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写真20(広島市営庚午南住宅)
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広島市営庚午南住宅は、 公営住宅の建て替えのプロジェクトです。10年以上前に出来たものですが、 4階部分の立体街路、 天空に開いたセットバックテラス、 2スパンごとに分節して通り抜け路地階段をはさむ、 といったことを行いながら、 住民がもともと住んでいたようなヒューマンなスケールのまちを立体的につくろうという試みです。
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写真21(六甲アイランドA3街区中高層棟)
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写真22(明るい空と外壁)
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写真23(内部に構造化された階段の空間)
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六甲アイランドは海上の人工島ですので、 当然、 空の明るさや自然の空気も内陸とは異なります。ここでは、 そういった自然との応答が、 住民にも感じられるようなものにすることが、 大きなテーマでした。
明るい陽光をあびてキラキラ光る濃紺の施釉のタイルを開発したり、 一瞬の輝きをみせるラスタータイル、 シルバーのパンチングメタル等を使っています。
また、 このように大きくて高い集合住宅は一般的には住戸単位のスケールの繰り返しの壁状になりがちですので、 ここでは階段の空間を内部にかなり大きく構造的に取っています。
階段もくり返しではなく、 歩く長さや方向が変化し、 見える景色も変化して、 歩いて楽しいものにすることを考えています。
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写真24(六甲アイランドE10街区中高層棟)
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同じ六甲アイランド内で次に手がけたプロジェクトでは、 小さく分節された様々な形、 色で構成された立体的な集住の表現を目指しました。
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写真25(キャナルタウン兵庫の街区構成)
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写真26(キャナルウエストの住棟ファサード)
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写真27(夕陽に輝く上層階の住戸)
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写真28(住棟足元のディテール)
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JR兵庫駅前のキャナルタウン兵庫は、 もともとインナーエリアの人口回復とまちづくりを連動して解いていこうというプロジェクトでした。阪神淡路大震災によって、 今では復興住宅プロジェクトにもなっています。
西側部分のキャナルウエストは、 公団の賃貸住宅が運河をはさんで建ちならびながらまちをつくっていくというもので、 建物の設計も何人かが参加して、 共通のテーマのなかで、 積極的にその差違を生かそうとしています。
かなり高密の都心集住ですので、 運河の空間の効果が期待されています。
なんといっても大きなスケールになりますので、 小さなスケールに分節することだけでなく、 特に空に近い部分が自然の光の移り変わりによって表情がどんどん変わっていくような“時のコラージュ”といったようなことを考えています。
シルバー系統のラスタータイルやいろんな色の施釉のタイルで丘の上の集落的な情景ができればと思っているのです。
足元はまちの共通の材料として、 地域になじみの深いレンガを使うことにしました。
このプロジェクトは、 集合住宅でまちをつくっていくプロセスに特色があり、 それがデザインにも反映できるようなシステムと全体の環境の構造を考えるところからスタートし、 最初と最後の建築の部分まで担当しています。
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写真29(キャナルウエストのパーキング棟)
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現在では、 駐車場は道路と同じぐらい重要な要素です。キャナルウエストでは、 耐火鋼という火に強い鉄を用いて、 小さなディテール、 長いスケールの鉄道沿いの風景をつくっています。
公団の賃貸住宅のパーキング棟とは思えないほど個性的ですが、 その場所に固有の敷地条件に応答することは新しい場所性の創出といった意味で、 環境のデザインの大きな視点です。
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写真30(キャナル広場)
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キャナルタウンのプロジェクトは、 現在進行中ですが、 駅前のキャナル広場が最近完成しました。運河の終末にあたるのですが、 広場部分はどちらかというとなにもないレンガ敷きの広場スペースになっていて、 高密な集住都市の広場として効果のある空間となるでしょう。
