中津の作品は素晴らしく、 有意義な時間を過ごしました。 そのお礼と言っては何ですが、 少し意見を述べさせていただきます。
三谷さんは一貫してデザイナーの立場からお話しされたと思いますが、 公共空間を扱うときのスタンスとして「民有公共」という空間は、 デザイナーにとって極めて力を発揮しやすい場所だということがよく伝わりました。
私たちが「公」というものを考えるとき、 「公」の水準はひとつでなければならないという議論が多くあります。 例えば、 社会資本や公共施設は公平性に基づいて各地に設置されるべきものですし、 その質も一定程度の水準になりますから「ひとつの質」になりがちです。
ところが「民有公共」の空間ですと、 社会資本として公共的な利用はありますが、 場所ごとにその内容は違って良いという構造が出てきます。 「品川千本桜」で示されたように魅力的な空間づくりが出かかっていると思いました。
また、 セントラルパークのお話がありましたが、 公園の機能論の中で出てくる防災性、 衛生性、 快適性がひとつのレベルに決められてしまうと、 公共空間はひとつのものしか出来なくなってしまいます。 我々の社会システムの現状はそうなっています。
その現状を打破する必要があるとすれば、 デザイナーとしては三谷さんがおっしゃったように、 一度個に戻ってユーザーを感動させるような手法をとっていく方法も考えられるでしょう。 それと、 公共空間の質は場所に合わせていろいろあってもいい、 変わっていってもいいという社会的合意を作っていく必要があるでしょう。
例えば、 土木構造物では地域によって耐震性能が違ってもよいということになっています。 公共空間も地域によってスタンダードが違うこともありうるという考え方によって、 「発見」にもつながるのではないかと考えます。
もともと公園は機能が重視されていて、 ある水準を達成する目的(悪く言うと画一化ですが)で作られてきたということは、 今でもはずせない要件です。 ですから、 発注する側も受ける側もあまり多くのファンタジーを求めてはいけないと思うのです。
しかしながら、 判を押したような画一的なものを作って良いのかというと、 そうではない。 そういう現場での我々デザイナーの関わり方は理解していただけたかと思います。
今、 加藤さんのお話をうかがいながら普段考えていることを思い出したのですが、 実はデザイナーの方が行政担当者よりも恵まれていることが多いのです。 どういうことかと言うと、 デザイナーは基本構想から実施設計、 うまくいくと施工管理まで携わっていることが多いのですが、 行政担当者はほとんどのプロジェクトで担当が必ず途中で変わってしまう。 基本構想の頃は担当者も思い入れがあるのですが、 担当者が変わって最後に作られる頃にはその熱意が持続しないシステムになっているのです。
お役所のシステムにくちばしを入れるつもりはないのですが、 空間づくりに関しては最初の思い入れを最後まで見届ける責任がチーム全員にあるべきじゃないかと常々思っています。 その辺、 何とかならないかと逆に質問したいですね。 公園を造るのはたかだか4、 5人のチームですから、 どうして最後までチームを組めないのかと思います。
「俺もそう思っている」という人はたくさんおられるでしょうが、 行政側の立場としてはどうでしょうか。
難波健(兵庫県):
何と言っていいのかよく分かりません。 行政は想像以上に真面目でかっちりしているところで、 僕なんかはその中でいかにうまく動きながらプロジェクトを最後までみとどけるかを考えているわけですが。
国の基準、 県の基準があり、 がんじがらめの中でやっていきつつ、 猥雑なものは排除していくというのがこれまでの行政のやり方でした。 しかし、 地方分権が言われるようになって段々変わってきつつあり、 「そう固く考えなくてもいいよ」と言うようになりました。 これからどうなるのか面白いところですが、 実は行政の方もどう変わっていいのか分からないというところがあるのです。 ですから、 コンサルタントの方々にとっては今が狙い目ですからしっかり頑張ってください(笑)、 ということにしておきましょう。
公共空間のありようについて
公共空間にいろんな地域性を出してもいいのでは
加藤晃規(関西学院大):
公共空間のチームワークシステムの問題点
三谷:
行政の立場から
佐々木:
このページへのご意見は前田裕資へ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai