私はこの問題は、 多くの人が「この橋は京都には似合わん」という、 そういうところに出発点があるだろうと思います。 私もこの橋の話があったときから、 この橋は造るべきでないという気持ちは一貫していましたし、 今も変わっておりません。
私は30年以上もあの四条の橋を渡り続けて通っていたわけです。 京阪電車で四条で降り橋を渡って河原町からバスに乗るというルートで、 朝な夜な四条大橋から鴨川を見るという生活をしておりました。 やはり、 鴨川が京都の美しさに貢献しているということをつくづくと感じていたわけです。 それはたとえば洪水に町の中をごうごうと水が流れ下る勢い、 それから美しい都鳥が舞い降りる川面、 そういったものが、 私の体の中にしみ込んでいるのです。
もうだいぶ前になりますが、 京都新聞で『京の原風景』という連載がありました。 後にまとめて小さな本にして学芸出版社から出版しています。 その中で私は鴨川について書いたのですが、 スペインのグラナダのアルハンブラ宮殿の美しさを、 「水が血液のように体を駆けめぐる」という表現で称えた人がいるわけですが、 私はまさしく京都は、 そういう水が町の体を駆けめぐっている町ではないかと思ったわけです。
そのころはまだ疎水もありました。 鴨川のすぐそばに今は京阪電車の地下化によって消えてしまった疎水、 そして鴨川、 その洪水敷にあるみそぎ川、 それから高瀬川と4本もの水が町の中を流れ下っています。 そういうところは世界でも他に見たことがありませんし、 京都の美しさ、 大きな原風景がここにあるだろうと思っていたわけです。
ですからそこに橋を架けるという話があって、 しかもそれが日仏友好40周年か何かを契機とするものだと聞いた時に、 これは間違いだと思いました。 それは決して日仏友好にはならないのではないかというふうに、 まず思ったわけです。
フランス人でも、 心ある人で鴨川の美しさを感じていない人はいないわけです。 中途半端なレッテルを貼られたフランス風の橋が、 あそこに架かるということについて、 心を痛めるフランス人も多いと思うわけです。
実際ル・モンド紙にも、 二回にわたって反論が書かれていたようです。 日仏友好どころか、 日仏友好に汚点を残す橋であると私は直感的に思いました。 そのことはずっと言い続けているわけです。
おそらく最初は見せ物的な人気を博するかもしれませんが、 やがて日仏友好の汚点として残って行くのではないか、 京都の恥の一つとなると私は思うわけであります。
私は京都の恥は、 今のところ一つです。 それは、 モヒカン山と呼ばれる一条山です。 あそこは山を削り取って開発しようとしたのですが、 市民の反対にあい、 今はほったらかしとなっています。 私もシンポジウムによばれて「この一条山をどうしたらいいか」といこと聞かれたのですが、 「間違った見本として、 残していく以外に仕方がないのではないか」と言いました。 それと同じような意味で、 今度のポン・デ・ザールを模した橋が第二の恥さらしとして残っていくというふうに、 私は思うわけです。
京都の美観風致審議会の委員でもありますし、 その後の小委員会の委員でもあります。 それから景観部の相談員という役をやっています。 さらに京都の都市計画審議会の委員です。
そういう行政の中で、 私はこの橋に反対し続けてきましたし、 またこれからも反対し続けたいのですが、 そういうチャンスがもうありません。 都市計画審議会が終わり22: 5か何かで橋は可決されました。 これからどうなっていくかは、 私の力ではもうどうにもならないのかもしれない。 しかし、 今日のような機会を通じて反対し続けたいと思うわけです。
私はこの橋は京都市の都市計画上の決定に大きな問題を投げかけているように思います。
都市計画審議会の委員として「大変だ」と思った問題は、 この橋の他にもう一つありました。 それは市の北部にゴミ焼却場を作るという問題です。
その時、 私は賛成側にまわったのですが、 それはできるだけ景観的に望ましい土地造成になるよう景観部の相談員として提案しましたが、 その意見が多少は取り入れられていると思ったこと、 また焼却場が京都市の南の方に集中している現状を是正しなければならないと考えたからです。
