僕は1971年から1年半ほどジャン・カルロ・デカルロの事務所で働いていました。 彼は近代建築家の第二世代に当たるスタイルでしたが、 旧アテネ憲章の世界から脱却しようとした最初の世代の建築家でした。 彼は「中心市街地をどう再生するか」をイタリアで初めて提案し、 実際にウルビーノの街で実践しました。 それから、 市民参加も初めて提案し、 計画に取り入れました。 私はそれを身近に見て経験することができたわけです。
今回、 鳴海先生から新アテネ憲章の資料を見せていただき、 隔世の感があると感じています。 やはり、 これからはデカルロが言っていたように、 郊外開発ではなく中心地開発をしなければならない時代になってきている。 また、 市民参加はデカルロの時代には計画にどう市民を参加させるかを言っていたのですが、 今は街の運営、 管理、 経営にどう市民が関わっていくのかの時代になっているわけです。
大きく時代が変わっていることを感じます。
是非、 あと一言いいたのですが
井口勝文
私も一言だけ言わせてください。 丸茂先生は「ヨーロッパの都市はアテネ憲章を受け入れてこなかった」とおっしゃいましたが、 イタリアの伝統地区ではないところ、 郊外の工場地帯の開発はまさにアテネ憲章に沿って行われているんです。
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