この広場は他のデザイナーが担当しましたが、 かなり議論を重ねています。
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写真31(ローレルコート登美ヶ丘・従前計画)
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写真32(ローレルコート登美ヶ丘・実施案)
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ローレルコート登美ヶ丘の空間構成は、 特色あるものとなっています。容積率が同じでも、 空間の配置、 構成によってこんなにも空間の質が変わるのかということが良くわかります。
従前にすすめられていた計画では、 建物の間の空間の質は同じですが、 実施案では、 空間をみただけで、 まちの構造がわかります。
空間の構造的表現とは、 こういうことなのです。
このプロジェクトも、 一部が完成したばかりですが、 年月を経て、 この空間が住民の愛着のあるものになり、 熟成していくことを期待しています。
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写真33(御坊島団地の配置模型)
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写真34(1期竣工部分)
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写真35(3階部分の南廊下型立体街路)
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写真36(階段と立体街路階にある集会所)
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御坊市の島団地は、 中層団地の建替のプロジェクトです。周辺は独立住宅がほとんどというまちですが、 4階建てのいわゆる羊羹型の集合住宅がスラム化した状況を呈しています。
周辺のまちなみと連続しながら、 周辺も含めた環境を良くするために、 建物を小スケールに分断し、 立体的に楽しいまちをつくろうというのが目的です。
面積規模を大きくしながら建て替えるわけですので、 近くに新たな土地を手当し、 そこから手をつけていくというものです。
この団地は、 生活保護世帯が多いとか、 働く意欲を失った人も多いという状況でしたので、 建替を通して住民の生活再建を図るということも大きな課題でした。
生活意欲の向上とともに、 みんなで住む町であるという意識を高めてもらいたいということから、 公営の賃貸住宅ではありますが、 コーポラティブ型の対応を図り、 住民一人一人と相談して、 全部違う間取りとしました。
南側の立体街路(廊下)、 様々な軸線の採用、 繰り返しのない全て異なる形の階段、 といった手法を用い、 多様な場所の創出に努めました。
現代立体集落という感じになれば良いと思っています。
「箱に閉じこめられた」、 「公共から支給されたうちに住まわしてもらう」という感覚を廃除し、 住民の人達が、 自分たちのまちを愛着をもってつくっていく、 熟成させていくというのが我々の願いです。
そのための環境の骨格、 構造をつくっているのです。
1年目に15戸、 2年目に30戸、 3年目、 4年目、 5年目という風に、 たった240戸ですが、 10年かけて住民一人一人と相談しながら作ってゆこうという計画です。
この12月に1期分の15戸がようやく完成します。
人の手を介した花や緑でおおわれた南側の立体街路で、 2期3期と全体がつながっていきます。
この立体街路も、 あるときは北面を、 ある時は東面をというふうに、 グネグネと折れ曲がって、 同じレベルに集会所や家庭菜園、 ちょっとした広場があり、 直接住宅にも面しているといった風に、 さまざまな風景を楽しみながら、 歩いて楽しいまちになることを期待しています。
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写真37(南淡町営賀集団地)
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淡路島では、 まちに若者に戻ってもらうための公営住宅をつくっています。敷地が設計中になんども変わるといったややこしいプロジェクトでしたが、 山側の奥まったところに、 最初に4階建てのものを作り、 みち沿いに建物がならぶように、 そして真ん中には広場を囲むように3階建て、 2階建てを配し、 全体として集落のように輻輳した景観の住環境をつくろうというものです。
淡路島は、 海の色が明るく、 空も明るいので、 それに対応して白を主体とした建物の色、 素材となっています。
瓦の産地ですし、 周辺の建物もいぶしの瓦の建物が多いので、 屋根だけでなくみちの縁石などさまざまなところで瓦素材を使っています。
それぞれの住戸は、 玄関の脇にリビングの入り口があり、 手前がテラスというテラスアクセスという形をとりました。
子供の多い若者夫婦にとって、 気軽に屋外での生活を楽しんでもらうことがコミュニティライフを豊かにすることにつながるだろうと思うからです。
ここでも、 箱を積み重ねるというよりは、 立体的なまちの雰囲気が感じられる構造をつくろうとしているのです。
このプロジェクトもようやく1期分の17戸が完成したところです。
3年で50戸あまりをつくります。
時間をかけて少しずつ作っていくために、 全体をみながら、 毎年、 さまざまな異なる多様な場所をつくりだそうとしています。
公営住宅では、 社会的な目的や場所の条件に合わせて、 共同部分のつくりかた、 それと連動した住戸プランの作り方を工夫することにより、 その場所にふさわしい環境のまちをつくるところにこれからの重要性があります。
