南芦屋浜復興公営住宅は南芦屋浜に814戸の公営住宅を建設して、 仮設住宅で待機している方々に住んでもらおうというプロジェクトです。 たった2年の間に、 直接的に関係する方だけで1万人を越えたプロジェクトになりました。 通常でしたらもう少し違うやり方をするのでしょうが、 ともかく急がなければならなかったためにすごい数の人が関わった仕事です。
そもそもコミュニティ&アート計画がどこから出発したかというと、 住宅・都市整備公団が担当した景観形成指針にその発端があったと考えています(資料「景観形成指針」参照)。
この指針は、 公営住宅に限らず、 公団、 公社等の全6万戸にのぼる復興住宅について、 ある一定の水準を持ちながら、 大量にかつ速やかに建設するという目的で作られたものです。 建設省、 兵庫県、 神戸市ほか被災市町、 住宅・都市整備公団、 金融公庫、 兵庫県の住宅供給公社、 神戸市住宅供給公社が構成メンバーとなっている災害復興住宅供給協議会が作ったものです。
ここでは計画策定部会、 建設用地部会、 管理部会の3部会に分かれていろんなことをやっているのですが、 そのうちの建設用地部会が主となって設計指針を作成しています。 協議会が結成されたのが95年3月22日で、 設計指針ができたのが95年10月3日でした。
この中には、 基本方針、 適用住宅、 基本ルールといった項目があり、 その中の景観形成等という項目で「復興住宅では良好な景観形成に努める」とうたわれております。 それに基づいて景観形成指針を作ることになったわけです。 この冊子は全体で21ページあるのですが、 5ページ以降は全部景観形成指針で占められています。 具体的な内容については、 あとで星田君の方から報告があると思いますので、 ここでは省略します。
この景観形成指針の作成は住宅・都市整備公団が担当したのですが、 当時の復興事業本部の建築課長であった増永理彦さんから、 実際の作業を私ども現代計画で担当してくれないかという依頼がありました。 それを受けて作業したわけですが、 この指針の中には、 ハードなことだけではなく、 ライフデザインだとかコミュニティデザインといった視点も含めて環境を作っていかなくてはならない、 といったことが書かれているわけです。
その後、 12月の段階で、 公団の増永さんから「南芦屋浜の復興公営住宅の設計を引き受けてくれないか」という話がありました。 一つには、 この景観形成指針で色々書いたことの具体化をやって欲しいということでした。 ところが、 その南芦屋浜の立地条件は、 アステムで有名な芦屋浜のシーサイドタウンの南側の、 阪神高速湾岸線のさらに南側です。 完全に既成市街地からは縁が切れています。 なおかつやっと埋立造成が完了した段階で、 道路も敷地もなんにもない。 計画はあるけれども、 敷地図は書けないという状況でした。
ちょうどバブル期に計画されたということもあり、 もともとはこれからの豊かな生活に向けて、 ヨットハーバー付きの住宅とか、 民間住宅が主体で計画されていました。 当時、 高齢化や相続の問題で、 例えば六麓荘のような住宅地がどんどん細分化されている状況があって、 芦屋市としては税収上非常に怖いという背景がありました。 ですからお金持ちに住んでもらって、 ある一定の税収を確保しようという、 たぶんそんな狙いなんだろうと思います。
そういう事情で埋め立てていたところに、 たまたま地震が起きて、 まだ何も整備が行われていないところに、 いきなり公営住宅を作るということになりました。 そういう状況で住宅を設計しろという話ですから、 非常に乱暴な話です。 それを聞いた仮設住宅に住んでいる方が、 自分たちはそんなところに飛ばされるのか、 と感じられるというような立地状況です。
景観形成指針
参考資料:景観形成指針
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