私は、 東部新都心の復興住宅建設プロジェクトでランドスケープの仕事をしております。 今日はアートからの従来にないエネルギッシュな取り組み方を大変おもしろく聞かせていただきました。 ところで今日は当然造園の設計事務所の方が来ておられるものと思っていたのですが、 なぜか来ておられません。 なぜ、 主催者が呼ばれなかったかも不思議です。 私は彼ら当事者の発言をぜひ聞きたかった。 そして小林さんと同じ質問をしたかったのです。
この呼ばれていないところに潜んでいる問題点に私の最初の質問があります。 今回の設計プロセスをお聞きしていると、 当初のランドスケープ設計がアーチストによって蹂躙されたというパターンのように思えます。
先ほどの話のように一度設計したものを途中で変更する必要があったなら、 住民参加のコラボレーションも大事ですが、 ランドスケープとアートのコラボレーションをどのように進めるかも重要ではなかったでしょうか?。
もし、 ランドスケープは引き下がって、 アートに協力せよと言われたならば、 それはコラボレーションではない。 また、 一方でランドスケープ側が逆にアートの人達に「参加のデザイン」が提案出来ていなかったら、 それもコラボレーション力の未熟さとして全面的に反省しなくてはならないと思います。
同時に、 建築も一方向開放型の住棟配置はユニークなのに、 なぜアートを建築本体にも取り込まなかったのか、 という疑問もあります。 実際、 ロビー空間をギャラリーのように使う姿勢は高く評価できるのに、 ちょっと不思議です。 オープンスペースは道路で枠取りされることになり、 建築との直接的つながりのない従来型のパターンになっています。 アートやランドスケープ・デザインはそれらを横断するトータルな造形をもつべきではなかったでしょうか。
私たちも東部新都心で、 同じ課題を今も悩みながら進めております。 いずれその結果をまたご批評ください。
ランドスケープは何をなすべきだったか
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