動くので、 その方法も人間が行動するための空間のシークエンスとしては課題が残ります。
表記法自体がなかなか難しいところに来ているのではないかと思いますが、 重要なことであり、より一層の展開も期待されます。
ここでは表記法のことは表記法を研究されている方々にお任せするとして、 我々としては人間がどういう空間に快適に反応するかということを考えていきたいと思います。
魚眼レンズで像を捉えることも考えられますが、 端の方はほとんど知覚していないとするならば、 広角レンズで置き換えることが出来ると思います(図14)。
その画像の中で天空と地面とそれ以外の立ち上がり空間に大きく分けて、 私達は考えています(図15)。
一方で人間の行動を観察し、どのような空間方向を多くの人が眺め、好んでいるかを調べます。
そして、区間ごとの中心的視線方向で代替視野で撮った写真と行動量との関係を検討することから、 景観の楽しさを探っています。
またコンピューターを使って、 それをグリッドに分けて入力、 分析している者もいます。
実際にその方向を見ているかをより正確に知るために、アイマーク該当の簡易装置をつけて試験したり、見た記憶を聞いたり、良い景観の写真を撮ってもらったり、 脳波を測ったりと様々な方向から検討しています。
こういうふうにいろいろ人間の行動の反応を見て、 地味ではありますがシークエンス空間の研究を続けています。
私が解釈する快適なシークエンスのイメージ像は、 まず各空間が大きさも質もそれぞれ違うもので、 連続しているということです。
そして違うものを重ねて、 どちらともつかない空間をつくったり、 違うものの間に一旦曖昧なものを置いていくとか、 開放的空間と閉鎖的空間が交互に、 一定でない変化のあるリズムで現われるなど(イメージとしてなかなか言葉では表現しにくいものですが)、 こういう空間がシークエンスとして良いものであろうと思います。
また、 それぞれの塔頭が異なる庭園を持っています。
例えば左下(南西)の退蔵院は西庭と南庭ですが(写真27)、 先程も紹介した東北側にある桂春院は南庭と東庭というふうに、 それぞれの位置特性に応じて庭がつくられています。
それに対して、 今日見てきた石塀小路(写真28)から清水寺に至る経路(写真29、図17)を考えますと、 非常にシークエンスの変化が豊かで、 それが周辺環境と一体になっているところが良いと思います。
車折神社はそれ自体が街のストリートになっているのですが、 こういった溶け込み方をすることで、 街が非常にいい雰囲気になります。
駅から商店街までを貫くようになっています(写真30)。
京都に限らず、参詣空間や神社寺院の境内が市内地に多く残っていると思いますが、この産寧坂や車折神社のように、 市街地の良きシークエンスのストックとして形成、参加させてゆくことは現代都市空間を豊かにする上で大切と思います。
空間の持つその多様な変化性は、 平面図においては少し曲がっているだけでも、 立断面の立体的変化によって非常に強調されています(写真31)。
清水の場合、 この鳥瞰図の手前側が低くなっていて、 また舞台に向かうまでに視界をオープンにしたりクローズにしたりすることで、 参詣空間としてダイナミックな構成になっています。
この中に現代の都市空間に取り込めそうなことがありそうに思います。
その内側ですが、 昔は外部と同様にロの字型の内部空地として、 非常に硬い空間だったのですが、 現在では傾斜をつけたり、 街灯などの古典的装置を入れたりその他いろんな変化を持たせ、 多様さをもたらしています(写真32)。
ミュンヘンの都心の街区の内側ですが、 表街路から、広場化された内部へ向けてピロティや彫刻、カフェを取り込みながら、 シークエンスに変化を持たせています(写真33)。
このパサージュ自身はやや硬く直線的ですが、広い軸線街路にくさびを打つことで所どころに節を持たせ全体としてシークエンスの変化を提供しています。
これがあることでパリの市街地は救われていると思います。
高台が終わるところには柱だけの屋外空間があります。
実はこの軸線は一直線にパリに通じているのではなくて、 シャンゼリゼからラ・デファンスに通る軸とこの軸がある角度で交わっています。
最初の台地の辺りはしっかりとした実体としての平行軸線で、 次第に概念としての軸線に変わっています(写真35、 写真36、 写真37)。
これは英国の風景式庭園の一部と似ています。
またこれだけではかれらは飽き足らずに、 パリ軸との交点において芸術家の島で結んでいます。
