民俗地理学から都市を語る「故郷の景観について」
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

都市での「関係」のあり方

無関係の関係

小浦:

改行マーク森栗さんの最初のお話は、 下町の生活のなかには、 ある種のルールがあって、 そのルールは共有化されており、 そういった意味での人間関係があり、 それが「見えない景観」になっているというお話だったと思います。 ただ、 お話いただいたいろいろな事例では、 お地蔵さんとか、 隣の音が聞こえるだとか、 緑があふれているなどといった形で、 それが表現され、 いろんな場面で見えてきていると思います。

改行マーク一方、 都市のなかで人が集まっている状況は、 無関係を許容している状況です。 例えばミナミの戒橋やターミナル駅のコンコースでは、 ある瞬間その場を共有することで、 場のなかでのやりとりのようなものがありそうです。 「無関係の関係」ともいえる都市の中の距離間です。 無人コンビニにはそういうものがないのではないかと、 お話を聞きながら感じました。

改行マークコンビニなどは非常にフィジカルで空間としては見えやすい筈なのですが、 下町のように見えないものが見えてくるということはない。

改行マークまた今、 携帯電話に象徴されるように、 個人の場所が物理的な制約を離れてどこにでもあり得る状況のなかで、 どういう場のルール、 人間関係がありうるのかということが非常に気になります。


神と翁の不在

森栗:

改行マーク前近代では、 そういう「無関係の関係」をつくる場、 例えば市(いち)の場合、 それを支配する「神」が必ずいます。 その神様の名の下にやくざが仕切るわけです。 居住空間と居住空間の間のような所、 誰のものでもない「無主」の所を、 神様の名のもとに支配したわけです。

改行マークその「神」がいない場合、 神様の代わりを誰がするかというと、 「翁(媼)」です。 つまり高齢者の差配が大きな意味を持つわけです。 いろいろ議論はするけれども、 「翁」が最後に一言言うことで決まる。 これが日本的民主主義のやり方です。

改行マーク現在、 この「神」もなければ「翁」もないという状況が、 一番重要な問題なのではないかと思います。 それを行政がやれば、 とんでもないことになりますし…。

改行マーク昔は隠居になることが、 人生の目的だったんです。 45歳くらいで自分の地位が認められると、 小唄などいろんな技能を習得して、 さっさと仕事もやめて隠居してしまうわけです。 またそれが恰好のいい生き方だとされていた。 高齢者になる前にほとんどの人が死んでしまったということもあります。 ところが今そういう人がいない、 「翁」がいない、 「神」がいないということだと思います。

小浦:

改行マークやはり、 場所というのは人なのでしょうか。

森栗:

改行マークそうだと思います。


機能主義と核家族

小浦:

改行マークもう一つ伊東先生からお話のあった「機能が移動する」ということについて、 もう少しお話いただけるでしょうか。

森栗:

改行マーク住む場所と働く場所と遊ぶ場所とが、 みんな分かれているということではないでしょうか。

小浦:

改行マークもともとはそうではなかった、 もっと混在していたものが分離していって、 しかも移動距離が延びていますが、 それはなぜでしょう。

森栗:

改行マーク家庭が関係しているのだと思います。 家庭が家庭という機能だけで完結しているから、 働く場所は別の所にあって、 買う場所も別の所にある。 それらの機能のために人も物も移動するということです。 機能の移動という問題と、 都市のなかにおける機能重点主義、 そして核家族という問題はセットだと私は思います。

改行マークただ、 この核家族自体もバラバラになっていて、 そうすると次に考えなければならないことは、 にもかかわらず共同生活をしている私たちは何なんだということです。 たまたま共同生活をしている人間がいて、 その人間と生活しているこの場は何なんだということが一つ。 それから近所の問題もあるでしょうし、 定期的に移動している先の人間関係の場のような問題もあるかもしれないと思います。

伊東:

改行マーク当たり前の話かもしれませんが、 人間は一人で生きていけるようなふりをして、 錯綜しているのです。 だから突然「コミュニティをつくれ」と言われたりして、 おたおたするわけです。 しかし普通に考えれば人間は絶対に他者を求めているはずです。 その他者との関係がどういうものであるのか、 そのバリエーションや場を考えるなかで個人のあり用の多様さがあるのだと思います。


ぐうたらコレクティブ

後藤:

改行マーク震災復興の話のなかでコレクティブハウスが取り沙汰されていますが、 私自身はあまり好きではありません。 他人が一緒に生活するということ自体、 続かない、 無理があるという思いがあります。 横文字でコレクティブハウスという名称になっていますが、 日本語になおして、 西洋の受け売りではない、 もう少し日本的な在り方をどう模索したらいいのかということを思っているのですが…。

森栗:

