長屋は戦前に大量に供給されたのですが、 戦後の一定時期にも多くが供給され、 ストックとしては少なくありません。 表1「共用空間の規定」に示しています。 敷地に着目した場合、 1つは、 敷地内共用空間、 2つは、 公共的空間、 3つは、 共用空間(公共道路以外の私道空間に相当する通行機能空間)があります。
この接道幅員の規定は昭和25年制定の建築基準法で定められているわけですが、 古くは大阪では、 大阪府建築取締規則がありました。 その後、 大正8 (1919) 年市街地建築物法というルールが制定されました。 この歴史的経緯の中で道路に対する考え方が整備されてきました。 このことを少しふれておきます。
大阪では明治19年(1886)長屋建築規則により通路の幅は六尺とされました。 その後明治40年(1907)、 警視庁は貸長屋建築規則により通路幅は、 九尺つまり一間半、 2.7mと定めました。
大阪キタの大火のあと、 明治42年(1909)の大阪府建築取締規則では、 この九尺に加えて「棟と道路との間隔を一。 五尺ずつ後退しなさい」という建築線後退が定められました。 これにより建物と建物との間隔は実質二間(3.6m)幅になりました。 それが昭和14年に尺からメートル法に切り替わり4.0mになりました。
道路幅員の水準は、 このように歴史的な経過があります。 はじめから4mではなく、 六尺や九尺で良かった時代もあったわけです。 戦前長屋では、 建築基準法の適用を受けていないので、 道路幅員は九尺でいいという時期のものが多いわけです。 ですから長屋に住んでおられる方からすれば、 法律があって生活が始まったのではなく、 生活していたところに法律が入ってきたという認識があり、 こうしたことが絡まりあって、 接道規定や建ペイ率等の点で問題を複雑化していると思われます。
さて、 戦後建築基準法が制定されて40数年になりますから、 中心後退により4m道路が相当にできあがっていてもよいといえますが、 現実は、 全くできていません。 建て替えがされても依然として、 この接道規定が達成されていない。 また、 2方向避難が可能な道路ネットワークが形成出来ていません。 これは生活と法律とがかみ合っていない、 というか、 市民は、 法については我関せずということで、 法が機能していないということが言えるのではないかと思います。 つまり、 基準法サイドに問題があるといえましょう。
今、 みんなが使う通路としての共用空間という形に着目して見てきたのですが、 次に天空の問題も考えてみます。
1 路地と隙間の存在からの役割
長屋のタイプには、 寺内論文の成果から、 通り庭型と台所型があります。
前者は、 大阪の前期(明治まで)スプロール地区に多い。 後者は、 裏に設けられた便所のくみ取りが可能となって出現したものであります。 大阪府建築取締規則により、 長屋の周りの空間的余地を確保することが要因しています。 大正期以降に多くみられます。
ここで頭に入れておいて欲しい指標は、 40〜54m2という敷地面積です。 これには私道は含まれません。 基準法では中心後退2.0 mにより現道から約20〜30cm後退することになります。
長屋の平面の展開をみたものが、 図10です。 ご存じの方も多いとは思いますが、 長屋は建設当初は後庭にトイレがあり通り庭がくみ取り通路に使われていました。 図の一番上のプランがそれを示しています。 その後、 建築取締規則により棟の間隔を一。 五尺づつ、 あわせて三尺(90cm)あける定めができて、 そこがくみ取り通路として使われた。 このことにより住宅の平面計画が大きな影響を与えます。 図では、 当初平屋が2階に増築しているケースを示しています。 その後、 改築・増築が繰り返されて、 すっかり原型をとどめていないものも少なくありません。
そこで、 相隣環境の変容について長屋の現地写真で検証していきます。
写真1は、 軒下の部分、 つまり、 犬走りを利用して鉢植えをしている植栽の例。 これが共有空間のもっとも長屋的な利用の仕方です。
写真2の場合はまだ犬走りの中に収めているという事で、 路地に対する配慮がなされているといえます。 ところが、 実際に路地まではみだしている例が多い。 通行に支障があるかというと、 車のことを別にすれば、 潤いの空間をかもし出している。
写真3、 4は、 長屋の町並み、 フアサードを示しています。 建築取締規則ができて、 防火壁ができたり、 木造の軒裏のむき出しががモルタルで覆われるといった変化、 つまり、 出桁から箱軒への変化がみられます。 この写真から原型の長屋建築ラインが分かります。 多少の増築がありますが、 大きくは変っていないといえます。
