コンテキスト論と環境デザイン
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2 文化としてのテキストとコンテキスト

改行マークこれに関連した研究は地理学の分野などでいろんな研究が進められていますが、 ここでは私が経験したことから話をしていきたいと思います。


1)バリ−−独特の方位観、 環境観

カジャとクロッド

改行マーク環境が持つコンテキストについて勉強していて、 面白かったのはバリ島です。

本当は日本の空間や環境を読み解いていく必要があるのですが、 日本に住みつつ日本を分かるのは難しい面もあり、 分かりやすい環境を対象としながらそういった研究の組み立て方を確認してみようという観点からバリをとり上げました。

 

改行マークバリの人びとは独特の方位観、 環境に対する意識を持っています。

そしてその筋道が、 バリの人びとが作り上げた環境の中によく見えると言えます。

 

改行マークバリ島の基本的な方位は、 カジャ(山方向)とクロッド(海方向)です。

山が神聖な方向で、 そこは先祖が住む場所で、 生命を維持してくれる水が流れてくる方向です。

それに対して、 クロッドは不浄の方向です。

どうしてかというと、 海は全てを飲み込む悪の世界というイメージがあるからで、 そこは悪魔が支配する空間です。

 

改行マークバリの基本的な方位観は、 山と海を結ぶ方向で、 その二つの世界−山領域と海領域が重なるところが人間の住む世俗の空間となります。

山と海の領域と、 人間の世俗の空間との接点は緊張をはらんだ空間になり、 それをやわらげるために、 そこに寺が造られます。

画像na04  

改行マークバリにはバリ・アガと呼ばれる古いバリの集落と、 ヒンズー教が入って以降の集落があり、 それぞれの方位観の構造を図4に見ることができます。

 

改行マークバリ・アガの集落では山に向かう縦軸が強調されており、 海と山の方向を非常に意識した配置になっています。

そして村の山手には村を守る寺、 村の起源となる祖先を祀った寺が営まれています。

これは聖なる空間と村の接点となる位置に寺を置いて、 空間の緊張をやわらげる役目を果たしています。

海の方向には、 死者の寺があります。

死者の世界と世俗の世界との緊張をやわらげるための寺です。

こうした構造が古いバリ集落の基本になっています(図4、 左および中央)。

画像na05  

改行マークヒンズー・バリ集落の典型的な構造では、 交差点が非常に重要視され、 北東のベクトルが重要視されます。

バリのヒンズー教はインドから伝わってきたものですが、 日の出方向を神聖視し、 日の入り方向を死の方向としています。

この海と山、 日の出と日の入りの二つの方向を組み合わせると、 図5のようなマトリックスができます。

これを住居敷地にあてはめると、 家の中にも聖・不浄空間が現われます。

北東の角が一番重要な空間で、 日本で言うと大きな神棚のような祠がここに置かれます。

南西の角が不浄の空間で、 ここに台所や豚を飼う空間が位置します。

真ん中の中庭がニュートラルな空間で、 それを部屋が取り囲むという構造です。

 

改行マークヒンズー・バリの人びとの基本的世界観は、 この十文字に作られた構造の中にあります。

山を非常に大事にしているのが特徴で、 「北」は「山の方向」でありカジャと呼ばれます。

島の北側の地域に行くとカジャは南を指すようになります。

サンピ少年のエピソード

改行マークそう言う意識が個人単位ではどのように現れるのかを示したエピソードが次の話です。

  

「その時、 サンピが現れた。

すっかり元気がなくてしょんぼりし、 まるで病人のようだった。

私の姿を見て少し瞳に光がさしたようだったが、 連れて帰る道々、 またしても黙りこくってしまった。

森や谷を縫って広々とした田んぼに出ると、 よく見知った風景が広がっていた。

東のかなたに霧のかかったアグン山がうっすらと望めた。

(中略)〈あっちが北だ!〉突然サンピが前方をまっすぐ指さして叫んだ。

彼は声を上げて笑いだした。

まるで人が変ったようである」

〈マックフィー〉 『熱帯の旅人』

 

