川崎先生の論点が賛成側に加わりますが、 反論は今は控え、 賛成の方のこれまでの論点を見ますと、 まず利便性の確保を挙げておられます。
都市文化から見て反対
京都工芸繊維大学
材野博司
賛成の論点に反駁する
私は、 橋を架けることに基本的には反対の者です。 その立場から私の意見を述べたいと思います。
図1「計画論に対する賛否の論点」に今までいろいろなところで発表された論点を整理させて頂きました。
賛成論
1.利便性の確保
2.商業活性化への期待
3.日仏文化交流の記念事業
4.三条、 四条通りの通行混雑の解消
5.観光の目玉施設
6.周辺環境の歴史的町並みは消失してしまっている
反対論
1.パリ風橋は似合わない―日本の地形・景観との相違
2.国の文化とアイデンティティへの誤解
3.鴨川のオープンスペース・親水空間の消失
4.橋よりも必要な施設への要求(派出所・集会所等) 5.橋間距離の長い地区の架橋要求(南区等) 鴨川架橋間距離の分節リズム
6.先斗町の町並みへの分断の危惧
地元の駐車場部分の町並みの連続回復希望
7.広すぎる幅員10mの歩道橋
8.水害の危険性(水流への抵抗物になる柱脚) 9.鉄とコンクリートの材質感との不調和
10.合意形成の手続きの不備―公共による計画
しかしこの点については鴨川の東側と西側の人々に三つの大学と地元の方々が協力して六百票の調査をいたしましたが、 東側では、 橋の付近の人々は確かに賛成なのですが、 橋から離れていくほど無関心になっています。 特に三条と四条側に近い両端に至っては、 「橋よりは集会所か派出所でも作ってもらうほうがよろしゅうおまんな」というお考えがほとんどとなります。 逆に西のほうでは、 先斗町は四十五軒の御茶屋さんの内四十三軒が反対。 御茶屋さん以外の方々も「うちのバーもファサードが町屋ふうだからよろしゅうおまんねん」ということで、 ほとんどの人が反対です。 ただ、 木屋町でちょっと橋に近い人は「あってもいいのと違うか」というのが木屋町の平均に比べると多くなっていました。 このように、 この利便性もどうもはっきりしません。
商業活性化への期待もあります。 橋の西側(祇園側)が沈滞しています。 バブルがはじけてお客さんがこない。 ひょっとしたら、 橋が架かると木屋町の若者がきてくれるのではないかというのが大体のところです。 しかし、 積極的な活性化策とは地元の人も考えていないようです。
こんなあやふやなことのために、 橋を架けて良いのかというのが第2点です。
関連して三条、 四条道りの通行混雑の解消が挙げられます。 あるシンポジウムに出てこられた方が、 「商売のために自転車で行こうとすると三条大橋も四条大橋も、 土曜、 日曜は通れない。 だから歩道が何とか一本欲しい」と言われました。 これは確かに気の毒です。
ただこれも、 たとえば四条の阪急と京阪の間にエスカレータや自転車も通れるスロープを備えた地下道を作る方が、 少々お金はかかりますが、 本来的な対策だと思います。 そのほうが交通上も良く、 景観上も問題が生じません。 そこまでお金をかけなくても、 方法は他にもいくらでもあるのではないかと思います。
次に日仏文化交流の記念事業ということについてですが、 当初市長さんは日仏文化交流と言っていましたが、 いろいろな意見が出てきたためか、 「フランスのポン・デ・ザールの理念やコンセプトを大事にしようというもので、 何もコピーをするのではない」と言い出しました。 そのうちに、 日仏文化の仏もやめてしまって、 街並にあった橋だと言い出しています。 これについては後でスライドを見て、 本当に街並にあっているかを確かめて頂きたいと思います。
日仏交流は大切ですが、 例えばフランスが大切にしている宝物を、 記念事業のために一年間貸しますということであれば、 こんな素敵なことはありません。 あるいは、 人の交流だとか、 もっとソフトなことでやるべきことはいっぱいあります。 にもかかわらず、 日仏交流をお題目に橋を無理矢理に持ってくる。 これは、 日仏交流にとっても決して良くないのではないかと思います。
観光の目玉としてつくろうという賛成論もありますが、 ここに作る必要はありません。
