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なかなか難しい問題で、 十分に理解していない部分もあるのですが、 連想として思い浮かんだことを、 いくつかお話しさせていただきたいと思います。
言葉によってある共通のイメージみたいなものが共有できれば、 そういうものを手がかりにして、 いろんな人が共同しながら、 一つのまちなり、 街区のデザインに一貫性といいますか、 コンテキストと言えるものを際立たせていくことができるのではないかと思います。 それは例えば、 高さをそろえるとか色をそろえるといった量的なものではなくて、 もう少し実質的な、 空間の質みたいなものをより具体的に共有できるものだと思います。 その実現したいというイメージを伝える、 あるいは表現するために、 言葉というのは、 おそらく非常に大きな役割を果たすだろうと思います。 そういう意味で、 鳴海先生のお話も非常に共鳴するところがあります。
イメージを本当に共有させるようないい言葉を発信しながらものを作っている人もおられると思うのですが、 一方で、 自分のやっていることを一生懸命、 なにか煙に巻いているような感じで、 言葉を非常に多用するということもあります。 広く言葉とデザインということを考えたときに、 そういう危惧もあるということを一方で感じました。
そういうものとの関係でも、 200字戦略というのは非常におもしろいと思うのですが、 その辺のところと、 例えばパターンランゲージみたいなものとの関係も、 考えてみたいという気がしています。
言葉とデザイン
丸茂弘幸
非常に興味深くうかがいました。
一つは、 言葉とデザインというテーマですが、 ものを作っていくということと、 それと言葉がどういうふうに関わってくるのかということです。
ですけれども、 もう一方で、 饒舌な建築家というものもたくさんいます。
そういう、 言葉によってイメージを共有しながら全体性を作っていこうという考え方を提示した一人として、 アレグザンダーのように一つのデザインの方法論を提示した人がいます。
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