写真7、 8は、 隣地境界付近の増築の例。 隣地界を一杯使っているので、 建物の空きが全く無くなっています。
写真09は、 上空から隣地境界付近をみたものです。 これによると、 背割りの空地はほとんど増築で埋まっています。 建ぺい率では、 90%以上といえます。
天空の変化を断面図で模式的に示したのが、 図12です。 平屋から2階建てへ、 そこから増築による天空率が縮減していくことが定量的にも理解できると思います。
以上の場合の建築基準法の適用はどうなっているのか。 中心後退についての扱いをみます。 確認段階では門扉も下げて道路中心も後退させているのですが、 いざ施工となると門扉などをもとの敷地界にはり出すことを工務店がお勧めするという話を聞いたことがあります。 そのような施工段階で中心後退が空洞化するというか、 「なあなあ」で成り立っている側面があるようです。 また、 よそ様の家が中心後退しないで前に出てきたからうちも、 ださないと損という意識も働くようです。 結果的には、 密集地がますます高密度化されていくわけです。
色々調べていきますと、 長屋の場合、 新築の場合でも増築として申請する場合があるようです。 それは、 増築で申請すれば、 元からオーバーしている建ぺい率の部分は目をつぶってもらえる、 つまり、 既存不適格の扱いを受けるためです。 増築とはいいながら、 実は元の家を全部潰して新築している場合すらある。
背割りがどのようになっているかを見ていきます。 元々空いていた背割りに住宅がせり出していき、 空間を潰してしまっています。 このように相隣空間が食いつぶされていっているというのが現状です。
写真10は消防車が路地に入った例。 一応路地でも進入できる消防車が技術開発されているのですが、 隅切りがないため、 実は回転できないのです。 大阪市では消火栓はきめこまかく設置していますので、 日常火災の消火にはある程度は有効のようですが、 大震災の場合はどうでしょうか。
先ほども少し申し上げたのですが、 住宅の改善については、 かつて長屋地区で行った調査結果で時期は少々古いのですが、困った点として「部屋数が足りない」「広さの問題」が最も強い(図13)。 それ以外に「駐車場が少ない」「設備が古い」などの問題があり、 それが要因となってみなさん小刻みの改善を行っています(図14)。 また大きな改善となると、 2階の増築や、 屋根や外壁を修繕したりといった様々な努力をされています。
これは所有関係に関わらず、 たとえば借家人自身が色々行っています。 通常借家の場合、 改造、 改修は家主の責務の範疇ですが、 こういう地域では借家人さんが自分の家という意識で改造を行っているわけです。 家賃の更改にももちろん関係してくる訳なんですが、 借家人が大家のやるべき仕事をやっているわけですから、 借家人の財産権が発生してきます。 つまり家は家主の所有物ですが、 内装や改装したところは借家人の物となるため、 建て替えの時に問題が出てきます。 事実、 ここで空き家となった場合には、 借家権価格の取引慣行があるといわれています。
若い世帯が流出し、 人口構成が高齢化が著しく進行している、 単身世帯が増加している。
また町並み環境も低質化している。 例えば、 前面道路をはさむ建物間隔(D)をみると、 5.85mで、 建物高さ(H)は、 2階建て5mとすると、 D/H=0.85となり、 これ位だと親密性があるといえます。 これが、 2階増築や物干し台設置により、 やや低下し建て詰まった相隣環境になっている。 さらに、 3階建になると、 これがもっと窮屈になります。 通風、 プライバシー等の環境がなくなります。
結論としては、 長屋の市街地は当初共用空間の質としては、 日照・通風・採光、 そしてプライバシーのための役割を担ってきたといえますが、 それが食いつぶされてきている。 結果的に、 住宅内部をよくする努力の結果、 外部環境への影響が大きくなります。
一人がやり出すと我も我もとその食いつぶしに参加する。 それに加えて木造3階建てなどの技術・工法開発によって、 立体化が進行していくと、 いよいよ相隣環境の低下に拍車がかかっていくと予測されます。
我が国人口のピークとなる21世紀初頭までには、 こういう地域の住宅改善の促進が課題といえます。 放置されたままですと、 立地条件はよいところでは、 道路に面した表側は建替えされますが、 アンコの荒廃化が避けられないといえます。