改行マークこの話を書いたマックフィーという人は、 1930年代にアメリカのジュリアード音楽院を卒業してバリに来た人です。

卒業した日に街でバリの音楽を耳にしてそのままバリにすっ飛んできたという変わった人ですが、 その後のバリ音楽に非常に影響を与えた人で、 バリ舞踊の踊り手とも交流があり、 サンピ少年とのエピソードもその中から生まれたものです。

 

改行マークローティーンのサンピ少年は踊りの名手で、 ある村でダンスの練習をしていたんですが、 「山が見えないから踊れない」とすっかり元気をなくしてしまうんです。

帰り道で見えるアグン山はバリ島でも一番象徴的な山なんですが、 それを見た少年が「あっちが北だ」つまり「カジャ」と叫んだんです。

そして少年は自分の方向を確認して身体感覚も甦ったというお話です。

バリでは山を見て東西南北の方向感覚を身体化するというエピソードとして紹介しました。

画像na06  

改行マーク図6はホテルにやってきた舞踊団の踊り子たちです。

小さいときから特訓して何十人の中から一人が選ばれ、 スターダンサーとなり、 ソロを踊ります。

様々な供物

改行マークバリに行ったことのある方はお気づきでしょうが、 よく道路にいろんな供物が置いてあります。

またタクシーの中にも運転席に供物を置いています。

 

改行マーク道路に置いてあるものは悪霊を祓うためのおまじないで、 どんどん腐って悪臭をはなつことで悪霊が逃げていくとか、 道路に置いてあるのは悪霊を馬鹿にしている素振りであるとかいろんな説がありますが、 なんとなく置いてあるのではなく意味があるのです。

 

改行マーク車の運転席に置いたものは自動車への感謝を示すもので、 良い霊に対する供物です。

画像na07 改行マーク図7はバリの村でのお祭りの時のものです。

神様にお供えをすることが日常生活の中に深く浸透しています。

画像na08 改行マーク図8もお祭りの時のもので、 子供達が頭にのせて寺まで運んでいく様子です。

画像na09 改行マーク図9は海辺で死者の霊を清める儀式の時で、 お供えを流しています。

日本にもこのような行事があり、 その様子と共通するものがあります。

画像na10 改行マーク図10は典型的なお供えの作り方です。

にわとりの丸焼きを張り付けるものが典型的で、 それを頭にのせて運ぶのはかなりの重労働なんですが、 大体は女性がしています。

画像na11 改行マーク図11はそこらじゅうの地べたに置いてある供物です。

ご飯が腐っていくのも、 悪霊用の供物の狙いなんだそうです。

画像na12
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改行マーク図12、13は稲の神様のための飾りです。

米倉には必ずこういうものを飾ります。

女神の姿を現しているそうです。

改行マークバリを詳しく紹介することはできませんが、 居住環境の構成がなぜそうなっているのかが理解できると、 環境を見る目が変わってくるということがあります。

つまり出来上がった環境がテキストであるとすれば、 そこからコンテキストを読むことができ、 環境を見る目が深まっていくことにつながるんです。

画像na14  

改行マーク図14はバリのある集落の様子です。

祠が一番大事な方向である北東にあり、 それが外から見えています。

まずそのことが分かります。

それから住宅の敷地を壁で囲んで入口が一箇所しかないんですが、 なぜなのかというと、 この集落では公共の場である広い空間に個人の入口を作らないと言うルールがあるからです。

この集落が持っている空間の序列の結果、 大きな広場に入口がないということが理解できるんです。

 