「すでに周辺の伝統的街並が消失してしまっているから、 少々の物を作ってもどうと言うこともないのではないか」と言われたある著名なフランス文学者もおられましたが、 先斗町は貴重な歴史的生活遺産であり、 そこにその街並みに似合わない異質物が混入することは問題です。
なお、 鴨川の河原の一体化のために橋を作るという論点は無視できません。 確かに昔は橋があって、 それで一体化していたようです。 だた、 その時の橋のイメージをお聞きすると、 低い橋で、 水辺を見ながら、 水音を聞きながら渡れるような仮設的な流れ橋のようなものです。 このような橋であれば景観を壊さないでしょう。 私は賛成論でこの論点だけはわかる部分がありますが、 他は納得しかねるものです。
パリの橋の風景を見ると、 周辺が石やレンガですので、 確かに鉄は一見やさしく見えます。
ポン・デ・ザールがつくられたのは、 イギリスの産業革命を受けて、 フランスの技術者がこれからフランスに産業を興そうとしていた頃でした。 ものすごいエネルギーの中から出てきたもので、 そこには必然性があるのです。
それを鴨川に持ってきて良い結果が得られるとは思えません。
セーヌ川にかかる橋のリズムの中ではポン・デ・ザールがやさしく見えるのかなと思いますが、 私はアンバランスだと思います。 これだけの重いマツスの連続の空間の中で見ると、 確かに優しさがありますが、 当時の時代性といったことを別にすると、 私はポンヌフの方が美しく、 周辺の環境と合っていると感じます。
次からは日本の橋です。
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私は、 どうしても橋を架ける、 それも高い橋を架けると住民の方々が合意されたとしたら、 日本の棟梁たちに全日本の技術を集結して本当の木造の橋を作って貰えないだろうかと思います。 構造はヨーロッパ式の鉄とコンクリートの橋にしておいて、 欄干だけ変えようとするからおかしくなるのです。
京都市が橋のデザインについてアンケートをとっていますが、 これがまさにそういった類のものです。 欄干を3つ書いてどれを選びますか、 というものです。 それこそ川崎先生がおっしゃった上と下を別々にデザインする悪しき姿勢です。
それより全棟梁のエネルギーを終結して先斗町の街並みにも合った本物の橋を作ったらどうか。 そこまでやって京都市民の9割の合意が得られたなら、 私も賛成することにします。
地元はフランス風の橋を望んでいない
写真13は、 最初に紹介した調査です。 「パリのセーヌ川に架かる鉄橋に似たものが鴨川沿岸にできるのはどう思うか」と聞いたものです。 ほとんどの人が望ましいとは思わないと答えています。 ただ東側(祇園側)は思わないという人がやや少なく66%、 それでも7割近くです。 本当はパリ風の橋なんかは困るのだけど橋は欲しいという人がおります。 なかには「パリ風の橋がいやだというと橋を架けてもらえないから黙っているしかしょうがない」という答えもありました。 全体では75%の人がパリの橋はいらないと言っています。
写真14は橋を架けること自体の賛否を聞いたものです。 鴨川の東側には賛成の方が半分います。 西側は賛成が3割です。 全体で賛成が42%に対して反対が47%。 橋の付近で調査してもむしろ反対の方が多いゾーンでは、 橋から離れるほど反対者が多いという結果でした。 このことにより、 京都市の一般の市民の意向は、 橋から離れた地域の人々の意向と似ていると予測されます。
京都市は地元から橋を架けて欲しいという要望が強いから架けることにしたと言っていますので、 その点がどうなのかを聞いたところ、 東も西も含めて82%が特に要望はしていないという答えでした。 降って沸いたように橋ができると言うので、 そういうことなら欲しいと、 ごく橋に近い人が思ったという事ではないかと思います。 市の言っている事が嘘だということを示しています。
以上のように、 橋を架けたい、 架けるのだという地元の要望も市民の合意もないようです。
私は架けないのが一番だと思いますが、 今後もし架けようという合意が出来たとすれば、 できれば景観に負荷を与えない地下道が一番、 次が手すりもない、 水辺を楽しめる流橋のような低く小さい橋、 どうしても本格的な橋でなければとなれば、 先ほど申しましたように日本の棟梁が集結して作って頂く橋が3番目かなと思います。 選択は市民に任せるべきではないかと思っております。