しかし一方において相当な人が反対されているということは、 ひしひしと感じていたわけです。 ですからその時にこの件について公聴会を開かれませんかと聞いたんです。 そうしたら公聴会は開かないということでした。 これはちょうど桝本市長が市長になった直後ぐらいの時です。 前市長から問題を受けつがれて、 確信を持って公聴会を開かないと決めておられたようです。
今回の場合、 やはり公聴会は開かれませんでした。 これは少しおかしいと私は思います。 公聴会は市長が必要を感じたときに開けば良いと法的にはなっています。 その辺もおかしいとは思いますが、 市が縦覧した結果、 橋に対する意見として3割は反対しているわけです。 3割もの反対があるのに公聴会も開かないという、 そんな都市計画上の過程があり得るのかと私は痛感しているわけです。
地方分権がこれから進んでいくだろうと思う訳ですが、 私はこれから京都で行われる都市計画上の決定について、 非常に心配をしております。 というのは、 地方分権は一般的にいえば都市計画における民主主義的決定というものに大きなプラスになるとは思うのですが、 ただし短期的といいますか、 過渡的には、 ごり押し市長みたいなのがいたら、 かえってむちゃくちゃな決定がなされるおそれがあるということです。 その一つの例として私はこの橋の問題を感じざるを得ないわけです。
私は三条と四条の間の680mという比較的長い距離は、 先ほども申し上げたように自然を町の中に引き入れる上で、 きわめて重要な役割を果たしていると思います。
東山もこのごろ全然見えなくなりましたが、 京都ホテルの上から見ると東山がかなりよく見えるというような、 そういう風景としてはあるわけです。 しかし山と町との本当のつながりということからいいますと、 橋の上から北山の方を見て、 その山々から水が流れてくるという、 そういう風景を実感することができることは本当に得難いことです。 あの680mという長さを犠牲にすることは、 残念で仕方がないといわざるを得ないわけです。
昨日も、 四条から南の方の橋の間隔の短いところで、 ユリカモメが飛ぶのに苦労している様子を見かけました。 何かこう、 下がって上がって下がってというふうにですね。 ところが680mの広さがあれば、 ユリカモメも見事な飛翔をしています。
便利だからあの橋を架けるというのは人間の理屈です。 だけどユリカモメにとってみたら大変不便になったと思うと僕は思うわけです。 やはりすごい自然の流れが京都のど真ん中に、 三条と四条の間に存在しているということの価値を、 我々は十分に考えるべきであると思います。
そういった理由でわたしはあの橋に反対し、 むしろ橋はない方がいいというふうに思うわけです。 あそこに昔橋があったといいましても、 また新しい橋を架ける必要はそれほどないと思います。 利便性という点からいっても、 それはわずかな人の利便性であるという気がしますし、 また町の活性化といいましても、 今の先斗町が形づくっている一つの独自の性格を壊してしまうことは、 すべきでないと思います。 また橋が架かることによって、 昔お茶屋だった和風の建築の連続性が断ち切られてしまうということを、 私はあまりいいことじゃないと思うわけです。
さっきの『京の原風景』にも書きましたが、 鴨川西岸の建築も、 先斗町の和風の建築をのぞいては、 鴨川に尻を向けたような建築が多いわけです。 そして和風のお茶屋の建築の連続というものの背後には、 無茶苦茶な建築群が存在していると思うんです。
しかし私は三条と四条の間の和風の建築群を我々が守り通すことができたら、 その背後の建築もやがては鴨川に向いて、 鴨川から見ても美しい建築群として、 改善されていく余地は十分にあると思います。 ただ、 今橋を突破口としてあのお茶屋群の連続的な眺めが破壊されてしまったら、 一つの個性を持った眺めもなくなってしまうんではないかと、 そういったことを恐れるわけです。
こういった理由でわたしは今度計画されている橋に対して強く反対を続けてきましたし、 今も反対の気持ちは変わらないということをお話しして、 私の話を終わりたいと思います。
京都に似合わないから反対
京都造形芸術大学
中村 一
鴨川の美しさを損なう
都市計画決定のあり方がおかしい
680mの空間を損なう
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