例えば、 ポツダムプラザであれば、 二つの大きな街区があるのですが、 一つはレンゾ・ピアノ、 もう一つはアメリカのヘルムート・ヤーンです。 それから、 チェック・ポイント・チャーリーの近くの街区は去年なくなってしまいましたが、 アルドロッシが入っていました。
マスターアーキテクトは、 黙っていてもかまわないけれども、 意見を言ってもかまわないということですが、 必ず、 誰かが意見を言います。 それを全部統括するためにあります。 日本でいえば神戸市とか住都公団のような人がついていて、 そういう人が、 今度は、 マスターアーキテクトに、 がんがん意見を言うわけです。 マスターアーキテクトは意見を持っていて、 マスターアーキテクトがそれぞれの担当者に言うという進め方をやっているわけです。
これが全てではないのですが、 要するに、 ある程度はそれがうまく機能しているのではないかと思います。
今、 ベルリンで一番議論されているのは、 戦争の責任ということです。 冷戦の時代になって、 壁ができて、 その後、 壁がなくなって、 そういうことを問い直しています。 これを神戸に置き換えたら、 地震という世界に類をみない大カタストロフィーに対する議論がなされています。 一方は戦争で、 人間対人間の関係における一つの犯罪であったわけですが、 神戸の場合は、 自然対人間における一つの事件です。 突き詰めていったら、 やっぱり人間の問題です。 形としては違いますが、 地球の上における大きな歴史的な事件だと思います。
それは、 重要な要素を持っていると思います。 大きな被害を受けたということは逆に、 ものすごくプラスに働かせることができるのではないかと思います。 人間の内面に深く受けた一つの傷が、 後生まで伝わっていって、 おそらく1,000年経っても神戸の大震災の話をすると思います。 第二次大戦の話も同じです。 そういうことが、 歴史観として深く関わっていて、 それが今回のプロジェクトにおいても重要な意味を持っていると思います。
ベルリンにおける
マスターアーキテクト方式による開発
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