1。 アテネ憲章との比較からのコメント
新アテネ憲章は3つの原則から構成されていますが、 最後の「10セットの提言」に基本的な考え方が集約されていると私は理解しました。 そこで、 「10セットの提言」に沿って旧アテネ憲章ではそれに対応する部分がどのように書かれていたのかをまとめました。 それに沿って、 簡単にご説明します。
1 全ての人びとのための都市
30 …かっての空地は特権階級の慰めだけの存在理由であった。 …
35 すべての住宅地には、 これからは幼年、 青少年、 成年の遊戯や運動の場の整備のために必要な緑地帯を備えること。 …
旧アテネ憲章も非常に社会性を持っていたことが分かります。 例えば「一定の住みやすさの質を誰の手にも届くようにしなければならない」とか「どの家族もみな、 光と空気と広がりを確保できるように」など、 社会性を強く意識しています。
ただ一方では「空き地は特権階級の慰めだけの存在」という捉え方をしているのですね。 また、 住宅地には「幼年、 青少年、 成年のために必要な緑地帯を備えること」としていますが、 老人が特にとりあげられていないことが現代とは違います。
2 真の住民参加
91 計画の進行は、 政治的、 社会的、 および経済的因子によって、 根本的な作用を受けるだろう。 …目覚めた民衆が、 専門家達が考案したことを理解し、 望み、 求めるまでに成ること。 …
87 都市計画の任務を受け持つ建築家にとって、 その物差しとなるのは、 人間を標準とした尺度である。
92 建築は、 ここで最後の手段として登場するのではない。 建築は都市の運命を主宰する。 …建築はすべてのものの要なのである。
これは新アテネ憲章とは違うスタンスがとられています。 まず「計画はプロが作るものだ」という意識が強い。 住民についてはどのような見方をしているかというと、 「91.目覚めた民衆が専門家たちが考案したことを理解し、 望み、 求めるまでになること」という表現にあるように、 啓蒙主義的なスタンスでした。
もう一つ特徴的なことは、 「建築が全ての要だ」と書いてあるように、 プロとは結局建築家のことで、 建築家の役割を重要視していることです。 余談になりますが、 これはコルビュジェ自身が後で書き加えたという逸話があります。
3 人間同士のふれあい
95 個人の利益は、 集団の利益に従属せしむべきである。
そもそも旧アテネ憲章では「ふれあい」ということを書いてないのですね。 強いてあげれば「協同の利益」「集団の利益」という言葉が、 個人の利益や自由に対置するものとしてあげられています。
4 特質の継続
65 建築上価値あるもの(独立建造物、 あるいは町全体)は保護されるべきである。 都市の生命とは一つの連続した現象であって、 道路や建物といった物質的表現によって世紀の間に、 独特の個性をつくり上げ、 徐々に都市の魂が生まれ出るのである。 …
66 保存修復に該当すべきものは、 それが過去の文明の表徴であり、 一般の要望に答えるものである場合…。 過去のものは、 古いがゆえのみで永久性を原則として主張する権利はない。 …
67 それらの建物の保存によって、 不健康な環境に釘づけにされ、 人びとを犠牲にするのでない場合…。 社会の共存よりも美を重しとする人びとが、 絵画的な古い街区の維持について、 その地区に蔓延している悲惨、 混乱、 疾病などを気にとめず、 やかましく主張する。 …いかなる場合にも、 風致とか、 歴史とかの崇拝が、 住民の暮らしよさ、 精神的健康と密接につながる住居の健全さより優先することは許されてはならない。
68 これらの存在が妨げになるとしても、 たとえば、 交通の主要部を迂回せしめるとか、 それまで動かしがたいものとみなされててきた中心街の移設を敢行するといった革新的な治療が可能である場合…。
69 歴史的遺構の周辺の陋屋を取り払うのは、 緑地帯新設に絶好の機会となる。 時には、 歴史的な価値のある建物の周囲の非衛生的な家屋や陋屋の一掃によって、 まわりの年来の雰囲気が失われてしまう場合もないではない。 遺憾なことではあるがいたしかたがない。 …
70 新しく建てる建物に、 それが歴史的な土地であるがゆえに、 美を口実として、 過去の時代の様式を使用するのは不幸なことになる。 かようなやり方に、 肩をもったり、 またこのような企図を受け入れたりすることは、 いかなる形でも許しがたい。
私は旧アテネ憲章は機能主義、 モダニズムという印象を持っていたのですが、 改めて読み返すと意外にも「継続」を重視する記述があり、 びっくりしました。
例えば「65.建築上価値あるものは保護されるべきである」という文章は、 先ほどのサステイナブルの観点で見ても現代にも通じる概念です。
