先ほどから路地の魅力ということが話されていましたが、 その魅力の中で街の美しさということを取り上げたいと思います。
私は、 街は美しくなくてはならないというのが信条です。 その観点から見たときの尾道の街とイタリアの街についての比較を、 お話しさせていただきます。
昨日、 尾道の街を歩いたとき、 何人もの人に声をかけていただきました。 大変ホスピタリティがある街だと感じました。 みなさん、 尾道の街が好きだし、 尾道を大変誇りに思っていらっしゃいます。 これはイタリアでも全く同じことがいえます。 その街を誇りに思っているからこそ、 住むのだし、 大事にしています。
その中でも特に、 街の美しさについてはどうか、 ということを尾道の人に聞いてみました。 私が見た感じを含めていいますと、 尾道の街は大変美しいのですが、 その美しさは街が美しいということではなくて、 自然が美しいのです。 尾道水道があって、 坂道があって、 緑もたくさんあって、 遠くに島が見えてという、 海と地形の美しさに大変恵まれています。 それを大変感謝していらっしゃいますし、 誇りに思っていらっしゃいます。
イタリアの路地も美しくて、 みんな美しいことを誇りにしています。 そしてそれは美しい建築物の集合体であって、 これは私たちが作ったという自覚があります。 また、 それは作っていかなければできなかったものです。 イタリアのどの街も、 昔から美しかったわけではありません。 洗練に洗練を重ねて、 無駄なものをそぎ落としていって今の状態になっています。
イタリアの街の都市計画の根本的、 基本的な理念は、 街を美しくするということです。 そのためにお金をかけるということが基本です。 また、 街を美しくするためには、 何が美しいのかという共通の価値観をみんなで持ちあわなければならないということがベースにあります。
それに比べてイタリアの街は尾道ほど美しくは生まれていないけれども、 一生懸命お化粧をしていて、 身なりに気をつかい、 おしゃれもして、 努力して美しくなっている女の人というふうに感じました。
あえて、 こんな風に表現してみました。
街の美しさについて
街を誇りに思っているということ
だいたいイタリアの街、 路地を分かっていただいたかと思いますので、 その上で、 尾道とイタリアの街を比較して話をさせていただきます。
街、 建築そのものが美しいか
それでは、 街、 建築そのものがどうかといいますと、 あんまり意識されていませんし、 実は私もそれほど美しいとは思いません。 このことは日本人全部に共通することですが、 それが尾道に特徴的に現れているのかもしれません。 要するに、 自然などの与えられた条件に大変恵まれていて、 美しいところに尾道ができています。 それは大変うれしいことだし、 ありがたいことだし、 それを誇りに思っているということが、 尾道の美しさだろうと思います。
イタリアは化粧美人、 尾道は素顔美人
美しいといっても、 尾道とイタリアは違う美しさだと思いました。 これをもう少し簡単な表現でいいますと、 尾道は大変美しく生まれた人、 生まれつき美人の女の人だと思います。 だから、 お化粧もほとんどしないし、 おしゃれもしなくていい。 普段着のまま歩いていても美しいわけです。 わたしは美しく生んでもらってよかったわといって喜んでいる街です。
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