インドネシアから留学していますエリサです。 今日はインドネシアのカンプンとKIPについてお話しさせていただきます(図1〜4)。
そのカンプンは、 オランダの植民地時代に既に成立していたものです。
カンプンの成立過程
図1 レジュメ1
図2 レジュメ2
図3 レジュメ3
図4 レジュメ4
図5 スマトラ島のメダンの土地利用図(1950年) |
ではなぜこのようなカンプンが生まれてきたのかということですが、 カンプンに住んでいる人々は、 田舎から都会にでてきた人です。 何故出てきたかには色々な理由がありますが、 大きく、 農村では仕事がないという経済的問題、 移住を容易にする社会的な問題と、 都市にでれば労働のチャンスがあるということがあげられます。
インドネシアには色々な民族がいて、 移住意向の高い民族と少ない民族がいます。 移住意向の高い民族には、 いつもどこかに移住するというマランタウという伝統的な習慣があります。
一方、 ジャワ人などは移住意向がないか、 少ない民族です。 ジャワ人の昔からの考え方として、 「食べることができても、 食べることができなくても、 いつもいっしょに暮らす」というものがあります。 できるだけ一緒に暮らします。
にもかかわらずジャワの人たちもどうして移住するのかというと、 干ばつとか、 経済の問題がひどく、 しょうがなく移住しなくてはならないという場合と、 街の中に既に親戚か知り合いの人がいるから移住するという2つのパターンがあります。 後者にはカンプンの在りようが深く関わっていると思います。