神戸の東部新都心の場合は、 私も関わってやっとの思いで臨港地区の工業専用地域の半分に住宅を造ろうというところまできて、 震災。 すぐに大部分を住宅地にしてしまえという話になりました。 この場合は、 住宅地が倍に増えたんだからと自分を慰めていたんですが、 南芦屋浜については何とも乱暴な話だと思っていましたし、 プランナーの立場からも決められたことについて協力する立場ではないので、 この話については避けて通っていました。
というのは、 芦屋の人は芦屋浜でさえどこか私たちと関係ないというイメージが強い。 まして水路を隔てたさらに向こうの島(南芦屋浜)となると、 まるで島流しだと思われるでしょう。 震災前まで芦屋の町中の長屋や一戸建に住んでいたお年寄り達が、 被災後に仮設住宅に住んでいるわけですが、 その目の前で南芦屋浜団地の建設が始まりました。 一年間出来上がりを待つという残酷なシチュエーションだったのですが、 それについて何のイマジネーションも持てない関係者達はいったい何を考えているんだろうと思ったことが、 この仕事を引き受けた一番の動機でした。
文句を言うのは簡単ですが「じゃあ、 お前は何をするんだ」と自問自答して、 入居するまでの半年間の過ごし方と入居後の心配について考えました。 コレクティブハウジングも、 入居した後の過ごし方への心配から出てきた答えです。 コレクティブハウジングは被災地の公営住宅の約1%弱、 シルバーハウジングは約10%と決められています。 これは建設省と厚生省との取り決めで作られた非常に珍しい制度で、 それはそれでいいのですが、 では残り90%の住宅は造っただけでいいのかと、 かなり考えていました。 入居される人の過半数は、 お年寄りなのですから。 ただ私自身も忙しかったので、 計画が進んでいる間も心配だけはしていたものの、 放っておくという格好でした。
そういう時、 江川さんから話があって、 南芦屋浜でアートとコミュニティの関係を持った仕事ということでした。 そこで、 入居される方々がどういう形で暮らすかについての事前の話し合い、 つまりワークショップをさせてくれるなら協力しようということになりました。 人々の生活とアートが非常に密接な関係にある空間を目指しているのだろうと理解しておりましたので、 彫刻を置いて終わりというアートではないと思っていました。 それで、 ワークショップを開けるという仕組みならやりましょうと、 引き受けた次第です。
引き受けた経緯
最悪の立地
南芦屋浜に公営住宅ができる話はかすかに聞いていたのですが、 私は「何という所に住宅を造るんだろう」と思っていました。 もちろん、 そんな乱暴な話に付き合う気は全くありませんでした。 西宮でも、 震災前には西宮浜で積水ハウスが困っているという話を聞いていましたので、 西宮市に「住宅を造ったらよろしいやないか」と言いましたところ「工業用地として作った埋め立て地に住宅を造ることはありえない。 学校もないし」と答えていたのに、 震災が来たとたんに住宅を建ててしまうという無節操なことになっています。
入居後の心配にどう対応するか
ところがちょうど建物のパースが出来た頃、 江川さんから「コミュニティをベースにしたアートの話に協力してくれないか」とお話があったのです。 その時、 「アートにはほとんど興味がない。 コミュニティについてはかなり気になっている」と最初に答えたのを覚えています。
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