環境デザインの視点が重要なジャンルといえましょう。
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写真38(南芦屋浜震災復興公営住宅の空間構成)
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写真39(六甲山側にも開けたアイレベル景観)
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写真40(林立して見える住棟群)
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写真41(既成市街地からの朝景)
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南芦屋浜の震災復興公営住宅は、 本日最後にお話される小林さんが中心になって、 仮設住宅に住んでおられる高齢者に安心して住んでもらい、 愛着を持って根付いてもらえるようにという、 ソフト面でのワークショップをされているプロジェクトです。
私は、 その場所の環境構造としての計画を行いました。
早期にたくさんの住戸を供給しなければいけないという厳しい制約のなかでの仕事でしたが、 南のヨットハーバーに開いた構造(配置)にして、 外部の空間にもあかるい陽光がふりそそぐようになっています。
北側の住棟を比較的低いものにして、 住棟間に隙間をとったり、 マスボリュームに高さの変化をつけたりして、 背後の六甲山との関係も途切れないようになっています。
プロジェクトの性格上、 早期建設のためにPC工法の採用が条件づけられていましたので、 単純な配置構成ですが、 道を歩いていると複雑な町に見えるということをテーマにしています。
南北軸の住棟の南の妻側は、 景色の良い、 日当たりの良いサンルームの共用空間が用意されています。
そのほか、 環境の構造の特色としては、 北側の既成市街地から見たときに、 たんなる団地というよりは、 向こうに街があるという景観を感じてもらえるように、 塔が林立する形状になっています。
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写真42(芦屋若宮の住環境整備)
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被災した密集市街地における復興住宅も手がけています。ここでは、 まちの復興を、 全体として共同住宅化するのではなく、 一戸建て住宅を残しながら、 共同住宅と共存してまちを再建していこうということが考えられています。
そのためには、 共同住宅のスケール、 ボリュームが一番問題になると思いました。
従来、 一般的な建築としての集合住宅はその経済性を追求するあまり、 大きなマスボリュームの壁状のものになりがちで、 まちにとってはそれが問題でした。
ここでは、 もともとさほど大きな住宅はありませんでしたが、 そのなかでも、 大きなボリュームの建物の大きさ程度のものに分節し、 形のまとまりや材料を変えることによって立体的にも分節することを考えています。
そのために、 軸線もずらし、 ヒューマンな皮膚感覚の建物の集合体となるようにしています。
そうしてできた隙間は、 路地や広場として、 まちのみんなの空間にしていこうということです。
建築の配置でまちの構造化を図ろうと言うものです。
全体で100戸余りの共同住宅が計画されていますが、 5箇所あまりの敷地に分散して建てることになっています。
これは、 ようやく1期分の30戸の工事が始まろうという段階です。
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写真43(芦屋三条町第8コーポラスの立面)
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写真44(まちからの風景)
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芦屋・三条町の被災マンションは定期借地権制度による再建第1号です。ここでは、 再建にあたり、 再開発事業の専門コンサルタントと共同でやっています。
建築的には、 今まで述べてきたようなボリュームの分節が出来ない敷地状況でしたので、 最上階のペントハウス的セットバック、 色の分節による小スケール化を目指しました。
その場所ごとのいろんな状況に対応して新しい手法を考え出すことも環境デザインの重要な視点です。
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写真45(JR六甲道駅前復興再開発への提案)
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JR六甲道駅前の再開発は、 発表された当初、 地区の中央に1ヘクタールの公園をとり、 南に大きな壁状のマンションが建つという計画でした。住民の反対で、 計画を修正するということになり、 参画することになりました。
最初は、 南側に予定されていた高層の建物を低くしていくことを提案しましたが、 さらに検討を重ねて、 南側を思い切って国道2号線まで開き、 公園のスペースを連続させて羽子板型にする街区構成を提案しました。
幸い住民に賛同が得られ、 この形で街区形状が決定しました。
建築としては写真にあるような群景観の立体的なまちを考えましたが、 住民には南面嗜好が強く、 状況、 条件を考えると基本的に南面板状にならざるを得ず、 環境構造的空間をいかにつくるかで悪戦苦闘している最中です。
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