ジョグジャカルタの原型について
シータ
井口先生の質問についてですが、 1775年以前のジョグジャカルタは森ばかりでしたが、 少しモニュメントもありました。 後、 ギアンディという約束がありました。 その約束でジョグジャカルタも出来ているのです。
図1 神聖な軸を持つ初期ジョグジャカルタの構成 |
オランダ人が入って来て、 宮殿のようなオランダ政府の施設がつくられ、 鉄道がひかれ、 今のジョグジャカルタの原型が出来ました。 イギリスがやってくると、 カプアランという王宮もつくられました。
今、 ジョグジャカルタの中心には王宮があり、 アルンアルンがあり、 周りにはカンプンが広がっています。 城壁のなかには王宮の軍隊のカンプン、 あるいは楽隊(ムジカナン)や使用人用のカンプンを王様がつくっています。 パ・ウォン・クラトン(パ・ウォンは台所の意)クラトンは今でも王宮の台所になっています。 しかしそれ以外は名前だけ残っているだけです。 クラトンに関係がありそうな名前でありながら、 実際にはクラトンと関係がないカンプンになっています。
コタ・グデはジョグジャカルタの前に王宮があったまちですが、 まだ歴史的な変遷が良く分かっていません。 井口さんが指摘したように、 昔の村の影響が残っているかについては、 これから調べないと分かりません。