柳田国男が近代化のなかで、 いろんな調査をするのですが、 その調査項目のなかに「幸せの村はあるか、 あるとすればどのようなものか」というものがあります。 1000箇所調査したのですが、 返ってきた答えでは、 ただの一箇所も幸福の村はありませんでした。
それを考えますと、 近代都市というのは、 まちに行けば何かいいことがあると思ってみんな来たわけです。 そして私もその子孫であるわけです。 しかし震災を経験してみると、 私もニュータウンに家を買ったけれども、 いったい何が幸福だったんだろうということを思うわけです。 そう思った時に、 私個人は、 近代初期に少しだけ人がつながっていたような、 そこになんとなく幸福のようなものがあったかのような幻想を抱いたんです。 それを復活させようとは思わないけれども、 何か次の時代につなげるものがないだろうかというのが、 私の意図であります。
先ほどみなさんは「どう繋ぐか」ということをおっしゃったけれども、 私はどう離すかが重要なのだと思っています。 建築のディテールの設計でも異質のモノとモノがくっつこうとするところを、 どうきれいに離すかがもっとも苦労するところです。 必然的にくっつくわけですから、 どう離すかにエネルギーを使っています。
人間も必然的にくっついて生きて行かざるを得ないわけですから、 いかに戦わないですむかが重要なのではないかと思っています。 どんなに嫌いな人とでも戦わないですむということが、 建築のディテールの「遊び」・「逃げ」に通じるところがあって、 そこに文化とか楽しみなどがあるのではないかと思うのです。
競争のない社会が幸福なのではなく、 世の中は競争があって初めて成り立つのだと思っております。 しかしあらゆる手段をつくして勝ちにいかない、 勝たない世界が幸せなのではないかと思います。
いまのお話は共生の理論なのだと思います。 人間がいろいろな活動をして、 せめぎ合うなかでの共生というのがある、 共存は幻想だということです。 しかし広義の共生のなかには、 初めから勝負を捨てて、 ぼやっとしている人間まで含めていくような要素もあっていいと思います。
科学技術庁に「活力ある長寿社会を構築するための科学技術」という審議会がありまして、 私はその委員だったのですが、 私自身は「のんべんだらりといいかげんに暮らす長寿社会のための科学技術」という名称にしたら提言して、 笑われました。 のんべんだらりとあまり競争しない、 ということも含めた共生社会にしたいと思います。
お話を聞きながら、 私自身の失業時代を思い出しました。 そういう時は、 家にいてもしかたがないので公園に行くんですが、 あまり狭い公園で昼間男がいると変質者と間違えられますので、 だだっ広い、 人がぽつぽつといるような公園に行くと居心地がいいわけです。 そこで不幸なんだけれども、 なんとなく幸福感があるという不思議な時間を体験したことがありました。
鴨川などでも向こう岸とこちら側で人がいて、 妙な連帯感がある。 こちらも暇だし、 向こうも一人で寂しそうだし、 かといって声をかけるのも可笑しいしというところで、 コミュニティというのとは違う負の連帯感のようなものを味わったことがあります。
そういった意味で商業的な空間や生産的な空間、 あるいは消費しましょうという空間はしんどいわけです。 そういうものから降りた空間というのが、 都市のどこかにあるんだなということを思っていました。
この前、 HAT神戸で見学会がありまして、 一流の建築家やランドスケープの人が立派なものをつくっていましたが、 どうもああいうものと敗者の空間は相容れないものだと感じました。
この間、 初めて円山公園の桜を見に行ってきたのですが、 そこでは花が翁(媼)の代わりをしているんですね。 花があることによって、 人が集まってくる。 あるいは、 長屋でご隠居さんが端正に盆栽をつくっていて、 「ええのを作ってまんなあ」という形でモノを介して人と人とが関わるわけです。
モノというのはたしかにそれ自体はモノだけれども、 実はメディアでもあるわけです。 モノにまつわる伝説やら花見、 趣味的批評まで、 とモノは人をつなぎ、 かつそのつなぐための「物語」ももっています。 ただその物語をあまり強調させすぎると嫌みになるけれども、 そこをふんわりと持続させる物語と言いましょうか。 そういう意味で自然物というのは恰好のモノなんです。 桜は散りますからなくなるんです。 物語は終わります。 そこで関係が解消する。
