私は、 このワークショップには、 1回目からずっと出てます。 最初は、 小林さんもおっしゃっていたように「なんでアートやねん」という部分もあったのですが、 色々な方が参加しておられる中で、 私自身も力を得た部分があります。
前回のワークショップの中で、 グループに分かれて議論をしました。 テーマは、 自治会の運営の話、 どんなところに住むのかという自分の家まわりの話、 花づくりとか植物の話、 集会場をどう使うのかといった話、 見学会の話などでした。 その時、 どこに人が集まったのかというと、 自分の家のところばかりなのです。 大部分の人が自分の家のところに集まって、 その次にまあまあ集まってたのが花づくりでした。 管理のシステムだとかについて考えてみようという人は、 ほとんどいなかったのです。
その時に思ったのは、 これから住んでいくときに、 そのまちに自分が手をかける気になるきっかけはいったい何なのか。 それは、 アートなのか、 デザインされた環境なのかということです。 みなさんは今、 デザインされた環境の最終的な形をイメージされて議論されています。 でも、 木が育っていき、 熟成していくその間に、 手をかけていかなくてはならないものが、 今イメージされて議論されているものに到達する間にあるのではないかと感じたわけです。
その時に、 はじめてだんだん畑をアートと呼べる気になったわけです。 ひょっとして、 アートと呼ぶことの方がパワーがあるかもしれない、 と感じたわけです。 住む人が手をかける力になるものはなんなのか、 そこに何を付加することによって、 何が誘発されるのか、 またそのマネージメントはどういうものなのか、 このワークショップに参加しながら感じたわけです。
実際に、 砂利敷きの仮設の中は緑がいっぱいで、 花がたくさん咲いています。 そうしないと生きていけないという人々と、 一方で、 その人々がしつらえられた環境に移るという中で、 一体何がパワーを持つのかと考えていったときに、 やっとアートと呼んでもいいかなという気がしました。
アートがパワフルだった
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