もう一つは、 生活者のあずかり知らないところで街のあり方が決まっていくというあり方ではないことです。 ここに生活している人がいて、 初めてそこに道が必要になって、 下水道の必要性が出てくるということです。 要するに、 部分の論理でものができていくということです。
今日はいくつかの路地のスライドで、 このような外挿的な意志(計画というもの)の指示を受けていないまちの作られ方を、 見せていただきました。 そこで、 そういうものがなぜ非整形な形になるのか、 これらをどういうふうに我々の計画の中に意図的に活かしていくことができるのか、 自己生成的な系の持っている秩序というものは一体どういうものなのかを探ってみたいと思います。街のタイポロジー
自己生成的とは
各構成部分が自発的に相互作用をしながら形成されていくようなシステムをここでは自己生成的というふうに呼んでおきます。 したがいまして、 全体像があってそれに向かって徐々に作っていく、 いわゆる線形的な計画の対象ではなく、 非線形的な計画です。
図1 |
その反対に、 区画が“きちんとして”いて、 路上に生活が見えてこないと、 現在のいわゆる“計画的”な開発のまちの姿になります。 そういった色々なまちの姿があるわけです。 そういうものを、 路地であるとか、 路地でないとかいったことから一旦離れて、 まちのタイポロジーから見るため次のような要素を考えてみます。
(1)空間形態(道/建物) 0=整形
1=不整形
(2)境界の形態 0=明解
1=曖昧
(3)道の私的占有 0=無し
(路上占用) 1=あり
ここで地先利用は(2)に含める
インディックスとして、 (1)道や沿道の建物という空間形態が、 整形か不整形かで分けます。 何をもって整形とするのかは非常に難しいのですが、 おおざっぱに考えます。 それから、 (2)道の空間と建物、 あるいは私の空間との境界が明解か、 曖昧かということ、 (3)道の上を私的に占用している活動形態があるのか、 ないのかという、 3つのインディックスでタイポロジーをやってみようと思います。 なお住んでいる人が前の道に植木を置いたりする地先利用は(3)道の私的占有ではなく、 道と建物の境界が曖昧な状態と考えることにします。
図2 |
図3 |
図3が、 今から見ていただくタイポロジーです。 3つのインディックスを「ある」「なし」という2つの項目で考えると、 8つのタイプが得られます。 これから、 路地である、 路地ではないということを抜きにしまして、 街そのものをこのタイポロジーで見ていただきたいと思います。