まず、 公団がこのような事業をさせていただいたという経緯についてです。 震災復興が一つの契機になったのですが、 平成8年度に公営住宅法が改正され、 公団による住宅の買い取りとか、 借り上げ方式ができたということが大きな契機になろうかと思います。 そういった中で、 95年4月から、 震災復興本部は兵庫県域を事業地とし、 住宅建設をはじめ、 再開発事業、 区画整理事業、 密集市街地における共同再建住宅などの多方面の事業を現在行っているところです。 ひょうご住宅復興3カ年計画の中でも位置づけられており、 95年から今年度末までに公的住宅約6万4000戸の3割、 1万8000戸の住宅を建設しています。 その状況の中での、 南芦屋浜の814戸でございます。
私が東京支社におりました時には計画セクションに在籍し、 12年ぐらい計画をやっていました。 来る直前には、 幕張の住宅街区の計画をしていました。 一つの街区を一人の建築家だけではなく、 複数の建築家でまちとして作り上げていくことも経験していますし、 江川さんからありましたように、 まちを作るには一人では難しいし、 逆に危険性があるという認識は持っておりました。
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