シャンゼリゼを延長するのは過去の歴史の延長として解釈できるのですが、 なぜ新しくつくったニュータウンの軸線を、 概念を使ってまでつながなければならないのか、 これは非常にアンチシークエンスな事でして、 私には分かりにくい点ですが、ハードな軸線をソフトなイメージ軸線に展開させている所はうなずけます。
プランとしては真ん中に大きく幅の広い軸線広場が走っていて、 斜めにもう一本小幅の軸線苑路が走りながら大広場を横切っていきます(写真38、 写真39)。
大広場の正面に建築があって、 時々その前の人工的広場では噴水が出たりしています(写真40)。
その大広場の側面のところどころに小軸を持つ階段などがあって、 リズムを作り出しています。
また脇のほうに小庭園を連続させてもいます。
全体としては交叉する大きな軸線の構成でありながら、 その脇に別に小軸を混じらせ小空間をちりばめています。
学生諸君もよくやることですが、 主軸と副軸を置きながらさらにその脇に小庭園と小軸をいくつかつくります。
そして中には全く異質なものを置き、 変化を与えています。
セルジ・ポントワーズで軸線を象徴化させ、ここでは軸線を多軸化させつつ、 小空間と分断と連続変化によって、 全体として多様な空間を形成しています。
日本が近代都市空間づくりのモデルとしてきた西欧社会では、 近世空間からの脱却の試みがなされていながら、 日本では逆に、 回遊式庭園のように、 近世までつくられたあの様に非常に自由に、 自然的に、 小刻みに変化する空間が、 明治以降つくられなくなりました。
そして庭園という枠の中だけで生きながらえているようなものを、 近代の戦災復興以降の格子状の区画とビルで占められた街の中に、 どこまで折り込むことが出来るかが焦点になってくるのではないかと思います。
たぶん都市の大きな骨組みは急には変えられないだろうと思うのですが、 それならば先ほど言いましたように街区の裏側の連続として変えることが出来ないだろうか、 あるいは地下街のように新しいものをつくる時に出来ないだろうか、 それとも大吹き抜けや足元の空間等、 街区に面する建築空間群の演出でそれを構成していくのかなどなど、 模索は続きます。
また、 続けねばならないと思います。
そういうものを歩行空間のネットワークとして、 どういうふうにアメニティ資源にしていくのか。
その時、鉄とコンクリートで出来た空間、 さらには格子状の街区の中で、 それは形としては限界があると思いますので、 シークエンスの様な時空間を通じて、 潜在する秩序として何か捉えることは出来ないだろうかと思っています。
この後の討論の中では、 デザイナーの方々とシークエンスの可能性について、 それは無理なのか可能なのか、 実践の話の手前くらいのところで討論できればと思います。
長くなりましたが、 これで提起としての話を終わりたいと思います。
私も何か問題提起をしようと思いまして、 5分くらいのビデオの映像を用意しました。
先程の材野先生のお話の最後の部分に関係していると思います。
〈※ビデオ開始(ジャワ)〉
これはインドネシアのジャワにある伝統的な町の路地です。
歩くままにビデオを撮っているだけなんですが、 こういうのもシークエンスなんでしょうか(笑)。
迷路と路地の違いについてですが、 路地の場合は壁の中で人が生活していますので、 音が聞こえてきます。
ボリュームを上げるといろんな音がしているのがお分かりだと思います。
(ここで音声のボリュームを上げる。
)突き当たりに電柱みたいなものがありまして、 そこにビラが張ってありますが、 これには「オートバイに注意」と書いてあります。
(民族楽器風の音とかが聞こえてくる様子に)やはり日本の路地の音とはちょっと違います。
どうしてここでビデオを撮ったかと言いますと、 先程のフィリップ・シールの表記法の問題と同じなのですが、 図面で描いてもここの空間構成は分からないだろうと思ったからです。
スチール写真を撮るにしても、 フィルムが何本あっても足りませんし、 そこでたまたま持っていたビデオで撮ることにしました。
〈※ビデオ開始(OCAT)〉
これは最近難波に出来たOCATの公共地下道の様子です。
日建設計が設計しましたが、 環境デザインのコーディネイトを私が担当しました。
ガラスブロック・ギャラーと名づけて、ガラスブロックの中に数十個のガラス工芸の作品を埋めこみました。
ゆっくり歩く時に発見できるアイキャッチのようなものです。
歩く道の空間での行動を誘発する仕掛けです。
先程材野先生が地下街にも新しい空間が出来るかもしれないと話されましたが、 その事例の一つと言えるでしょう。
(案内のアナウンスが響く様子に)さっきのジャワの路地に比べると、 音が悪いですね。
以上です。
それではここで一旦休憩に入ります。