今、 ライフワークとして、 いろんな所で行われている新しいアートと社会の関係を調査していますが、 単なる鑑賞物ではなく、 場と人が関わることによって成立するアートが登場していることを見てきました。 つまり、 アートが自己中心的にあるのではなく、 そこにいる人、 住む人も含めてアートが存在するというあり方が、 とりわけ日常生活空間の中にあるアートの持つ大きな働きとして機能するのではないかと思ったわけです。
そして、 この団地は被災された方々が住む所だということも、 アートに大きく関わっています。 住空間であると同時に、 精神的・物質的痛手を体験した人々がもう一度自分たちの未来を創り出す場所でもあります。 それには、 決して物的充足感だけではなくて、 そこで一人一人が何かを発見し、 新しい関係を築き上げていけることが必要です。 そのための媒体となりうるようなアートを考えたいということが、 今回のアートワークの一番の基本となっています。
ここにおいては、 私は「関わる」ということを次のように考えていました。 まず、 一つ目には「コラボレーション」(協働)という言い方をしますが、 共同作業のプロセスにおいていろんな人が出会う場、 出来上がった時とその後という時間のステージにおいて、 いかにさまざまな共同作業ができる場を作っていくか。
また、 もうひとつは、 「関わること」が具体的な形をもって現れることです。 住み手が自分の住んでいる街や環境に対して、 関わった結果が目に見える具体的な形として表現される仕組みをどう取り込んでいくことができるのかということです。
三つ目としては、 どういう場面だったら関わることができるのか。 「参加」という行為は、 たくさんの人がわいわいとやったことだけを証拠とするものではなく、 どういう場面で関わることができるのかがとても大切なことだと思うのです。 そういう意味では、 今回のプロジェクトもまだまだ不充分な点があります。 それは、 いろんな外的条件で制約があったことが一番大きな理由なのですが、 もう少し関わる場面やあるいは何に関わるかについての整理が当初からできていれば、 と思うことが残念な点です。
話を元に戻すと、 社会的な文脈における住環境に住人がどう関わりながら新しい街との関係を作り上げていくのかということが、 私自身の課題としてあり、 その結果としてアートとの関係がちょうど両輪のように組合わさって、 このアートプロジェクトが進められたという構造になっています。 ですからアートプロジェクトとは言うものの、 始めにアートありきでもなく、 アーティストが主役になるものでもないことがこの計画の大きな特徴です。
アートと社会の関わり
アートの文脈
まず、 アートという文脈に関してですが、 パブリックアートとの関係に限定して言うと、 彫刻的なものや絵画的なものを置いておしまいという類のものが数多く見られます。 そういったもの全てがまずいわけではないのですが、 この団地計画の場合は、 日常生活の場にアートがあるわけです。 それがどういうことを可能にするのかは、 かなりよく考えないといけないと思いました。 つまり、 日常生活の中にアートがある意味とは何なのだろうか。 アートがあることによって、 人と人との創造的な関係を生み出せないかということです。
社会的な文脈
社会的な文脈については、 住環境・まちづくりとの関係に絞り込んでお話しします。 私が問題としたのは、 人と街との新しい関わりはどうしたら持てるかということです。 小林さんも先ほど触れていましたが、 今までの街づくり計画には、 住む人への想像力が決定的に欠けていると思います。 今回の計画には、 そういうことがないようにしたい。 そのためには、 そこに住む人が街に関わりうる仕組みを持つことだと思います。 最近よく「参加する」「関わる」「連携」という言葉が跋扈していますが、 私は参加することの意味をかなりよく考えてみる必要があると思っています。
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