民俗地理学から都市を語る「故郷の景観について」
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幸せの都市はありますか

個別分断消費の先に何を見るか

丸茂:

改行マーク先ほどからお話のあった無関係の関係、 仮面の関係は、 個別分断消費、 個別の活動を阻害・強制しない状況とも同じだと思いますが、 それらはどんどん進展していると思っています。 また、 コミュニティについては、 言葉としては出てきていますが、 あまり進展がないわけですから、 コミュニティに圧迫されるということを心配する必要はないと思っています。

改行マークしかしこの先に「but」と言いたいわけです。 「but」から先が今日の議論であるべきだと思います。 それについて、 森栗先生は「個別分断消費を越えた、 かつ個別の活動を阻害・強制しない、 なんとなく気分の良い空間づくり」という言葉で表現されていますが、 これは今の状況とストレートにはなかなか繋がらない話なのではないかと思います。


成功・不成功に関係のない幸せ

改行マーク端的に言ってしまうと、 近代は競争社会、 個人が成功しないと幸福になれない社会です。 しかし人間が幸福になれる、 なれないということは、 いろんな条件によって違ってくるはずです。 個人の成功・不成功あるいは個人の努力に、 個人の幸・不幸が依存しているという社会もあるでしょうし、 あまり成功・不成功に関係なく、 誰でもが享受できるような価値がたくさんある社会もあると思うんです。

改行マーク例えば、 昨日私は奈良の二月堂の景色を眺めていたんですが、 すごく幸せになれました。 この幸せは、 私が成功しているか成功していないか、 誰かに勝ったか負けたかは全く関係なく享受できるわけです。 そういうものがたくさんあって、 たいして努力もしなかったし出世もしなかったけれども「よかったな」と思えるような都市がもしあるとすれば、 それが「幸せの都市」なのではないかと思います。


共有される幸せとしての景観

改行マークでは、 なぜそこで故郷(ふるさと)の景観なのかという問題があります。 景観は共有できる価値だからではないかと思うのです。 そこに住んでいる限り、 自然に味わえてしまうような価値と言いましょうか。 それに対してイチゴハウスのような庭付き一戸建ての価値は共有できません。 おそらくそこの所で、 現代の「個別分断消費」社会と、 butから先の話とが繋がってくるのではないかと思います。

改行マークところが現実は、 いい高校に行けるか行けないかがその中学生の幸・不幸を決定してしまうわけで、 そうなればなるほど共有される価値についての関心が薄れてしまう、 ある種の悪循環になっているわけです。 逆に言うと、 そういうものがたくさんある社会になれば、 あまり競争しなくなるのではないか。 競争がなくなるわけですから、 進歩はあまりないかもしれませんが、 今求められているのはそこの所なのではないかと理解しています。

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