また、 自然物というのは変化しますので、 物語は変わりうるし、 関係も変化するわけです。 そこが人工物とは大分違うところなのではないかと思います。 人工物は変化しませんから、 壊して新しく、 また壊して新しく、 ということを続けていかなければならないために、 持続のさせ方が非常に難しいわけです。 そういう意味で自然環境の一つのメリットを、 この頃再発見したような気がしています。 さらに言うと、 都市環境に限らず、 環境デザインというのもデザインを通して、 人とモノ、 人と人との関係を構成するわけで、 どういう関係が目指されているのか、 がポイントになるわけでしょう。 単に、 機能的な関係なのか、 消費的関係なのか。 。 。 。
ところで、 丸茂先生にお伺いしたいのですが、 「幸せ」というのはまちづくりの規準になるものなんでしょうか。 哲学では幸福と自由は別の概念です。 「パターナリズム」の議論などでよくされますが、 言ってみれば、 奴隷の幸せもあるわけで、 幸せでさえあればいいわけではないという思いもありますので、 お聞きしたいのですが。
丸茂:
ご質問にストレートにお答えできないかもしれませんが、 先ほど私が申し上げた話について、 そのきっかけとなった出来事があります。 もう20年近く前になりますが、 広島にいた時に一般の市民の方から都市景観についての論文を募集した時のことです。 その中の文章に、 当時60代の方のものがありまして、 「人は誰でも幸福になりたいものである」という書き出しで始まっていました。 しかしいろんな人生の過程で成功する人もいるし、 しない人もいると。 おそらくその方は年齢から推察して、 ご本人もしくは家族の方が原爆を体験されているのではないかと思いました。 つまり個人ではどうしようもない幸・不幸があって、 そのなかで誰もが幸・不幸に関係なく享受できるものが都市景観ではないかと。 私はその文章が非常に印象に残っていまして、 私が景観というものに関わる一つの動機になったような気がします。
都市景観が現在のようになったことの原因自体が、 個人の成功・不成功に全てをかけてしまった、 あるいはかけざるを得ない状況にあったことと密接に関係していると感じています。 また、 逆にこういう都市のなかで、 お金も何もない、 しかも人間関係は寒々としている状況にあれば、 頑張らざるを得ないのではないか。 ですから競争のない社会が幸せであるというのではなくて、 競争をしなくてもある程度幸せになれる状況というのがあってもいいのではないかと。 まちづくりの一つの目標という形ではありませんが、 個人的な動機付けとして考えています。
民俗学は世相を見るのが仕事です。 近代社会の限界が1980年代に見えてきて、 90年代のバブル崩壊で「もうアカン」ということになった。 ちょうど戦後50年ジャストの年に震災が起き、 さらにそれが明らかになったと思います。
今は、 次の都市生活の枠組みが見えずに模索している時です。 しかし今日、 民俗学者の目でお話ししたように、 これからはもう少し違う社会の枠組みが出てきそうな時代相だと思うのです。 その中でお互いの幸福を作り出せる関係性を次の時代に生み出せないものかと、 観察者としては思っています。
伊東:
観察者の観察者である哲学の立場から言うと、 丸茂先生の言われた「共有できる幸せ」は、 これから考えねばならないことだろうと思います。 個人単位の「一緒に消費できる幸せ」ではなくて、 何でしょう。 そのとき一緒にいるというのはどういうことなのか、 一緒にいるから幸せなのか、 共有して何かができる幸せなのか。 ひょっとしたら、 それは「幸せ」という言葉で語られるものではないのかもしれません。
私個人として困っているのは、 私も西洋かぶれで「コミュニティ」という言葉を使っているのですが、 これからの具体的な人間関係を考えたら良い言葉が全然ないのですね。 今日はこれから考える材料をいただいたと思っています。
競争しすぎない社会と
その空間近代初期にはあったかもしれない
森栗:
戦わないことが重要
江川:
のんべんだらりの長寿社会
森栗:
敗者に優しい空間を
中村:
癒しのメディアとしての自然環境
伊東:
幸せとまちづくり
伊東:
消費する幸せから共有できる幸せへ
森栗:
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