南芦屋浜
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アートのあり方が違う

橋本

改行マークまずコミュニティ“&”アートと呼んでいまして、 コミュニティアートではありません。 なぜそれにこだわっているのかというと、 「パブリックアート」「〜アート」と、 アートにつく修飾語としてコミュニティがあるわけではないのです。 また、 コミュニティアートという特別なカテゴリーがあるというわけでもないのです。 ということを、 まず大前提にしたいと思います。

改行マーク今のご質問についてなのですが、 非常に難しい問題だと思います。 私自身も悩んでいるポイントの一つです。 といいますのも、 アートの解釈を今日どのように捉えるのかということと、 完全につながってくるわけです。 例えば、 毎日同じところを、 ぶらぶら散歩をするということが一つの自分の表現活動であるとしているというケースもあるわけです。 つまり、 アートとは何ぞやということの解釈は非常に幅広く、 かつ、 それはますます多様なものになってきているということなのです。

改行マーク住民が参加することにおいて、 アーティストは、 プロデューサーでいいのではないかということなのですが、 そうは思わないということをまずお答えしたいと思います。 作家自身は、 ランドスケープ彫刻という定義をしております。 つまり、 形あってのものであるということです。 形そのものが非常に大事であるということです。 ものとして、 あるいは景観として、 具体的な形をとって登場するということに対する創造性というものは、 アーティストの一つの大きな仕事であり、 表現の根幹をなす要件だと理解しております。 したがって、 だんだん畑の形に表れた一つの表現世界というものは、 重要な要件であり、 大事にしたいと思っています。

改行マーク次に、 今後住民の方が色々な植栽活動をして、 その中でどんなに変わっていくのか、 あるいは今後の意味についてです。 この作品のねらいの一つに、 この場所を、 ここに住む人たちの、 一つの植栽活動を通しての癒しの場、 思い出の場にして欲しいということがあります。 それは何を意味するのかといいますと、 非常にきれいな植栽をする必要はないということが一つ。 それから、 虫がきたり、 土壌が不十分でヒョロヒョロしたものしかできない経過があるかもしれないけれども、 それもよしとしようと思っています。 しかし、 放ったらかしになり、 草ぼうぼう、 あるいは虫がわく、 あるいは、 色々な争いの種になるかもしれません。 どこまで、 私たちがそれに関わって、 一緒に考えることができるのか確約はできませんが、 この芦屋のアートワークを一緒にやってきたチームは、 常に見守り、 ここの人たちとの交流し、 色々な問題があれば一緒に考えようという、 そういうしくみでフォローしようと考えております。

改行マークですから、 佐々木さんがおっしゃられたいわゆる計画論、 従来の仕組みとは、 ここの場合にはおそらく近くて遠いものかもしれません。

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