コンテキスト論と環境デザイン
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パブリックメッセージについて

材野博司


都市のコンテキストと宗教のメッセージ

改行マーク最初の鳴海先生のお話の中で、 バリ島では地の宗教とあとからきたインベーダーの宗教との2つがあるという話がありました。

宗教である限りは、 メッセージは1本、 いわゆる非常に一元的なメッセージをそれぞれ送っていて、 地の宗教は地の宗教で送っているし、 ヒンドゥー教はヒンドゥー教のメッセージを送っている。

その両方が住み分けをして送っているという点では、 非常に一元的に統一されているということで、 コンテキストには、 複雑さとかトラブルはないわけです。

 

改行マーク一方、 都市は、 ある意味では、 2つ以上の宗教が重ね合わされていて、 1つの宗教の上に、 他の宗教が重なって、 それが重合した状態で、 お互いにメッセージを送って、 コンテキストを複雑に作っていくということがいえると思います。

それが、 だんだん数が増えていくうちに、 コンテキストが複雑になり過ぎ、 分かりにくくなっていく。

それが都市のコンテキストだと思いながら、 そのコンテキストの元の原型を鳴海先生から提示していただいていたと思うわけです。


仮設物と永久物が発するメッセージ

改行マークところで、 福田さんの発表では、 メッセージの多くが、 建築そのもの、 永久的な加工物、 空間がメッセージを送るというものは比較的少なかったと思います。

仮設的なものや装置であるとか、 そういうようなもので、 人間はメッセージを強く感じているということでした。

これは、 日本とか、 東南アジア型のメッセージであると思います。

 

改行マークその一方、 鳴海先生からは多民族国家のアメリカの例として、 少々のメッセージではダメだということで、 建築でどんと大きなメーセージを送るということを紹介していただきました。

そういうメッセージも、 もちろんさわりとして、 それはそれでいいだろうと思うわけです。

そういうメッセージを次々にやっていったのが、 先ほどのギリシャ風の商店街の例です。

あれは一番悪い例で、 ポストモダンの時代が一生懸命送ったメッセージだろうと思います。

もともと日本の中では、 そういう強いメッセージは宗教建築以外にあまりやっていなかった。

町屋のように、 一様な建築の中でのれんをつるすとかとか、 提灯を出すとか、 むしろメッセージを小さく、 つつましやかに送って来たという伝統を持っていると思うのです。

 

改行マーク当然、 強いメッセージは、 他の弱いメッセージを食ってしまいますから、 意味性を一義的に専用化していくというか、 発信者が読みとりを強制する空間として都市が作られていきます。

これは私は非常に悲しいことだと思います。

そういう意味では、 建築とか永久に建つものを作る方は、 その中に既に多義性を持たせて、 3つ以上、 4つ以上、 さらには5つ以上の意味を常時用意していただきたいと思います。

Aという人が読む意味と、 Bという人が読みとる意味が相当違っていいはずだと思います。

でも、 どこかベースとしてある共通するものを持つことによって、 町並みとしての統一感や調和性が得られるわけです。

統一感を得られながらも多義的に発信していただきたいと思います。

永久物は多義的に発信しながら、 そして、 仮設的なものは一義的なものでいいと思うのです。

 

改行マーク今日の福田さんの路地の話の中で、 注連縄を設置して「今日はお祭りですよ」というメッセージを伝える例は仮設的であり、 非常に部分的なものですが、 はっきりとお祭りと分かります。

しかし、 それでいて象徴的なのが面白い。

これと似て少し異なるのが、 今、 都市の中で氾濫しているサインです。

地下鉄のように分かりにくい空間においては、 サインが空間を規定していくメッセージとしてあって仕方がないと思いますが、 かといって、 地下鉄に隈研吾のような建築でどんとメッセージを送られたのではしんどくてしょうがない。

現代のサインが注連縄とやや異なると言ったのは、 サインは情報伝達がストレート過ぎて象徴性に欠けていると思うからです。


日本の空間が発するメッセージ

改行マーク日本の空間は、 メッセージを押さえながらデリケートに発信しているものだと思います。

それも視覚のみのメッセージではなく、 足で歩いて感じるとか、 音やにおいで伝わるメッセージとか、 そういう人間の五感を多用しながら感覚を磨き上げていくメッセージが、 日本のコンテキストには流れていたのではないかということを、 今日のお話を聞いて思ったわけです。