しかし、 現実的な話になると全く違う様相が見られるのが旧アテネ憲章の特徴です。 「69」を見ると、 「残さなくてはいけない所でも周囲が非衛生的な家屋であれば、 それを取り払うのは緑地帯新設の絶好の機会。 雰囲気が失われてもいたしかたない」と書いてあり、 やはりその時代の特徴だなと思います。 また「70」で「歴史的な土地だからと新しいスタイルが受けいられないのは不幸だ。 許し難い」と書いてありますが、 この感覚が旧アテネ憲章のもっとも特徴的なスタンスだろうと思います。
ちなみに歴史的なスタイルへの対応の記述が多いのは、 イタリア代表の建築家が強く主張したからと言われており、 いかにもお国柄を感じさせるエピソードだと思います。
5 新しい技術からの利益
28 現代技術の高度の応用によって、 高層建築を建てることを、 考慮に入れるべきである。
90 この重大な責務を解決するためには、 近代技術の能力を活用することが必要である。 この面では専門家の参加によって、 科学のもつ確実さ、 時代の提供する資源と幾多の発明とに支えられて、 建築の術は豊かにされるだろう。 機械文明の世紀は新しい技術を導入したが、 それは都市の混乱と激動の一つの原因でもある。 だがまたその解決は、 実にこの新技術に求めなければならない。 …
これについてはいろんな所で言及しています。 特徴的なことは「機械文明」という言い方をしていることです。 新アテネ憲章では「情報技術」が強調されていますが、 旧アテネ憲章では「機械文明」や「高速度交通機関」が強調されています。
認識の仕方としては「90」の後半に書かれているように、 機械文明によって都市は混乱してしまったけれどその解決は機械文明に求めなければならないというスタンスです。 この論調は、 アテネ憲章のあちこちに見られます。
6 環境的側面
23 これからの住居地区は、 都市内の最上の空間を占め、 地形を利用し、 気候に順応し、 最も日当たりのよい、 適当な緑地を配した所とすべきである。
26 各住戸に、 少なくとも最小限の日照時間があるよう規定されねばならない。
ご存じのようにこれに対応する部分としては、 緑、 太陽、 日照時間、 空間が環境的側面として語られています。 もちろん、 まだ地球環境に対する認識はないし、 持続可能性ということも語られていません。 アテネ憲章では、 環境的側面は非常に具体的なものとしてとらえられています。
7 経済的活動
73 私利の暴力により、 均衡の破綻が二つの力の間に引き起こされた。 すなわち一方には経済力の推進があり、 行政の統制力の弱さと社会の連帯力のなさがあった。
新アテネ憲章では経済的活動が目標の一つに位置づけられていますが、 旧アテネ憲章ではあまり重きを置かれていません。 ただ都市を規定する外部条件として認識しているところが現代と違うところだと思います。
8 移動とアクセス
57 権威を求める奢侈的な設計の路線は、 交通のひどい足手まといとなることがあったし、 また現在もありうる。 …こうした建築的な構成部分に対しては機械化された乗り物の侵入から守られるべきで …。
これについてはいろいろなことが書かれているのですが、 興味のある箇所だけを抜き出したのが「53」「57」です。 特に「57」の「権威を求める奢侈的な設計」という表現は、 現代とは違う感覚だと思いました。
9 多様性と相違性
78 計画案によって、 各地区にこの鍵ともいうべき四つの機能が割り当てられ、 全体の中にそれぞれの占めるべき場所をも決定するであろう。
これに関連する文章は直接にはないのですが、 よく知られているように都市計画の4つの機能として「住む、 働く、 楽しむ、 往来する」をあげ、 それを空間的に割り当てていくという考え方が強調されています。
10 健康と安全
36 不健康な街区をつぶし、 その跡地に緑地帯をつくるべきである。 これにより隣接地域は浄化される。
ここで特徴的なことは「保健衛生」という言葉がしばしば出てくることです。 「24」「36」に書かれているように、 不健康な空間はつぶす対象としていました。 新アテネ憲章では、 健康と安全面では犯罪や地域紛争が課題とされていますが、 ここでは保健衛生が取り組むべき課題としてあげられているのが、 現代と違うところです。
以上のように新アテネ憲章と旧アテネ憲章を対比してみました。 旧アテネ憲章からちょうど65年目に新アテネ憲章が作られたわけですが、 私にとっては65年の歳月の距離をはかるという意味で面白い作業となりました。
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