改行マークじゃあそれが分かって何の役に立つんだと言われたら、 まあ役には立ちませんけれど、 分かるから面白いんです。

その面白さは環境を見る目が変わるという点で、 意味のあることではないかと考えています。

画像na15 改行マーク日本だったらいわしの頭を門に張り付けるところですが、 バリでは図15のように大きな鳥ですからメッセージ性は相当きつくなります。

画像na16 改行マーク図16はあちこちで見られる石像ですが、 花を毎日飾っています。

花もお供えです。

画像na17 改行マーク図17は住宅の北東にあるべき祠なのですが、 2階建てにして敷地いっぱいを使っていますから、 やむなく祠を屋上に上げたのでしょう。

画像na18 改行マーク最初に述べたようにバリでは山の方向に向かって集落の道路の軸線が作られるわけですが、 図18はその軸線がまっすぐに作られている集落です。

山にまっすぐ登っていく道路は一番傾斜がきついにもかかわらず、 村の主軸にするという構成です。

観光による経済的発展

改行マークご存じのようにバリも観光が盛んになり、 それが儲かるということから、 様々な地域から新たな人びとが流入しています。

流入してくる人が少なかった時期には、 既存の村に組み込まれて、 いろんな社会システムや文化を学んでいったわけです。

しかし、 あまりにも多くの人がよそから来るようになると、 既存の村から分裂して新しい人たちだけの村が出来てきます。

その結果、 伝統的な村にあった環境に対するルールが伝わらなくなり、 そこだけがバリの集落とは違う組み立て方になっていきます。

 

改行マーク私はそれを「社会関係の都市化」と呼んでいるのですが、 そこでは固有の言葉、 コンテキストを失ってしまうことが起こります。

都市化と言ってもバリに市街地がどんどんできているわけではなく、 バリの文化を理解できない人達がやってくると、 バリ文化を理解できないが故に環境の作り方がそれぞれバラバラになっていく事態になるということです。

現在のバリはそんな状況にさらされつつあると見ることが出来ます。


2)日本−独特の結界

改行マークでは日本ではどういった像が特徴的なのかについて、 空間的なことについて典型的なことを少し述べます。

ウチ・ソト関係を表示する境界

改行マーク日本では、 ウチとソトを表示する境界が非常にユニークだと言われています。

例えば、 境界は強く分かつものではなくて、 シンボル的な性質を持ったものが多いこと。

「敷居が高い」という表現のように床の高低で境界を設定したりしています。

それについて、 伊藤ていじさんは「住まいの内外にはこうした結界が多く見られて、 その結界性をささえているのは〈心のけじめ〉である」と説明しています。

つまり「心のけじめ」というのは本質が理解できなければ意味と機能が理解できないことになります。

日本の環境を作り上げている様々な空間の仕組みは、 こうしたものが多く見られます。

 

改行マーク商家の帳場にある仕切りを結界といいます。

京都の町家の仕切りを見ると、 領域をシンボリックに示していることがよくわかります。

しめなわ(注連縄)もよくみられる結界の一つです。

囲い込んで聖なる空間であることを示すなど、 精神的な結界を日本人はたくさん持っていると思います。

画像na21 改行マーク図19は奈良の春日大社の祭りの行列がやってくる場所の領域を示す、 非常にシンプルな門構えです。

画像na23 改行マーク新年の門飾りもひとつの結界であるし、 シンボル化した領域を作っているわけです。

改行マーク神社(図20)にもそうした結界がたくさんあって、 打ち破ろうとすれば簡単に打ち破れる塀や垣があるのですが、 単に囲ってあるだけで意味がある空間が我われの周りにもたくさん発見できます。

必ずしも日本だけに固有のものではありませんが、 「心のけじめ」という表現に類する精神的な空間構造が、 日本の空間の特徴としてあるのではないかと考えています。

垣の内

  

 神社が鎮守の森によって守られているように、
「青葉の霊力」によって守られていることを意味している
〈高取正男〉

 

改行マーク日本では垣の一つに生垣があります。

高取正男さんに言わせますと「青葉の霊力」と言うんだそうです。

鎮守の森と同様、 家も生垣という緑の霊力によって守られているわけで、 民俗学的には同様な役割を果たしているということです。

確かに田舎に行くと、 そういう風な生垣を見ることができますが、 今住宅地の中で生垣の霊力が理解されているかどうかについてはどうでしょう。

ほとんど忘れ去られているようです。

 