今日は、 密集地の空間を定義し、 その共用空間がどう変容してきたかということを追跡することにより空間の質の総体的低下を引き起こしているといえます。
地域活力が総体的に低下すれば、 住環境を含めて環境改善が困難化するという悪い未来図も予想できるのではないかと思われます。
3 共用空間の空間的特性
(長屋型市街地の場合)
共用空間でもある私有地道路
図8「密集地の共用空間の規定」では敷地内共用空間と公共的道路、 そして共有空間を摸式的に示しています。 この敷地の中でも建物が建っている場合、 前面の空地、 背割りの空地の他に、 棟の妻側の空地があります。 この場合は空地といっても私的に占用されている。 ところがいわゆる路地、 狭隘道路となる私道では、 所有としては私有地ですが、 皆が使う共用的な空間となっています。 ここは、 通行機能を主にして、 そのほか子供の遊び場、 鉢植え、 プランターなどの置場などとして利用されています。 現在の建築基準法からしますと、 幅員は一間とか1間半で4.0mを満たさず、 二項道路の扱いになっています。
共用空間の役割
このことについて、 既往研究(金、 高橋「密集住宅地の『住戸群」における路地と隙間の役割に関する研究(建築学会論文集第469号95年3月) から要約します。
ア)家と家との緩衝空間、 イ)地域的インフラとしての路地空間(半公共的な近隣の通り道、 避難通路)、 ウ)住戸の中に環境的効果をもたらす装置(街路から視線が抜ける、 各住戸の通風効果、 窓からの間接光、 直接光がながれる、 覗かれたり、 他人が勝手に入るなど生活への影響性がある)
2 路地と隙間での行動から読み取れる役割
ア)コミュニケーションを誘発させる空間、 イ)行動発生のきっかけがつくられる空間(物干し台を介して)、 ウ)自分と近隣が共有できる、 あるいは、 選択できる空間)
密集地の空間的変容
戦前長屋に着目して、 二つの側面、 つまり、 住宅の更新状況と、 相隣環境をなす共用空間の変容について検証していきます。 このため、 フィジカルな条件として間口、 敷地条件をまず確認します。 図9は先ほど示した神戸市長田の御菅地区の例ですが、 大阪でもほとんど同じなのでこれでお話しします。
敷地内天空空間
街区の中の表と裏の2タイプをとりあげます。 表タイプは、 敷地の間口は5m前後、 奥行きは12〜13mで、 敷地面積は54m2です。 表の道路に面していない部分をアンコというのですが、 アンコの場合では間口が4.5m(二間半)、 奥行きが9.6m、 46m2になります。 この二間半の間口は特異な例かというと、 決してそうではありません。 戦前のスプロール長屋では、1.5間、2.0間、2.25五間、2.5間、及び3間という五種類あるとのことです。前期スプロールでは、2間、2.5間タイプが多い。但し、 表屋では、 三間が多いことが寺内研究で確認されています。
天空空間の変容
図11は、 平屋から2階建化へ、 それからさらなる増築により相隣環境が悪化していく様子を示しています。 平屋建て長屋の場合、 2階増築がされます。 後庭に風呂を増築したり、 2階を少しセットバックしたりして相隣空間を食いつぶしています。 住宅の広さの拡大を図る結果、 開放的にしていた路地の天空が減少します。
住環境意識
外見からみた共用空間の変化に着目して見てきたわけですが、 一方でそこに住んでおられる居住者の住宅あるいは住環境に対する意識はどうなのか、 その点を確認しておきたいと思います。
問題点−相隣環境の低下
ここまで長屋住宅を個々に見てきたのですが、 一つの地区としてみた場合、 相隣環境がどういう変容をしているかという予測をしておきましょう。 長屋の初期の形態は、 背割の空地がありここにトイレがあるが、 表側も少し空地がある。 それが増築されると、 段々と迫り出していく。 敷地の中は全部自分の土地だという意識がありますから、 建ペイ率に関係なく、 住宅が狭いということで増築をされていくわけです。 いわゆる食いつぶしです。
密集地の推移動向
ただ、 密集地は決してスラムではありません。 しかし、 表2「推移パターン」を示しています。 人口はここ20〜30年減少傾向で、 世帯が大きく減らなかったことがせめてもの救いだったのですが、 最近では世帯の減少も見られます。 結果として空き家が発生するようになりますと、 活力を維持することが困難になります。
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