そもそも都市案内は、 公的なものなのかというところまでつめて考えると、 なかなか難しいと思います。
従来型の案内の形式の中で心地よいというものがあるのかというと、 たぶんないと思います。 先ほどのカーナビの話を半ば冗談めかしてお話しましたが、 ある人にとっては、 東北弁のナビゲーションが非常に心地よかったというエピソードが一つのヒントかなと思います。 全ての人にとってこれでいいだろうという案内はあふれています。 一方、 ある人にとって非常に心地いいという案内の事例を色々挙げることはできますが、 それを環境デザインというところまで一般化して、 公共性ということとも関連しつつ、 どう考えるのかというのは難しいことかと思います。
地図のレイアウトも今までの日本人の常識からずらして、 イタリア的なデザインを取り入れていると理解しています。 それを組み合わせて仕上がってきたものを見てみると、 従来の外国人観光客向けのガイドマップとは明らかにテイストが違って、 特に色合いが違っているものが仕上がりました。
それを見て、 我々は、 見慣れたものではないので、 はっとするわけです。 大阪をよく知っている我々の方が、 外国人向けガイドマップを見てはっとするわけです。 案内とか地図のスタイル、 フォーマットにおける地域差みたいなものを考えることによって、 今後、 案内のありようを考え得るのではなかろうかということを、 イタリア人好みの大阪の地図を見て思いました。
案内の環境デザインは可能か
橋爪紳也
サインの公共性、 案内の公共性
サインの公共性は非常に考えやすいのですが、 案内の公共性は、 結構難しくて深い問題だと思います。 考えすぎると、 無駄な案内も増えるわけです。 そこには、 非常に深い問題があると思います。
心地よい案内とは
心地よい案内についてですが、 多くの市民一人一人にとって心地よい案内という概念と、 都市案内という従来のフォーマットから我々が作っているようなものを重ねあわせてみると、 何がみえるのかということを考えてみました。
外国人向けガイドマップから見えるもの
大阪の観光協会が新しい英文の観光マップを作っていますが、 そのデザインを喜多さんがディレクションされました。 彼は、 イタリア人の写真家を道頓堀などに案内して撮らせたのですが、 その写真は日本人が撮るカットとは全然違いました。
このページへのご意見は前田裕資へ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai