これは当時小林さん達が作成された復興計画の図面の一部です。 これを見て事業対象地区がどこになるか、 しかし白地地区が一番大変だとか、 これから始まる復興事業の規模の大きさに身のひきしまる思いがしたものです。
当時、 兵庫県の発表では38,000戸の住宅を、 復興住宅として早急に建てることになっていました。 その最も広い敷地が、 ここの川鉄と神戸製鋼の工場跡地でした。 大量に、 早急に建てなければならない。 だからあなた方設計者が集まってもらったんだ、 と住都公団の瀬渡さんから緊張感あふれる表情で告げられた事を今、 思い出します。