改行マークともあれ日本では生垣が結界として愛好されているようですが、 これは世界的な文化ではなく、 例えばお隣の韓国では境界は基本的に土塀です。

我われが普通だと思っていることが、 よそへ行くと必ずしも普通ではないということです。

画像na24 改行マーク図21は出雲大社です。

何重にも囲うことによって中心性を高める作用のひとつです。

改行マーク農家の生垣もそうですが、 住んでいる人が生垣をどう考えているかは別としても、 日本の生垣には文化的な意味があると感じます。

画像na26 改行マーク図22も日本人だけにしか分からない空間装置と言えるでしょうが、 出雲にある巨大なおみくじの固まりです。

外国人はこれを見てどう思うかということも一回調べてみたいことです。

不思議な空間はまだまだ日本にたくさんあると思います。

画像na27 改行マーク図23は上賀茂神社の白い砂のシンボルです。

神の寄りしろでしょうか。

これもシンボリックで強いメッセージを発しています。

改行マーク十五夜のお月見の飾りのような季節ごとのしつらえにもシンボル性があります。

我々自身もほとんどその意味を忘れつつありますが、 一種の美しさを感じる素地がまだ残っていると思います。


3)風水

選地技法

改行マーク「風水」もまた一つの空間のシナリオです。

  

 かって人間は生存の場を営むために、 自然と対話し、 そこから自然の懐に抱かれる術を学ぶ必要があった。

そして、 地域の風景を手掛かりに、 居住すべき土地を選択する方法が生み出された。

 やがて人間は、 自然のもたらす優れた風景を見ることを楽しみ、 それを絵に描きあるいはそこから得た感銘を歌に詠むようになった。

〈鳴海〉

 

画像na29 改行マーク風水の最初の考え方がどういう風に生まれてきたのかも謎です。

図24は飛行機から撮った写真ですが、 広大な地域の中で人が最初に住まう場所をどうやって決断したのかは謎です。

そんなとき、 我われの祖先は何らかの知恵を働かせてある場所を決めたのではないかと思うのですが、 その原型が風水として発達してきたんじゃないかと考えています。

四神相応

画像na30 改行マーク風水が生まれてきた状況を説明すると、 天の星座にある白虎・玄武・青龍・朱雀を地上に写すことから風水の基本が始まったと言われています(図25)。

玄武は人の背面、 朱雀は正面、 青龍が左手、 白虎は右手とし、 こうした構成を地形の中にあてはめ、 四つの方向を山で現わそうという発想に進歩していくのです。

 

改行マーク四方向は東西南北を表現しようとしたわけではありません。

中国では方位とは関係がない例が多いのですが、 日本に入ってきてからは、 完成された図式として理解されるようになりました。

つまり、 日本では玄武が北、 朱雀が南です。

東西と背後の山、 正面が重なり合って、 日本的な「四神相応」というものが生まれました。

 

改行マークなぜこういうことにこだわったかと言うと、 自分たちが町をつくる、 居住地をつくるというとき、 その思想を自分で説明して自分で納得するわけです。

空と対話して地上に写しこんでいく作業が、 物語として説得性を持ったからこそ、 風水は長く受け継がれてきたのではないかと思っています。

画像na31  

改行マーク図26は藤原京です。

風水の四方向を持っているので、 例として挙げてみました。

耳成山(玄武)−吉野山(朱雀)−畝傍山(白虎)−香具山(青龍)に囲まれている都です。

 

改行マークまた、 万葉集にもちょうどうまくうたわれています。

  

*『万葉集』巻一、 「藤原京御井歌」

 大和の青(アオ)香具山(カグヤマ)は
 日の経(タテ)の大き御門(ミカド)に
 春山としみさび立てり
 畝傍のこの瑞山(ミヅヤマ)は
 日の緯の大き御門(ヨコ)に
 瑞山と山さびいます
 耳梨の青菅山(アオスガヤマ)は
 背面の大き御門に
 よろしなへ神さび立てり
 名ぐはしき吉野の山は
 影面(カゲトモ)の大き御門ゆ
 雲居(クモイ)にそ 遠くありける

 

改行マーク「日の経」(ヒノタテ)とは東、 「日の緯」(ヒノヨコ)とは西のことです。

香具山は東、 畝傍は西、 耳梨の青菅山は背面、 つまり北にあり、 吉野は影面、 つまり南のかなたにあるという意味です。

こういう風に都の場所を歌にできるということは、 風水が一種の物語であり、 人びとにもそれが理解できる文脈を持っていたと言えるのではないでしょうか。

 

