新アテネ憲章誕生の経緯
旧アテネ憲章は1928年に作られ、 1933年の第4回近代建築国際会議の時、 アテネからマルセイユへ向かう船の中で採択されました。 この憲章は我々が学生の頃もよく勉強させられたものです。 後にいろいろと批判されましたが、 今でも私たちの頭の中のどこかにあって、 いろんなアイデアを生み出している憲章です。 今回、 新しいアテネ憲章が出されましたが、 古いアテネ憲章を全否定したのではなく、 継承しながら新しい考え方で21世紀に生かそうという発想だと思います。 試案は起草委員会によって作成され、 それを都市計画家評議会が承認したという形となっています。
この新アテネ憲章がどういう経緯で誕生したかを、 憶測も含めて紹介しましょう。
ヨーロッパはEUという国境のない地域を作っていこうとする新しい動きの中で、 EUを支える概念として、 福祉や人権、 環境、 交通などの問題にひとつの標準的な考え方を作っていこうとしています。 そうした様々な取り組みは、 ここ数年、 いろんな分野で行われていて、 「都市環境における緑書」(1990)や「ヨーロッパ2000」(1991)などはそうした作業の一環として作成されたと思います。 こうした動きが、 今回の新アテネ憲章に繋がってきているわけです。
新憲章の基礎となっている資料と考え方
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1996年6月の国連ハビタット第2回会議(イスタンブール)
リオ・デ・ジャネイロでの地球サミット
また本文には、 Gro Harlem Brundtland女史の名前が個人名としては唯一出てきます。 この人は前ノルウェー首相で、 1998年1月にWHOの長官に選任されました。 地球環境問題のパイオニアの一人ですが、 この人の都市に関するアイデアが相当強く影響していることがうかがえます。
ヨーロッパの人権、 経済、 福祉の標準については分かりやすいのですが、 都市を巡る標準についてどう考えたのかを探るのが今回のセミナーの目的のひとつです。 EU 11カ国はとても広い範囲でもあり、 地域の文化も違うのに、 なぜ都市に関する基本的考え方をまとめたのか。 また、 なぜその必要があったのか。 その背景を考えながら見ていくことは、 私たちにいろんな示唆を与えてくれるでしょう。
同時に、 21世紀の都市に向かってヨーロッパのプロがどういう都市像を描いたのかを知ることも大事だと考えています。
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