コモンセンスとしての町「並み」
鳴海邦碩
制度については、 本質的な話として、 抜け道がとても多いことを指摘しておきたいと思います。
たとえば保存地区を決め、 デザイン・ガイドラインをつくり、 それらを審議会が承認したとしますと、 手続きは完璧です。 しかし市民が反対だということがあります。 京都ホテルも鴨川の歩道橋もこのような例です。
システムは完全ですが、 誰もデザインしていないのです。
京都駅については正しいプロセスを経て行なわれていませんので、 コメントをする必要もありません。 個人的にはこの建物のデザインはきらいですが、 何故嫌いなのかを説明することができないのでやめておきます。
問題は正しいプロセスを経ていながら、 市民の同意が得られていないものです。 このケースはヨーロッパでも同様のことがおきています。 システムの限界です。
まちづくりについて、 日本の状況を理解いただくために興味深い言葉があります。 それは町並みです。 これを英語で表現するのが難しい。 town scapeではありません。 オギュスタン・ベルグが指摘したことですが、 町並みの「並み」は世間並みの「並み」と同じで、 「町並み」も同じニュアンスがあるのではないかと言っています。 私は「町並み」というのはコモンセンスの感じられる家々の並びだと考えています。
町並み保存は1970年代に若い人たちがこの町「並み」に関心を持つことにより広がりました。 これは歴史的町並みとも言いますが、 ヘリテージとは少し意味が違います。 歴史−コモンセンス−コミュニティという流れの中で捉えられているものだと思います。
現在、 「まちづくり」という言葉も盛んに使われるようになりましたが、 私は「まちづくり」とは、 このコモンセンスをつくることだと考えています。
それは物理的なものだけではなく、 環境や活動や経済などを含め、 総合的にコミュニティのアイデンティティを造りだそうというものです。
なお文化財の保存についてよく問題となる真正性(オーセンティシティ)についてですが、 先ほどお見せした大邸の写真の建物や町並みにはオーセンティシティがあると言えるのでしょうか。 ヨーロッパ人はおそらく認めないでしょう。 10年たったら消えてしまったのですから、 テンポラリーなものだと言うと思います。 彼らは200年は続かないとオーセンティシティを認めないようです。
ところで高層ビルはどうかというと、 たかだか数十年しかまだ経っていないのです。 私は、 これは一時的なものだと思っています。 もしオーセンティシティがあるとすれば、 オーセンティック・スラムとしてでしょう。
私たちはこれからどういったオーセンティシティを作り上げていくのかが、 一方では問われていると思います。
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