改行マークただ、 東西を日の縦、 南北を日の緯とする例もあります。

したがって、 この時代はまだ用語が確立していなかったためと考えられます。


4)シンボル化

改行マークここで話が飛躍するようですが、 日本の環境観にはシンボル化するという特徴があります。

枕詞

改行マーク最初に生まれてきた枕詞は、 常陸国風土記に出てくる「あられふる香島の国」です。

「あられふる」という枕詞が初めて表現されました。

 

改行マーク比喩的に使われる枕詞には「ぬばたまの」「しろたえの」などがありますが、 これはあるもののイメージを強調するために使われる言葉です。

また、 「草枕」など物事を説明的に強調する枕詞もあります。

  

  • 比喩的 ぬばたまの−→夜、 黒、 夕、 今宵、             夢、 寝
       〈射干玉/檜扇(ヒオウギ)の種子、
        円くて黒い〉

        しろたえの−→衣、 袖、 たすき、
               雪、 雲
       〈穀(カジ)の木の皮の繊維で織った
        布、 白い〉

  • 説明的 草枕−−−→旅
  •  

    改行マーク昔の日本の環境観は言葉でシンボル化してしまうようで、 先ほど挙げた結界の例のように、 機能的に役割を果たすより、 言葉の霊、 つまりイメージ化された環境の方が私達に強いメッセージを発していることが、 いろんなところで発見できるのではないでしょうか。

     

    改行マーク例えば、 優れた景色を判断するとき、 ○○名所とか○○八景など比喩、 隠喩などの方法が身の回りにも多用されているようです。

    花札

    改行マーク花札はあまり強くないのですが、 その絵の組合せが昔から気に入っています。

    江戸時代後期に「花鳥絵合わせカルタ」という名前で登場し、 最初はいろんな組合せがあったのですが、 そのうち「紅葉/鹿、 松/鶴、 梅/鶯、 柳/蝙蝠(こうもり)、 笹/亀」などという組合せに収斂していきます。

    猪鹿蝶が配られると嬉しくなる人は多いと思いますが、 植物と動物の組合せがひとつのシンボルとなり、 ある種の季節や環境、 あるいは物自体のメッセージを示しているのではないかと思います。

    画像na32 改行マーク図27が花札の絵札です。

    猪鹿蝶、 それに梅に鴬。

    画像na33 改行マーク図28が花札で一番点の高い組合せです。

    画像na34 改行マーク図29になると、 点は高いのですが、 私はあまり親しみを感じない札です。

    小野道風、 雨蛙、 柳。

    絵柄がちょっと説明的すぎるんですね。

    まあ、 これはみなさんの好き嫌いがありますので、 どれが好きか嫌いかの実験をしてみるのも面白いと思います。

    パリはマロニエ

      

     北京は槐樹(エンジュ)
     モスクワは白樺
     東京はかって美しい欅(ケヤキ)の都市であった。

    〈井上靖〉

     

    改行マークこれは井上靖さんが書いた文章で、 小説の中で東京のケヤキを保存する運動についての話に出てくる文章です。

    「パリはマロニエ」という言葉もパリを表現するときよく使われる手ですが、 もちろんパリにはマロニエだけでなく他の木もいっぱいあるのに、 なぜ「パリはマロニエ」なのか。

    それは、 都市を代表する木と言うとき、 都市と街路樹が強く結びついて一種のメッセージを発する役割をしているからだと思います。

    こういう表現は世界中にあるのではないでしょうか。

     

    改行マーク「春はあけぼの」(枕草子)のように、 ある組合わせで、 一つの対象を強調する。

    それが流布すると、 その組合わせが、 アイデンティティをもってくる。

    先ほどの花札のように、 あるイメージを組合せによって強くする、 つまり個性化する作用がよく使われます。


    5)言葉による形態や空間の表現

    改行マーク今、 言葉によるいろんな例示を示してみました。

    もっとも簡単に言葉によって形態や空間を表現する方法も我われはいろいろと持っていると思います。

    ドーリス式の柱

      

     荷を負うに適しかつみたところも是認される美しさををもつためにはどんな割付でそれを造り上げることができるかを探求して、 男子の足跡を測ってそれを身長に当てはめた。

     男子では足は身長の6分の1であることを見いだしたから、 かれらは同じことを柱に移し、 そして柱身の下部をどんな太さにしようとも、 その6倍だけを柱頭を含めた高さにもっていった。