先ほど注連縄が象徴的と言いましたが、 日本の深いメッセージは、 この象徴性を視覚のみでなく五感全体で感じさせるところです。


オーダー、 フォーム、 シェイプと課、 型、 形

改行マーク最後の、 理論的な話は、 なかなかつかみにくくて、 難しいところですが、 でも非常におもしろいテーマだった思います。

昔、 ルイスカーンが、 オーダー、 フォーム、 シェイプ、 という組み言葉を作りました。

シェイプというのは先ほどの鳴海論でいけば現象で、 オーダーというのは言語としても、 秩序としても、 規則にしてもいいと思います。

たぶん我々研究者やプランナーたちは、 どっちかといえばオーダー側を発信していて、 デザイナーがシェイプ側を主にやっているということがいえるかと思います。

その時に、 ルイスカーンはその途中にフォームを入れて欲しいといいました。

 

改行マーク古い話ですが、 これを菊竹さんは、 シェイプが「かたち」(形)で、 フォームが「かた」(型)で、 オーダーが「か」で、 「か」、 「かた」(型)、 「かたち」(形)とうまいことをいったのです。

これは、 オーダー、 フォーム、 シェイプ以上に分かりやすかったという印象があるわけです。

そういう意味で、 空間を読みとるときには、 シェイプから我々の感覚を通して、 直接オーダーを読みとっても良いのですが、 途中でフォームを介しながら、 読みとる方が空間の秩序に深く肉迫できるように思います。

今度、 そこで、 そういうオーダーなり言語で、 先ほどの鳴海先生の話でいけば、 天地人というような説明があったときに、 やはりどうも日本の説明は、 生け花のリアルな絵と別に、 それにちょっとフォーム、 やや抽象的な絵を一緒にしながら説明している部分があった。

というのは、 仮に、 オーダーで説明したときに、 こういうふうなものと思いながら言葉で説明しても、 シェイプとしての現実の形ではちょっと違うなあというのが出てくる。

その間に、 ちょっとフォームを入れてくるというのを、 ルイスカーンは、 一所懸命に昔説いたことがあったと思います。

 

改行マーク研究の中で現象があって、 そして、 中間に印象みたいなものがあって、 先の方に仮に言語や理論というようなものがあるとすると、 それをフィードバックとの関係で、 3つの関係で見るのかどうか、 そのあたりちょっと先ほどのお話を理解し切れていないところですが、 まあ、 なにかすごくおもしろい可能性を感じました。


コンテキストの順序性と関連性

改行マークところで、 仮にデザイナーも研究者も専門家だとすると、 専門家は空間を読みとるのに、 いったん自分をひいて客観的に読みとるという読みとり行動をします、 しかし、 いわゆる生活者は行動で読みとっているんだと思います。

いちいち、 いわゆる我々がいうような理屈っぽい読みとりをしてないで生活し、 行動し、 体を動かして読みとっていきます。

 

改行マークつまり、 体によるもう一つの読みとりというのがあり、 それはコンテキストを空間、 都市の中に持ってくるときに重要になるだろうという感じがします。

そうすると、 空間のメッセージでどんと強いものがあると、 読みとりもふらふらとそちらにいきますから、 行動もふらふらといってしまうというような部分があります。

 

改行マーク鳴海先生の言葉を使うと、 さわりとさわりの周辺というものがあって、 例のギリシャ風商店街の場合、 さわりの部分はギリシャティックにやって、 残りはだんだん薄めていく空間だとしたら、 私はメッセージとして分かりやすかったと思うのです。

ところが、 あの街は逆で、 さわりの部分があっさりとして意外といい建物ですね。

それで、 周辺ほどにぎやかであると。

これは、 たぶんバブルとかポストモダンがごちゃごちゃになった時代の産物であって、 逆転現象ではなかったかと思うのです。

できれば、 はみ出すものは装置的、 仮設的なもので、 建築の方は引っ込めていくという、 そんなものをさりげなく作っていただきたいと思います。

 

改行マークところで、 今「行動」と申し上げたのは、 例えば、 福田さんのスライドでは個々に写しているのですが、 実際にはそこを歩きながら、 ある順序性や関連性も持って空間を継続的に見ています。

前見たものがものがものすごく印象が強いと、 あとのものが印象が薄くなるというようなこともあります。

そういう時間的な経時の中でコンテキストを見ていっている部分があるという、 その辺もデザイナーの方に御考慮いただきたいということを感想として持ちました。

 

改行マークアノニマスメッセージといいますか、 例えば、 ものを作るときの住民参加のケースがあるのですけれども、 空間全体が、 何となく、 時間をかけて、 いろんな人の意見が入っていって、 いろんな人がいろんなことをいって作って、 アノミマスになって、 そして、 読みとりの多様な複雑性のある、 そういう空間へと展開していけばいいなあと思ったところです。

 

鳴海 どうもありがとうございます。

今、 材野先生がおっしゃった、 時間や歩く経路は非常に重要な点で、 そういうのをどうやって組み込んでいったらいいのかということは、 なかなか難しい面ですが、 そういう重要な点も考えなければならないところです。

材野先生のコメントも含めまして、 私はこう思うというご意見がありましたら、 少しディスカッションしたいと思います。

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