改行マーク確かにそばで見ていて無理な部分はあると思います。 ただいろんな選択があっていいと思っています。 なかなか難しい部分はあるかとは思いますが、 一応つくっておいて、 そのなかでみなさんが生活のしかたを考えていけば、 それはそれであり得る話だと思っています。

改行マーク今、 新長田駅北のアジアタウンの所で、 長屋をつくってほしいという地主さんがいらっしゃいまして、 話を進めています。 それは、 長屋より少し上等で、 スペースも広く、 でもやはり長屋であるというものです。 下は商業施設的なものが入るのですが、 三階建てで渡り廊下もついており、 ドアではなくて引き戸で、 イメージとしては昔の文化住宅です。 ただし、 昔のように文化のない文化住宅ではなく、 ちゃんと文化を付加したいと思っています。

改行マーク真野のコレクティブハウスは、 公営住宅がベースにあるのですが、 むしろ文化住宅のいいものというイメージのほうがいいのでは、 という思いです。

改行マークルールの場という意味では、 その文化住宅の下の商業施設の横に共同リビングのようなものをつくって、 平日はそういう使い方も出来るし、 日曜日には商売もできる。 銀髪のマスターがコーヒーでもたてて、 若い人が集まる。 そこでやりとりが生まれるような喫茶店をと思っています。 また、 コンビニなどもうまく設定したい。

改行マーク「ぐうたらコレクティブ」という言い方をしておりますが、 自分でご飯を作って云々というのもしんどいので、 コンビニで適当に買ってきて、 みんなで食べてビールでも飲んだらええやないかと。 ただ人間というのは贅沢なものですから、 コンビニで買うことをベースにしておきながら、 なおかつ時々自分で作るのも楽しいなという、 そういうふうなものを考えています。

小浦:

改行マークコミュニティという言葉にはいろいろ異論もあるようですが…。

森栗:

改行マーク私が「つながり」という言葉を使うのは、 「ふれあい」という言葉が何かべたべたしていて気持ちが悪いから、 ちょっと薄くつながっているというような感じを出したいためなんです。 しかし一方では、 私も含めて多くの人たちは、 自立しきれていないわけで、 そういう状況のなかで、 一気につながりをつくれと言われても、 それはなかなか難しい話です。


都市の現状を肯定するだけで良いのか

田端:

改行マークお話しになっているような都市の現状そのものがまずいのではないかと思います。 震災が起こった時、 たまたま男性がいる時間帯であったわけですが、 もし男性のいない昼間に起きていればもっと悲惨な状況になっていたと思います。 そういうことを考えると、 身の回りで男性が仕事をしていて、 そして奥さんもいるというまちをつくっていかなければいけないのではないか。 今の都市の状況を前提にして話をしても、 面白くないという感じがします。

森栗:

改行マークどうあるべきか論は、 建設的ではないと思っています。 そうではなくて、 我々のような人間は、 見ることに意味を見出しているんです。 今あるものが、 次にどう動くのか、 その動きのなかで、 少しでもいい方向に動かしたいというくらいのスタンスでお話しているつもりです。


翁に変わるもの

難波:

改行マーク先ほど「翁」の話がありましたが、 そういった世界から何かのはずみで進歩して今のような状況になってきたという感覚を持っています。 しかし、 そういう流れはだめだったから、 以前に戻らねばならないということでもない、 という気がするのですが、 そうだとすると先にあるものは何なのでしょう。

森栗:

改行マーク「翁」をどうやってつくるかという話になるのだと思います。 4月29日に日本民俗学会の50周年のために、 向島で「老いを考える」というシンポジウムを企画しています。 この向島のまちづくりがなぜ面白いのか。 見ていると90歳代の人がどんどん旗を振っているんです。 それが長老支配にならなくて、 高齢者が動くことがまちの豊かさにつながっているようなところがあります。 若い人もどんどん参加しています。 そこに何かヒントがあるのではないか。 現代的な翁のいる空間を設定出来たらいいなと思っています。

改行マークただし、 前近代においては周りが死んでしまって最後に残った高齢者に価値があったわけですが、 現代はみんな残っていますから、 なかには会社のことしか知らないという方もいて、 なかなか難しいのですが。

難波:

改行マークそれは逆に老人の在り方ではなくて、 老人になるまでのプロセスが問われるということでしょうか。 そうだとすると社会が変わっていかないと…。

森栗:

改行マークただ社会は徐々に変わってきつつあるように思います。 例えば今、 定年まで働き続けるよりも途中で退職して、 いろんな活動をするという人が地域にたくさん出てきています。 ですから翁の大衆化と言いますか、 いろんな知恵のある人が地域に散らばってきている。 そうした人たちが地域のなかのNPO活動などにどんどん入り込んでいるという傾向は、 ここ3、 4年強くなっていると思います。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見は前田裕資

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ

学芸出版社ホームページへ