    〈ウィトルーウィウス〉

     

    画像na35 改行マーク図30はみなさんよくご存じのドーリス式の柱です。

    上に挙げたような物語が、 この柱にはあるのです。

    イオニア式は貴婦人、 コリント式は少女の姿だと言います。

    本当にその話を当てはめたかどうかはわかりませんが、 説得力はあると思います。

    アナロジー

      

     二つの特殊な事物において、 いくつかの性質や関係が共通であるとき、 一方がある性質をもつ場合には、 他方も恐らくそれと同じ性質や関係をもつであろうという推理、 あるいはその推理の根底にある論理。

     

    画像na36a 画像na36b 改行マークアナロジーの例として、 ジャン・ジャック・ルクーの「牛小屋」を挙げます(図31a)。

    牛は確かフリーメイソンのシンボルで、 神殿が牛の形をしていたというので、 単純に牛の形をした建物を設計したわけです。

     

    改行マーク図31bはよく知られているフランク・ロイド・ライトの「マディソンの教会」です。

    祈りのために手を合わせた姿をうつしたと言いますが、 そう説明されればそうかなという気がします。

    扁平なアナロジー

    改行マーク建築においてアナロジーはよく使われる方法ですが、 あまり安易に考えると次のようなものができてしまいます。

    画像na37  

    改行マーク図32はオレンジジュースのスタンドですが、 オレンジの型そのままスタンドで、 まあ遊びの感覚でしょう。

    こういうのを「扁平なアナロジー」とネーミングしてみました。

    意味と形の関係が浅すぎるものです。

     

    改行マークアメリカだけでなく日本でも見かけることがありますが、 ホットドッグの形をしたホットドッグスタンドなどもそうです。

     

    改行マークこういうものが今、 私達の回りにはたくさん生まれてきています。

    たしか、 中川理さんがこういうものばかりを集めた本を出版されていました。

    こういうものは、 意味を形で表現しようと思って、 簡単にやりすぎて失敗した例です。

    「結界」で説明した「心のけじめ」とは深さが違います。

    といっても、 深さが分からない時代になってきていることも関係していると思いますが。

    画像na39  

    改行マーク図33ではホテルの上にどういうわけか自由の女神が立っています。

    難解です。

    深すぎて意味が伝わらないのか。

    目立つことは目立ちますが。

    自由な技法を用いるデザイン技法

    改行マーク言葉でデザインを表現することについて述べてきましたが、 伊藤ていじさんが『日本デザイン論』の中で次のように述べています。

      

    天−地−人
    自由な形をもった要素を使うかぎりでは幾何学に基礎をおいた美学原理は役に立たない。

    それ故に言葉で造形原理を説明する必要があるのではないか

    〈伊藤ていじ〉

     

    画像na40 画像na41 改行マーク要するに、 草花などの自然の素材を使うデザインにおいては、 生け花や造園の「真−行−草」「天−地−人」の技法のように、 形の省略の仕方や自然度の強さによって、 言葉で実際のもののあり方や考え方を表す方法が日本で生まれました(図34)。

     

    改行マーク図35は生け花の「真−副−体」の例です。

    「強くなきは悪なり」と言いまして、 真はすくっと立ち強くなければいけない。

    もの足らないところはそのままおいといて「副」で補う。

    「副」は「真」が悪いときに隠すもので、 副も悪いときは第三の要素を持ってきます。

    一方に強いものがあってその足下を隠すというプロセスを経て、 非対称の美しさを生み出していくシステムを「真−副−体」「天−地−人」という言葉で現している、 というのが伊藤ていじさんの説明です。

     

    改行マーク言葉でものの組み立て方を説明していくことは、 今日いろんな例でお話ししている「メッセージをデザインする」ということと繋がっているんじゃないかと思います。

     

    改行マークある現象があって、 それを言葉にしてイメージを伝達し、 それを理解して再表現するプロセスについて、 日本人はそれを理解する能力をトレーニングしてきたと思います。

    生け花のように、 現物が美しいだけでなく、 そのシステムを理解してその美しさがより深まるという関係があるんじゃないかと思います。

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